機会少なし、恋せよ筋肉
古朗伍
機会少なし、恋せよ筋肉
俺の名は
ん? マッスラーとはなんぞや? と言いたげだな。マッスラーとは、自らの身体を鍛え、より高みを目指す者達の事を言う。
少なくとも俺の通うジム『ライトマッスル』では、よく使われる言葉だぜ? 他のジムでもそうだろ?
そして、本日は平日だが、俺は驚異の12連勤を終えて休みとなっている。その為、久しく『ライトマッスル』に来て、身体を鍛えるルーティーンに戻す初日さ。
「おはよう、三浦クン」
「おはようございます、松林さん」
ジムトレーナーの松林さんは世界的なビルダー大会にも出る方で、マッスラー界隈では凄い人だ。
あの【破壊神】こと絶対王者マッスラーのシルコフ・ライトにアジアで唯一、迫る存在とも言われている。
今年のビルダー大会での日本代表は間違いなく松林さんだろう。
「最近、来てなかったみたいだけど」
「少し仕事が忙しくて」
「そいつは大変だったね。わざわざ筋肉をランクアップさせるよりも良い様に休日を使っても良いのだよ?」
「ははは。これが良い休日ですよ。身体を鍛えながら、皆と話がしたいんです」
『ライトマッスル』に入会するキッカケになったのは失恋だった。
彼女にフラれて、半分自暴自棄になっていた所をたまたま通りかかった松林さんと出会い、悩みは筋肉と直結している! とか言われて無理やりジムに連れ込まれ、ランニングマシーンで、動けなくなるまで走らされたのだ。
“人生では多くの裏切りに合うが……筋肉だけは決して裏切らない!! 育てれば育てるだけ、彼らは応えてくれる!”
その松林さんの言葉に俺は真理を見た。そうか……俺が愛するのは元カノじゃなくて筋肉だったんだ。女なんかを見てる場合じゃなかったんだ!
と、言う出会いが今から二年前。俺は「ライトマッスル」に入会し、今や他のマッスラーとの交流を何よりも楽しみにしていた。
「オッス、三浦クン」
「イントさん」
イント・トラーさんは北欧のマッスラーだ。仕事で日本に赴任しているらしい。
「お、久しぶり! 三浦君」
「お疲れ様です、大見さん」
大見さんは家庭を持つ大黒柱。お子さんは五人とも成人しており、夫婦仲も良好のマッスラーだ。俺が理想とする未来の姿。
その後も久しく顔を合わせるマッスラー達と挨拶を交わす。皆は俺よりも一回り肥大化した筋肉を持つが、誰もが紳士的でとても話しやすい。松林さん曰く、
“優しさは筋肉が教えてくれる。幼い頃に覚えのある……純粋な心で筋肉を動かしていた頃の優しさを……”
ちょっと良くわからないが、とにかくマッスラーに悪い奴はいないってことだ。
今日は平日の午前中なので、来るマッスラーは普段の半分以下。ちなみにこの『ライトマッスル』には女性も入会しているが、男程にガチに鍛えてる人はいない。皆、健康やダイエット目的だ。
「おはようございます! ほっほう!」
すると俺の人生で尊敬する二人目のマッスラーがジムにやって来た。
「三浦! 久しぶりだなぁ! おい! 元気にしてたかぁ!?」
「久しぶりです、国尾さん」
「ほっほう! 元気そうだな! お前の筋肉も!」
松林さんに匹敵する体格。それでも傲らず、己を高め続ける彼の名は
彼は弁護士で元カノ関係で揉めた時に助けてくれた人だ。
俺にとって松林さんが二人目の“オヤジ”なら、国尾さんは“アニキ”である。
「あんまりストレスは溜めるなよ? 何かあっても俺たちマッスラーがお前にはついてるぞ!」
「ありがとうございます」
他のマッスラーも軽く手を上げたり、頷いたり、腕を組んでこっちを見てくれる。
あったけぇ……。ブラックな職場で冷えた社会の荒波を受けても彼らのおかげで凍えずに済んでいるのだ。
女なんて要らねぇ! 俺は皆のように立派なマッスラーになるんだ!
「あ、いたいた。国尾君。私、初めてなんだから待っててよー」
「あ! すみません! 轟の姉御! 久しぶりに顔を出したマッスラーが来てまして……居ても立っても居られず!」
その声はルームの入り口から聞こえた。
明らかに女の声。国尾さんが影になってて見えない。
「わっ。皆、おっきいね」
「俺の心のマッスラー達です! 皆ぁ! 紹介する!」
筋トレの手を止めてマッスラー達が国尾さんと、その傍らにいるふた回りも小さい女性を見た。
「俺の会社の先輩である、轟さんだ!」
「
ペコリと、頭を下げる彼女は美女と言うよりも“可愛い”と言う雰囲気を感じる女性だった。
それからは皆、普通に筋トレを再開した。なにせ、女一人で揺らぐレベルのマッスラーなどここには居ない。……俺を除いて。
「さん……じゅう……」
「ふむ」
ガコン、と俺は40キロのバーベルを上げきる。すると、補佐をする松林さんが、
「集中できてないね、三浦クン」
「え? あ、そうですか?」
彼には筋肉の事などお見通しだ。無論、浅いマッスラーであれば他人のモノも見定める事が出来る。
どうやら轟さんの存在が俺を乱していると感じ取ったらしい。
「彼女はね、私がお願いして国尾クンに連れてきて貰ったんだ」
「そうなんですか?」
「うむ。明日にジムの宣伝をするので、なるべく女性の関心を引こうと思ってね。女性目線での感想が欲しかったんだ」
松林さんが言うには明日の宣伝に関して国尾さんに良い方法を相談したら、今回の形になったらしい。
今は国尾さんが筋トレ機材の使用説明とルールを教えている。
「今日は一回り重量を下げたマッスルを行った方がいいね。君は復帰したばかりだし」
「そうします」
集中を乱せば怪我のもと。マッスラーとして筋トレ中の怪我は三流……いや四流以下だ。
彼女も国尾さんがついてるし、俺が関わる事は無いだろう。
一通り説明を受けた轟さんは、機材を使って自由に筋トレを始めた。
身体なんて動かした事が無いんじゃないかってくらい細い身体で行う筋トレは、一番軽いヤツでも十回も続かずに、ぜーぜー言っている。
皆は微笑ましく、俺も初期マッスルはああだったなぁ、と彼女を見守っていた。
「うーん……」
「……」
「うーん……これなんだろ?」
俺はエアロバイクを行った後の小休止の間、腹筋台の使用方法に悩む轟さんが目に入った。
そっか、国尾さんはあまり腹筋をしないから説明が漏れてしまったのか。
国尾さんはバーベルの100キロをサポート無しに懸垂みたいに持ち上げてる。
松林さんは電話対応。他のマッスラーは各々でマッスル中。
「それは、腹筋を鍛えるヤツですよ」
「あ、そうなんですね」
ずっと立ち往生も気まずいので俺が声をかけた。
「こうやって寝そべって、太ももを引っかけて――」
俺は目の前でやり方を実践すると轟さんは、なるほどー、と手を合わせて納得してくれた。
「最初のうちは低い方がいいですよ。角度が急な程、キツイんで」
「ありがとうございます。三浦さん」
俺は驚いた。名前はこちらからは名乗って無かったハズ。
「あ、間違ってましたか?」
「いえ……自己紹介はしたかなって思いまして」
「国尾君から一通り皆さんの名前は聞きましたから」
そう言って轟さんは腹筋台に仰向けになる。彼女は透けない様にインナーを着て、その上に短パンとシャツを着ている。そして、少し身体を動かしたからか、火照った顔が妙に色っぽく感じた。いかんいかん……
「何かあったら他の人にも声をかけてください。誰でも教えてくれると思うんで」
「はい。そうしまふっ!」
そう言って轟さんは上体を持ち上げる。しかし、90度も上がらずに、ぷるぷると静止する事五秒、すとん、と背中をついた。
「ぜーぜー」
「……もうちょっと角度を落としましょうか?」
「お願いします……」
ほぼ平行にしてあげた。
「三浦さん。足を一度持って貰えますか?」
「え?」
俺は思わず去ろうとしたところで協力を求められた。
「思わず反動を利用しちゃいそうで……あ! 嫌だったら全然いいんで!」
轟さんは汗を掻いている自分の体臭を気にしていた。全然嫌な匂いはしないが……ここで断って話しづらい雰囲気になるのも嫌だった。
「じゃ、じゃあ足首押さえますね……」
「お願いします」
俺は轟さんの足首をシューズ越しに触る。小さな足は運動などしたことの無い様子がわかる程に華奢だった。
「い~~ち~~ぃぃぃ!」
後頭部で手を組んで轟さんは、可愛い気合いで上体を起こす。起こしきった所で眼が合った。
「キツイですね」
「え、ええ……」
筋トレに集中する轟さんは、俺にそう言うと再び仰向けに。ふわっと良い匂いがして、俺は内心ドキドキだった。
「にぃぃぃぃ~」
二回目。精一杯の力を込めて上体を起こす様が押さえる足から伝わってくる。若干、フォームが崩れているので先程よりも負荷が多くかかっているが、それでも何とか起こしきった。
「ふっふっふぅぅ~」
力を抜きうつ伏せに。そして、精魂尽きた様子で手を広げて楽な姿勢で呼吸する。
俺は手を離す。すると、轟さんは少し呼吸を整えた後に足を外に出して座る姿勢になった。
「ふぅ……ふぅ……皆さん凄いですね。これを一日に何回もするんですか?」
薄く汗を掻きながら轟さんは笑って告げる。まだ肩は上下していた。
「人によりますよ。中でも腹回りは鍛えたい箇所のベスト3に入りますからね」
「確かに……お腹が引き締まってる方が良いかも……」
轟さんは自身のお腹を触る。気にしている様だが十分に細いと思った。
「よし。次は――」
立ち上がった轟さんは、ふらりと立ち眩みでバランスを崩した。俺は咄嗟に肘を差し入れて彼女を支える。腕が胸に当たるのは不可抗力にして欲しい。
「少し休憩をしましょう」
「あ、ご、ごめんなさい!」
悪いと思ったのか、轟さんは謝ってくる。いやいや……なんかこっちの方が良い思いをしたのに申し訳ない。
腹筋台を元に戻して、汗を備え付けのタオルで拭き、俺は轟さんと近くのベンチへ。
「ふー。皆さん、本当に凄いですね。私なんて一、二回やるだけで精一杯です」
「誰でも最初はそうですよ」
「三浦さんもそうでしたか?」
「ジムの初日は筋肉痛で次の日は動けませんでしたよ」
「……うっ。そっか……これって反動があるんですね」
轟さんは明日の事は考えていなかったらしい。襲い来る筋肉痛を想像して、げんなりしていた。
「轟さんは、松林さんに意見をお願いされたんですよね?」
「え? あ、はい。国尾君に頼まれて、少しでも新鮮な意見を出来ればと」
「真面目ですね。俺は休日まで他人の為に何かをやろうとは思えませんよ」
働き先がブラックと言う事もあってか、貴重な休日は自分のために過ごしたいのだ。
「それが普通ですよ。私の方がおかしいんです」
それでも轟さんは笑った。自分ではどうしようもない性分だと理解している様だ。
「俺も最初はそうでしたけど……やっぱり、割に合わない仕事ばかり押し付けられると、どうしても後ろ向きに考えてしまって」
俺は、ぽろっと本音が出てしまった。彼女の雰囲気がそうさせたのだろう。
「三浦さんは、まだ出会ってないだけだと思います」
「何にですか?」
「自分よりも優先したい人にです」
轟さんの言葉はすぐには理解できなかった。すると、間をおかずに彼女が補足する。
「やっぱり、誰だって自分が一番可愛いじゃないですか。それは当たり前ですし、当然の事だと思います。誰だって、護りたいと思うのは他人よりも自分が優先です」
「轟さんもですか?」
「はい。ですけど、私の場合はやり過ぎて、良く回りからストップをかけられちゃいますけど」
それでも彼女は何かを思い出す様に、
「そんな私を見つけてくれた人がいました」
そう、口にする轟さんは本当に嬉しそうに笑った。
「そんな出会いはそう多くはないかもしれません。けど、一人で生きていく事なんて出来ないんです。だから神様は、どこかで出会いを用意してくれていると思います」
「――――」
「あ、偉そうな事を言ってすみません」
「いえ……目から鱗な話しです」
「轟の姉御ー! バーベル上げ、やってみなーい?」
「今行くよ。三浦さん、話を聞いてくれてありがとうございました。それでは」
そう言って轟さんは立ち上がると、ペコリとお辞儀をして国尾さんの元へ。
「自分よりも優先したい人……か」
我ながら単純だと思うが、そんな事を自然と口に出来る轟さんがそうなんじゃ無いかと思ってしまった。
俺には筋肉じゃなくて、まだ異性を愛する心が残っていたと言うのか……
俺はシャワーで軽く汗を流して帰り支度をする。マッスラー達と話が出来て、さらに轟さんと出会った事で、異性にも希望が残っていると思える有意義な時間だった。
「あ、三浦さん」
「轟さん。今帰りですか?」
ジムの入り口で軽く伸びをしていると、同じ様に出てきた彼女と遭遇。なんたる運命。神様がガツガツにお膳立てしてやがる。
「松林さんと少し話し込んでしまいまして。筋肉痛に効く飲み物と、ストレッチの方法などを」
「それでも覚悟はしておいた方が良いですよ。強烈なの来ますからね」
「もー、あんまり脅かさないでくださいよー」
筋肉がキッカケで距離が縮まった。これは……行けるのでは?
「轟さん、よかったらお昼を一緒に――」
「やぁ! 甘奈君!」
いつの間にか、轟さんの背後に一人の男が居た。彼女は、ぴっ!? と猫の様に驚く。
現れた男はアロハシャツにグラサンを着けており、南国の写真から切り取って町中に張り付けた様な不釣り合いな光景が目の前に映る。
「え!? なんでここに居るんですか!?」
「散歩だよ!」
どうやら知り合いの様子。声がデケェ。
「君は甘奈君の新しい友達かな?」
「三浦さんです。三浦さん、こちらは黒船正十郎さん」
「あ、ど、どうも……」
「よろしく! 三浦さん!」
握手を求められて勢いで応じる。すると相当な握力を感じた。この男……洗練されたマッスラーだ!
「まさか、散歩をしていると甘奈君を発見するとはね!」
「そんな偶然ってあります……?」
「無いね! 正直に言おう! 君を迎えに来た! 昨日も4時間しか寝ていないだろう! そんな状態で運動など、いつ倒れてもおかしくないよ! 明日に来る筋肉痛に備えて、今からぐっすり寝ておかなければね! 今度は腕枕を試してみよ――」
「ああ! わかった! わかりましたから! 公道でそんな大声は止めてください!」
轟さんは現れた黒船さんの口をこれ以上動かさない様に押えると、そのまま背を向けさせて、ぐいぐいと押す。
明らかに俺よりも近い距離。あー、うん、そう言う事か、神よ。
「それでは三浦さん。今日はありがとうございました」
「ありがとう! 三浦さん!」
そう言って、轟さんは黒船さんと歩いて行った。
「……そりゃそうだよなぁ」
あんなに良い
やっぱり、俺が愛するのは筋肉だけか……
機会少なし、恋せよ筋肉 古朗伍 @furukawa
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