ヘビースモーカー異世界へ行く
鹽夜亮
ヘビースモーカー異世界へ行く
深夜、コンビニで煙草を吹かす。春めいてきた夜風に、肌寒さはない。
「っっくしょん」
だが、優しさもない。夜風に運ばれた、何の容赦もない花粉が粘膜を刺激する。鼻を啜りながら、また煙草を吹かす。
ふと、くだらない、と脳裏に言葉がよぎる。そこにわかりやすい意味はない。抽象的な、概念のようにどうしようもないくだらなさが全身の血管を這い回っている。
一体全体生きていて何がしたいのだろう?俺が俺として、ここで生きて何を成し得るのだろう?合わないと思い続けた世界と、時代が肌を刺す。
「あーいっそのこと流行りの異世界転生なんざすりゃぁ…」
馬鹿げた言葉が口をついた。だが、したところで、何になるというのだろう?即座に脳が否定を突きつける。
「馬鹿らしい」
煙草をもみ消し、コーヒーを煽る。
途端、視界がブレた。ああ、ヤニクラかと咄嗟に車止めのパイプを掴む。世界が回っている。吐き気が、止まらない。足が地面についているのかもわからない。たまらず、俺は目を瞑った。
「………は?」
瞼を開けると、視界には異様な光景が広がっていた。中世ヨーロッパ風にしか見えない街並み、行き交う人々。聞き覚えのない言葉たちが空を舞っている。
俺はそのど真ん中に、突っ立っていた。馬鹿のように。
慌ててスマートフォンを取り出すが、電波はない。あのまま気絶したのだろうか?ではこれは夢か?頬をつねる。痛覚がしっかりと、反応した。
「いやいやいや…馬鹿げてる」
独り言を呟く俺を、通りがかりの何人かが不審な目で見つめる。気にする余裕もなかった。
「なぁ、これは俺の夢か?」
ふと真横にいた女性に声をかけてみる。女性は、意味のわからないものでも見たような顔をして、音を発した。
「÷〒・3…4×¥:×¥・8÷|%71々2〒」2々2|2」
音だった。それは言語とは思えなかった。発音とすら、認識できなかった。眉を顰めた女性は、そのまま足早に通り過ぎていく。
俺はただ、流れていく「人らしきものたち」の中で呆然と立ち尽くした。一瞬で俺は理解した。この生物たちと、コミュニケーションは取れないということに。
目の前に豪奢な城が聳え立っているが、俺はそんなものに興味もなかった。背を向けて、歩き出す。まずはこの生物たちでごった返す場所から離れたかった。足をすすめながら、ポケットを触る。煙草は、まだある。
歩き続けると、やがて街の外に出た。眼前には異様に澄んだ川が広がっていて、右手には煉瓦造りの大きな橋がある。俺はなんとなしに川辺に腰掛けた。
周囲に目をやる。視界に入る植物の一つさえ、見覚えがない。奇怪な色、形。それらが花なのか、雑草なのか、それすらわからない。川に目をやると、二本の足がついた魚のような何かが泳いでいた。…頭痛に、頭を抱える。
「何の冗談だ。明晰夢ならさっさと覚めてくれ」
何もかもがわからない。何一つとして「理解ができない」。
そんな中でも、脳はニコチン切れを訴えた。ポケットから煙草を取り出す。ライターも無事だ。火をつける。いつも通りの、味がした。
そういえば、とヤニ切れから回復した脳が記憶を巡る。異世界転生。そんなことを思った記憶が。
「いやいや、馬鹿げてる」
馬鹿げすぎている。そして何より、ここで俺に何ができるというのだろう?服装も、コミュニケーションも、自然物も、何もかもが違う。何一つとして、俺の知っているものがない。この煙草、以外は。
「夢か、それとも馬鹿げた希望が叶ったか」
龍のような鳥が空飛んだ。それは先ほどの城よりもよほど大きかった。
「何故目が覚めない?意識ははっきりしているんだ…死んだのか?俺は?ならここが天国か?今際の際に持ってきたのが煙草だけってのは俺らしいが…」
混乱の渦の中で、言葉が勝手に走っている。煙草の煙をいたずらに揺らして。背後からの突然の足音に体がピクリと反応した。
「1÷+÷…4」2」1々<」々5々2「:|3々3×1」
女、だ。恐らく。そして若い。また音を発している。その視線は、煙草に向けられている。
「ああ、これは煙草………無駄か…」
「々%・^々2」2々55××・××××3」
俺は一度ここにいるものたちのことを生物と言った。言い換えよう。彼らは恐らく人だ。姿形が、似ているというだけだが、それ以外に形容しようもないのだから仕方がない。
人と認識した途端、絶望感が俺を襲った。人はいくらでもいる。横にも、視界の遠くにも。だが、言葉が通じない。横の女相手に身振り手振りも試してみたが、どうやら全く通じないらしい。コミュニケーションの常識が、根底が、俺の知っているものと違う。
いくらでも人がいるのに、俺は、俺は、ここで誰とも繋がることができない。
「々2:6々3々・々5+・285々×」
「すまない…わからないんだ…」
「々265々×」
「…ごめんよ」
女から敵意は見えない。煙草への好奇心は感じる。きっと、何かを伝えようとしてくれている。もしかしたら、何かを尋ねているのかもしれない。だが、何一つとしてわからない。俺の知っている孤独とは、まさしく次元の違う孤独だった。
これが夢ならば。これが馬鹿げた願いの叶った先の話ならば。
女の発する音を聞きながら、俺はまた煙草に火をつけた。そして、まだ五本ばかり残っている煙草の箱と、ライターを女に押し付ける。
「々2:<々3々24888899」
「あげる。終わりだ」
何も通じない。何も伝わらない。
何も、通じ合えない。
俺は、煙草を吹かしたまま川へと身を投げた。…
目が覚めると、愛車の運転席に俺はいた。慌てて時間を確認する。コンビニに来た時間から、十分も経っていない。やはり、夢だったのだろうか。だが、それだとしたら俺は喫煙所で倒れていたのではないか?…意識があったのか?わからない。
ポケットの中に、煙草とライターは、なかった。
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