でし

香久山 ゆみ

でし

 いた。

「あー、いるね。あそこ。ほら、あの木の陰。見える? いるでしょ。ほら。そこ、そこ!」

 俺と同時に気付いたようで、隣からマシンガンのように声がする。うるさい。

「見えてるよ。……別についてこなくてよかったのに。だいいち、こんな夜更けに若い女がであ……、ごほん、きみがついてきたって役に立つわけでもないしさ」

 こんな夜更けに若い女が出歩くもんじゃない。しかもこんなひと気のない公園に。そう言いかけたが、言い直した。隣に並ぶ彼女には関係ないと思ったからだ。白いワンピースに黒髪の女の子が、大きな瞳をこちらに向けて、ぷうと頬を膨らませている。

「だって、うちで一人で留守番してても退屈だもん。それに、あたしきっと役に立つよ。先生の弟子ですから」

 キリッとかわいい笑顔を向ける。なあにが先生なんだか。そうやって持ち上げたって、俺は懐柔されないぞ。

「そんな退屈してるなら、明日は映画でも行くか」

「わあい」

 弟子が無邪気な声を出す。

 そうこうしているうちに、彼の姿がはっきり見える位置まで近付いた。

 公園の一角で、線の細い男性が腰をかがめてうろうろしている。深夜で街灯もほとんどない公園、自動販売機の灯りによって、かろうじてその姿が確認できる。

「ちょっと様子を見るか」

 少し離れた場所から男の様子を窺う。

 三十分程観察を続けたが、男はひたすらうろうろし続けているだけである。

「何してんだろう」

「ほんと、見てても分かんないね。あたし、聞いてくる!」

「え、ちょ……」

 俺が止める間もなく、弟子は飛び出していった。

 彼女が男の前に立つ。男は屈んだままだが、足を止めた。彼女がしゃがんで視線を合わせる。しばらくそうしていてから、ぱっと彼女が体を起こし、ぱたぱた戻ってくる。彼女がいなくなると、男はまたうろうろ動き始めた。

「聞いてきたよ! あの人、探し物してるんだって」

「えっ。話してきたのか?」

「うん!」

 当然だといわんばかりの顔をしている。唖然としていると、

「どう? あたし、役に立つでしょ」

 えへんと薄い胸を張る。

 確かに役に立つ。俺はただ視えるだけで、話を聞いたりすることはできないから。

「公園の幽霊を何とかしてほしい。子ども達が使う公園なのに、深夜になると幽霊が出るらしい。安心できないからどうにかして」

 そんな依頼を受けて、深夜にわざわざ公園に来た。ため息混じりで。放っておけばいいのに。子どもは深夜の公園で遊ばないだろうし、遊ばせるな。そもそも皆、視えてもいないんだろ。なのに、何とかしたがる。人間とはつくづく面倒なもんだ。そう思いながらも、俺もまた生きていくため依頼を引受けたのだった。

「で、何を探してるって?」

「あ、聞いてない。もっかい行ってくる」

 我が弟子はよく動く。男のところへ聞き取りにいって、小首を傾げて戻ってきた。

「うーん、よく分かんなかった。小さくてキラキラしてるって」

 確かに抽象的過ぎてよく分からない。

「まあ、一緒に探して見つければいいか」

 師弟揃って男のもとへ行き、腰を屈めてうろうろと地面を見つめる。

 近くで見る男は、遠目の印象よりもずっと若くて、俺と同年輩に見える。だとすると、小さくてキラキラしている落し物は、指輪って可能性もあるかな。恋人にプロポーズしようとしていたが、失くしてしまったとか。それとも、もっと単純に、家の鍵を失くして心配しすぎて成仏できないとか。探しながら、考える。俺は、視えるだけだから、あとは汲みとるほかない。

「あ! これ!」

 弟子が声を上げる。彼女のもとに集合する。

「どこ?」

「ほら。ここ、ここ」

 三人で頭を突き合わせて指差す先を見つめる。鉄棒の脚元はよそより多少土が溜まっているものの、土しかない。

「どこに? 何もないだろ」

「ほら、ここだよ。ここ! あ、先生そこしゃがむと影になるから、あたしと場所換わろ」

 弟子と位置を換わり、改めて指差す先を覗きこむと、何かある。

 指で土を掘って、拾い上げる。小さな輪のようだが、がちがちに土がこびりついていて何だかよく分からない。

「指輪」

 弟子が言う。

「いや、さすがに小さすぎるだろ」

「ピンキーリングとか、小指用の指輪もあるんだよ。先生知らないの」

 まるで俺が女に縁がないみたいに言う。

 微かな灯りを頼りにリングをじっと見る。土が薄い場所をそっと擦ってみると、下からキラリとシルバーの輝きが見えた。

 !!

 思わず顔を上げるも、男は無反応にじーっと俺の掌上の土のこびりついたリングを見つめるだけだ。

「ちょっと、そこの公衆便所行って、これ洗ってくるから!」

「いってらー」

 勇んでトイレに向かった俺は、数分後に肩を落として戻ってきた。

「……違うかった……。これ、指輪じゃなかった。缶ジュースのプルトップだった」

 きれいに土を落とし、ピカピカに水洗いしたプルトップを二人の前に差し出す。肩を震わせていた弟子が、堪え切れないように噴き出す。

「あははは。そりゃそうだよ、先生! さすがに女の子の小指でもこんな細くないって。さー、探そ、探そ」

 さっさと探索に戻った弟子の背中を睨みつける。こいつ、知ってたのか。なんて奴だ。もう口を聞いてやるもんか。

 暗い公園の中でも、白いワンピースはよく見える。今は花壇の前にしゃがんで一生懸命探している。けど、こいつ、俺が無視したら他に話し相手いないんだよな。誰にも見つけてもらえずにずっとひとりぼっちなのか。そう思うと、やっぱり口ぐらいは聞いてやろうと考え直す。それにしても、どうしてこいつの声だけが聞こえるのか。静かな夏の夜に、彼女の声だけがする。

「ないなー。ないなー。あ! これ! 違うか。うわ、うんこ!」

 うるさい。

 ドーン!

 突如、地鳴りのような響きが、静寂を切り裂く。

「わ。なに?」

 一斉に顔を上げる。

 少し離れた夜空に、大輪の花がひらく。

「花火だー!」

 上げた視線の先に、光るものが見えた。

「なあ、あれ……」

 振り返ると、二人して花火を見上げている。

 一人で光が見えた場所まで行き、視線を上げる。この木の上で光ったように見えたけど……。ミャア。かぼそい鳴き声が聞こえた。目を凝らすと、三メートルくらいの高さの枝に子猫がしがみついている。登ったものの、下りられなくなったのか。先程光って見えたのは、子猫のつぶらな瞳だろう。

 木登りして子猫をつかまえて、下りる。もう打上げ花火は終わったのか、二人も木の下まで移動してきていた。心配そうに見上げている。迷子の子猫みたいな顔して。

「ほら、もう大丈夫だぞ」

 子猫をそっと地面に下ろしてやる。

「やーん、かわいい」

 かわいい、かわいいと言いながら、見ているだけだ。男も猫好きなのか、傍らにしゃがんで、そっと手を伸ばした。けれど、その手は猫の体を撫でることなく、するりとすり抜けた。そうだった、こいつらは触れないんだった。

 男はかなしそうな顔をしたあと、何やら彼女に話し掛けている。何を話しているのか、俺には聞こえない。しばらく話した後、彼女は「そうだよ」と男に頷いた。男は納得したのかどうか、神妙な表情で静かに頷き返していた。

「さあ、探し物を再開しよう!」

 弟子が立ち上がって、さっきの場所まで歩き出す。男もゆっくりと立ち上がる。俺も二人のあとを追った。

 もうどれくらい探しているのか、腰も痛い。うーんと伸びをして、飲み物でも買おうと自販機の前に立つ。ふと足元に光るものが見えた。

「お。ラッキー」

 百円玉を拾う。そのまま投入口に入れようとしたところ、いつの間に隣に立っていたのか、男がじっと俺の手元を指差す。

「それだって。探し物」

 男の背後から、弟子が通訳してくれる。

「これ?」

 百円玉の載った掌を向けると、男がすっきりした笑顔で微笑んだ。そうしてすーっと姿を消した。


「ね。あたしのお蔭で早く解決したでしょ」

 弟子が誇らしげに言う。

「はいはい」

 結局、男の百円玉は缶コーヒーとなって俺の喉を潤してくれている。幽霊は飲まないし、あの世に持っていくわけにもいかない。

「それにしても、探し物が百円玉だったとはねー」

「そうだな」

「成仏できないくらいだから、もっとすごいもの探してるのかと思った」

「……たぶん、違う」

「え?」

 彼女が不思議そうな表情でこちらを向く。

「彼は、もともと何も探してなかったんだ」

「どういうこと?」

「……僕は死んだんですか? って、さっき男と話していた時に、訊かれたんじゃないか」

「すごい! なんで分かるの!」

「若くして死んでしまったから、自分自身で現実を受入れられなかったんだろう。成仏せず留まるために、彼は理由を考えたんだ。僕は探しものをしている、見つかるまでは成仏できない。って」

「ええー?」

 弟子が口を尖らせる。

「ただここに居るだけじゃだめなのかな。居たい場所に居るだけでも、理由がいるの?」

「生きている人間も一緒さ。居場所を守るために、いつも理由を探してる」

 人間なんて難儀なもんだ。

「けど、絞り出した未練が百円玉だったなんて、あの人きっと生きていた時は充実してたんだろうね」

「そうだな」

 空になった缶をゴミ箱に投げる。

 すべては推測に過ぎない。俺はただ思いを汲みとるしかできない。最後の彼の笑顔を信じるだけだ。

「帰るぞ」

「はーい。明日は映画の約束、忘れないでね」

 そう言って、女子高生の間で流行っているらしい恋愛映画のタイトルを挙げる。そんなもん、成人男性が一人で観に行って変な目で見られないだろうかと、想像するだにげんなりする。そんな俺の心も知らず、長い黒髪と白いワンピースの裾を揺らしてスキップする彼女を見つめる。

 ――彼女はどういう理由でいまだここに居るのだろうか。

 ちょうど振り返って手を振る彼女のうしろには、夏の星空が広がっていた。

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でし 香久山 ゆみ @kaguyamayumi

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