第3話 Orion

 秋がやってくると、少しずつ一緒に星座を見る機会は減っていった。高峰からあまり誘われなくなったし、星夜から誘いにいってもうまくあしらわれてしまうことが多くなった。ときどきノートに切れ端が挟まっているのを喜ぶと、


「受験勉強がんばってね」


 と一言添えられているだけだった。


 職員室や教室で他の先生や生徒がいる前で誘うわけにもいかない。もやもやとする心は頭の中で渦巻いてかすみのように広がって、星夜はすっかり勉強に集中できなくなっていった。


 英語の授業が終わった時だった。その日は宿題のプリント用紙とノートの回収があって、高峰の立っている教壇にはクラス分の提出物が高く積まれていた。


 ろくに授業を聞いていなかった星夜がこの時は誰よりも早く立ち上がって教壇に向かった。


「手伝うよ。一人じゃ大変でしょ」

「大丈夫ですよ。先生ですから」


 そう答える高峰の言葉を無視して、ノートの山を抱えると、星夜は無言で教室を出た。後ろで高峰が慌ててプリント用紙を持ってついてくる。


「どうしたんですか? 大丈夫って言いましたのに」

「最近、誘ってくれないから」

は受験生ですから。勉強に集中しなきゃダメですよ」


 隣を歩いているはずなのに高峰が遠く感じる。二人で星を眺めているときは同じくらいの距離でも溶け合うほど近くにいるように思えるのに。星夜は階段の踊り場で立ち止まる。周囲に生徒はいない。


「どうしたんですか?」


 数歩前に出た高峰が振り返る。星夜は高峰に抱きつくように近付くと耳元に口を寄せてそっとささやくように頼んだ。


「最後に、最後に一度だけ星座を教えて。もう冬の星空に変わっているから」


 高峰は顔を逸らして星夜を突き飛ばすようにして離れる。ふらついた高峰の手からプリントが乱れ落ちる。


「答えてよ」


 星夜が真剣な目でもう一度だけ問いかける。高峰は顔を逸らしたまま頷く。


「わかりました。今日は寒いですから。暖かくして来てくださいね」


 そう言うと、高峰は落としたプリント用紙を集めて逃げるように去っていってしまった。


 その日の夜、星夜は約束通りにコートを着て展望台に向かった。いつも約束の時間より早くに来て、星夜を待っている高峰が今日はまだ来ていないようだった。


 いつものベンチにはやはり星夜の他には誰もいなかった。一人先にベンチに座って高峰を待つ。十分経っても三十分経っても高峰は来なかった。


 星夜は星空を見上げて、伸ばした指先で星座をなぞる。


「あれは、オリオン座だ。さすがにわかるな」


 三つ近くに並んだ明るい星。それを中心にして棍棒を振り上げたオリオンの形をしている。神話ではオリオンを恨んでいた神に遣わされたサソリに刺された後、死んでしまったために天に掲げられたという話になっている。


「俺と同じだな」


 星夜はぼそりとつぶやく。


 初めて高峰と会った夜に最初に教えてもらったのがさそり座だった。あの瞬間に星夜は高峰のしっぽの針に刺されてしまったのだ。一瞬で恋に落ちて、もう他に何も考えられなくなってしまっていた。


 背後で足音が聞こえる。約束の時間からは一時間が経っていた。


「遅いよ」


 星夜が立ち上がって振り返ると、そこには高峰ではなく闇夜に浮かび上がるような銀色の髪をした男が寂しげな表情で立っていた。


 生徒指導の白烏怜央しろうれおだった。柔らかな話し方と中性的な外見から学校の不良たちにも舐められているはずだ。生徒指導なんてガラじゃないはずなのに、見回りなんてしていたのか、と少し感心する。


「麻生星夜くん。こんな時間に出かけているなんて感心しませんね。誰を待っているんですか?」

「誰も。ちょっと寝られなくて散歩に来ただけだ」


「嘘はよくありませんね。あなたの待ち人は来ませんよ」

「なんでそんなこと言えるんだ!?」


 白烏は星夜の質問に答えることなく、無言で真っ白な封筒を差し出した。


「今日は見逃してあげますが、その中身にはきちんと従ってください。あなたの大切な人に迷惑をかけたくなければ、ですが」

「おい、どういう意味だ!?」


 語気を荒げてさらに問いかけても白烏は無言のまま答えない。立ち去っていく白烏の背中を追いかけてみたが、意外なほどに軽快な足取りの白烏に追いつけないまま山道を下りたところで見失ってしまった。


 まだ高峰が来るかもしれない。そう思った星夜は展望台に戻ってさっき受け取った封筒を開けて中身を見ることにした。中には薄赤色の紙が一枚だけ入っている。


『貴殿を三年M組への編入を命じる。M組生は二月一日にC棟多目的教室に出席すること。なお、出席のない場合は当校を退学処分とし、貴殿の秘密は公に暴露される』


 その短い通知で白烏の言っていたことを理解する。これは脅迫だ。この指示に従わなければ、星夜と高峰の関係が暴露される。付き合っているわけでもなければやましいことは何もない。それでも世間は納得しないだろう。


 自分が退学になるくらいどうでもいい。星夜はそう思っているが、自分のせいで高峰に迷惑がかかることだけは許せなかった。


 薄赤色の紙をぐしゃりと握りしめる。二月一日がすぐにやってくる。聞いたことのないM組で何が行われるのかは知らないが、どんなことでも星夜は乗り越えてみせるつもりだった。


 さそりに刺される前のオリオンは狩人としてあらゆる獣を狩ることができたと言われている。空に浮かんだオリオン座と月を見上げながら、星夜は高峰のために何があっても諦めないと誓った。

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星空の夜会~僕たちが高校を卒業できない理由~ 神坂 理樹人 @rikito_kohsaka

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