第2話 Secret
「あれがさそり座ですよ。尻尾の方から北に向かって伸びているのが天の川で、あれが白鳥座です。有名な七夕の織姫と彦星が」
「……詳しいんだ」
「あ、ごめんなさい、つい。生徒と一緒にいたら、何か教えてあげないと、と思ってしまって」
空をなぞっていた指が恥ずかしそうに膝の上へと帰っていく。そのままうつむいてしまった高峰は何を話せばいいのかわからないようで空と星夜の顔を交互に見ているばかりだった。
「俺、全然わからないんで教えてくれる?」
「は、はい。では、あの天の川にかかるようにまっすぐ並んでいるのが白鳥座の羽の部分です。年に一度、天の川を渡す橋の役をして織姫と彦星を出会わせるんですよ」
「なんで星座にはそういう恋愛話が多いんだろ」
「ギリシャ神話に由来するものが多いんですけど、そのギリシャ神話には神々の恋愛譚が多いですから。結婚したり別れたりで大変ですけど」
神様でも恋愛すると怒ったり悲しんだり悩んだりと大変なものだ、と星夜は話を聞きながら高峰の指差す先を眺めていた。
「そういえば、麻生くんって星夜って名前でしたね。まさにこの空を見るための名前みたいです」
「……そうかもしれない」
いつの間にか熱帯夜の暑さは感じなくなっていた。ただ、高峰の声が心地よくて眠気がやってくる。
うとうととしてきた星夜の頭が高峰の肩にぶつかる。その瞬間に眠気が吹き飛んで星夜は慌てて立ち上がって高峰を見た。
「ご、ごめんなさい!」
「いえ、もうこんな時間ですから。そろそろ帰らないと本当に危ないですよ」
「先生こそ危ないんじゃない?」
「そうですね。では家の近くまで送っていただけますか?」
「あの、それはいいけど、また星の話をしてもらっていい?」
「はい。でも私と麻生くんは教師と生徒ですから。これは二人だけの秘密ですよ」
高峰は口元に指をあてて、ウインクしながら微笑んだ。眠くなっていたはずの星夜の頭が覚醒する。空気中の熱が全部顔に集まってきたようだった。
それから星夜と高峰はときどき展望台で一緒に星を見るようになった。約束はノートにメモが挟んであったり、授業の終わりに三度教科書で教壇を叩いたりするのが合図だった。
メールやアプリでやりとりしたい、と星夜は何度か頼んでみたが、証拠が残るから、と高峰は決して教えてくれなかった。
今日も深夜に家を出ると、少し秋を告げるような涼しい風が頬を撫でた。
高台に向かうと、今日も先に着いていた高峰はカーディガンを羽織って持ってきている水筒からコーヒーを入れて飲んでいた。
「こんばんは。今日は少し風が涼しいですね」
「秋が近づいてきてるね。星空も少しずつ変わってきてる」
空を見上げると、星座の見え方もだいぶ変わっている。毎日少しずつ変わっていくおかげで、話題がいつまでも尽きないのが、星夜には嬉しかった。いつ何度会っても構わない。
「だんだん星夜くんも星座がわかるようになってきましたね」
「先生の教え方がわかりやすいから。でも星座って理科だよね? なんで英語の先生やってるの?」
「星座は好きなんですけど、他の分野は苦手なんです。物理とか化学とかは全然わからなくて」
高峰は少し恥ずかしそうに両手で自分の頬を隠すように撫でる。高峰は情けないと思っているようだが、星夜からすればただただかわいいだけだった。
「寒くなったらこうして夜に会うのは難しくなるのかな」
「寒くなる頃には星夜くんは受験勉強でそれどころじゃないですよ。頑張ってくださいね」
高峰がぎゅっと握った両手を胸の前で構える。そのしぐさにはものすごくときめくのだが、それよりももうすぐ卒業が近づいているということの方が星夜にはひどく気にかかっていた。
「もし卒業したら」
そこまで言って、言葉を止める。もう会えないのか、なんて聞いて、そうですね、と言われたらなんて答えればいいか、星夜にはわからなかった。今の自分なら未練がましく高峰に泣きついてしまいそうだった。
「卒業したら?」
「なんでもない。寒くなったら学校で英語の特別授業をしてよ」
「二人きりで、ですか? ふふ、考えておきます」
楽しそうに笑う高峰に比べて、星夜の心の中は焦りと凍えるような感じたことのない恐怖が吹いてきていた。
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