第十一章 地下室のコレクション(5)

 白清夙はようやく検死報告書を書く手を止めた。彼は携帯を手に取り、やっと主任から確かに何度も電話がかかってきたことに気付いた。なのに、一通も聞こえていなかった。

 白清夙は数秒間黙り込んで、「耳の中がうるさすぎる」と言った。

 梁舒任は眉をひそめ、心配そうに彼を見つめた。

「早く帰って休めば。一体どれくらい寝てないのか?」

「眠りたくない」

「医者として、こんなことを言うべきじゃないのよ」

 梁舒任は珍しく強引にマウスを奪って、データを保存してから、パソコンを強制終了した。

「陸子涼が行方不明になったことが君にとってすごいショックだが、まさか彼を見つけるまで、あんたはこうやって自分を使い果たしちゃうつもり?」

 白清夙は何も言わなかった。

「遺体が見つからなかった上、彼はきっとまだ生きている。陸子秋を引き取った奴らは陸子涼のことをまったく関心していなかった。あんたは陸子涼の唯一の家族だから、君さえ希望を諦めたら、彼はどうすればいいの」梁舒任は優しく提言した。


 白清夙の瞼が震えて、そっと言った。

「小涼は戻りたくないだけかもしれない」

「なんでそう思ってるのか?」

「私の家族も私のいる場所に戻りたくないみたいに」

 梁舒任はしばらく黙っていてから、白清夙に語った。

「いや、そうは思わないよ。君は高校時代、彼にあんなことをしたのに、それでも許してくれたから、わざと君を避けているとは思わない」梁舒任は白清夙の肩をポンポンと叩いた。「あまり深く考えないで、早く家に帰りなさい。あんたの顔色が悪い」

 白清夙はようやく荷物を片付け、車を運転して、あの空っぽの寂しげな古民家の四合院へ帰った。

 庭の花が咲いている。

 白清夙は風呂に入り、客室のベッドの端に座りながら、あの古いナイトランプを見つめていた。

 あのナイトランプはもはや小涼への思いを和らげることができなかった。

 白清夙の顔が青白く、目の下が青黒かった。彼はゆっくりと立ち上がり、客室から出て、果樹園を通り抜け、あのレンガ造りの倉庫に辿り着いた。

 あの日以降、倉庫には鍵がかかっていなかった。

 白清夙が毎日来るから。

 オフィスで寝ていても、毎日ここに来ている。

 倉庫の中に、以前焚いた線香のかすかな香りが漂っていた。白清夙は紙紮人形の横を通り、階段を下りて、地下室に辿り着いた。

 白清夙の体が長年の習慣を覚えていたようで、足は自動的に陳列棚の前に向かい、あの最も目立つ美しいステンドグラスの箱を触った。

 白清夙は、空気が長年にわたって貴重な金メダルにダメージを与えることを心配したので、箱を開けることを惜しんでいた。従って、いつもグラスの箱に触れただけで、グラスの箱の蓋越しに小涼からのプレゼントを見ていた。

 しかし、梁舒任が彼に陸子涼のことを話したせいなのかもしれないが、心の奥底に重くのしかかる思いは、今日は特につらい。まるで沸騰するマグマのように、彼の心の奥まで浸食し続けていた。白清夙は何度も何度も堪えたが、指はグラスの箱の金属ボタンに触れることが抑えられなくなかった。

「う……」

 白清夙は急に立ちすくんだ!

 彼は家の奥へと視線を移した。

 彼はふと、段重ねの陳列棚の後ろに、一番奥の寝室から淡い光が差し込んでいたことに気付いた。

 夢幻的でロマンチックな光の跡が照り映え、壁や床に、揺らめく影が映し出された。

 誰かが寝室に置いている古いナイトランプのスイッチを入れた。

 白清夙の心臓の鼓動が突然激しくなった

 彼は歩みを進め、光の跡に近づけば近づくほど心臓の鼓動が速くなっていった。

 そして、ベッドの上の人が彼の目に映った。

 あの見慣れた姿の人はベッドに横たわり、熟睡していた。

 それは彼の小涼だった。

 白清夙はその場でぼう然としていた。ほんの一瞬、どこの悪霊が彼のために、わざと幻覚を設けたと疑った。足を踏み入れると、危うい罠にハマってしまい、もはや自制することができなくなる。

 しかし、この静かな地下室で、彼は陸子涼の呼吸が聞こえた。

 彼は陸子涼の呼吸を覚えていた。

 彼は陸子涼の体中のすべてを知り尽くした。

 白清夙はベッドまで歩いて行き、ベッドの上の人をじっくりと見つめた。柔らかい黒髪、長い眉、濃いまつ毛、しっかりとした鼻、薄くて美しい唇……見た目が正しい。

 白清夙は思わず手を伸ばし、指先が小さく震えて、そっと柔らかい頬をつまんでいた。

 手触りも……正しい。

 これは本物の小涼だ。もろい紙紮人形に憑依したものではなく、本来の肉体を持っている陸子涼だった。

 白清夙の目がすぐに赤くなってきた。

 彼はベッドの端に寄りかかり、彼を見つめることを止められなかった。

 おそらくあの顔をつまんでいた動きが陸子涼の気になってしまったのだろう。濃密なまつ毛がひらき始め、そして陸子涼は眠そうに目を開けた。

「……うん?」

 白清夙の喉がしめつけ、声が出るまで、長い時間がかかった。

「小涼」

 陸子涼はまばたきをして、目を覚ました。

「あれ?あなたは……今何時ですか?寝坊してしまいましたのかしら。仕事場まで迎えに行くつもりだったのに……」

 白清夙は陸子涼の腕を握り締め、喉ぼとけが動いて、呼吸が荒くなっていた。

 陸子涼は白清夙をベッドの上に引き寄せ、横になった白清夙の上に座り、彼に微笑みかけた。「あらかじめ知られましたね。驚きましたか?」

 白清夙は彼の腰を抱きしめた。「少し痩せました。病気ですか? 肉体が死んだことがありましたからか?」

 陸子涼は驚いた。

「これも触るとわかりますか?」陸子涼は身を伏せ、片手を白清夙の顔の横に置き、彼を見つめながら言っていた。「俺は今、まだ病気ですよ。しょっちゅう体が冷えて、眠たいです……でも、あまりにあなたに会いたかったから、早めに出てきました」

 陸子涼はすっかり体を柔らげ、白清夙に胸をぴったりとくっつけ、白清夙の耳元に寄せて、そっと問いかけた。「あなたは俺が元気になるまで面倒を見てくれますか?」

 白清夙の耳元がぞくぞくと疼き、陸子涼の腰に腕を回した。

「ええ。君が元気になっても、君の面倒をずっと見ますよ」

 陸子涼は微笑んでいた。

「あなたは俺をずっとここにいさせてくれますか?」

「私は君をいつまでもここにいてほしいです」

 陸子涼は再び体を支え上げ、白清夙の顔を見つめた。白清夙はこの間明らかにしっかり休んでいなかった。陸子涼の親指は、彼の目の下のかすかな青黒をこすり、彼の顔をとても優しく撫で、そっと問いかけた。

「俺がいない間に、密かに誰かを殺してませんか?」

 白清夙は彼から一瞬も目を離せず、正直に答えた。「誰も殺してないです」

「王銘勝を殺しに行ってないんですか?」

「行ってないんです」

 陸子涼が指で彼の黒髪を梳いた。

「我慢できましたね」そしてついに顔を俯け、彼の唇にキスをした。「いい子です」

 白清夙は両手で陸子涼のお尻を押さえ、まだまだ足りない気分だった。「私が殺してないと言ったら、信じてくれますか」とそっと問いかけた。

「うん」陸子涼は目を細めて、微笑んだ。「俺はあなたが約束を守れると信じています」

「でも王銘勝は実際に殺されました」

「彼は自業自得ですから。その犯人があなたじゃないならいいです」

 陸子涼は俯いて、もう一度白清夙の唇を塞いだ。熱い舌が入り込み、恋人のと絡みついていた。彼は口づけをしていたら、笑いかけた。

 あのころの甘酸っぱい恋がようやく実った。子供の頃に望んでいた、自分だけに属し、分けられることのない愛は、大人になってから本当に叶う日が来たのだ。

 かつて絶望だったところがここに辿り着く道になっていた。暗闇を通り抜け、深淵を渡り越えた。今から振り返ってみると、心が安らいだ。

「俺たちの間に、赤い糸が繋がっていることを知っていますか?」

 翌朝、朝食のとき、陸子涼は笑顔で白清夙に伝えた。

「とても軽く見えますが、実はすごい重たい赤い糸なのです」陸子涼は麺を啜りながら、頬が膨らんで言っていた。「あなたが知らない間に、俺たちの指にペアリングがはめられていましたよ」

「一度は見えたけど、今また見えなくなりました」白清夙は言った。

 陸子涼は眉を動かした。

「ガッカリしましたか?大丈夫です。あなたがお仕事に行ってから、俺はすぐに指輪を買いに行きます。お仕事が終わって、家に帰ったらつけてあげますから」

 白清夙は自分の分の卵を彼の茶碗に入れた。

「私、この数日間は強制休憩です」

「強制休憩なんて、何かやらかしましたか?」

「たくさんやりすぎたから休まれました」

「ハハハハ──」

「君がいないとき、いくつかのレシピを見ていましたが、チキンが食べたいですか」

「また殺されるべき鶏がいますか」

「そう」

「いいですよ。あなたの腕が上がるかを見せてみましょう」

 寂しげな古民家の四合院がまた優しい温もりに満たされている。

 長い間、薄暗かった家の明かりが毎日つけられるようになった。

 暖かい春がやって来た。

 日差しが降り注ぐ果樹園で、木が芽吹いている。

 来年の柿はきっと甘くて、たくさん実るだろう。






<終>

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赤い糸の繋がる先は殺人鬼 冰殊靛/KadoKado 角角者 @kadokado_official

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