桜の精霊

夏目碧央

第1話 桜の精霊

 上京して5年。夢を持って田舎を出て来たのに、その夢は打ち砕かれた。もう頑張れない。親しい友人もいない。彼氏もいない。親には上京を反対され、そのまま断絶状態。ここにいても仕方ないけれど、田舎に帰るわけにもいかない。途方に暮れた。

 とりあえずバイトでもして生活費を稼ごうとは思うが、生きている意味が分からなくなって、働く気力が沸いてこない。欲しい物もない。ただ、お腹が空くから食べ物を食べるだけの生活。もう、疲れた。生きるのを辞めようか。


 ふと窓の外を見ると、目の前の桜並木が目に入った。ああ、そろそろ桜の季節だ。どうやら咲いている花もちらほら。2分咲きくらいだろうか。

 真夜中の12時。何となく桜を見たくなって外に出た。真夜中なので誰もいない。川沿いの並木道は、満開時には昼夜を問わず人で一杯になるのだが、その時季はまだだ。

 パーカーのポケットに両手を突っ込み、ゆっくりと歩いた。2分咲きだろうと花は綺麗だ。街頭に照らされた花びらは、淡く光っている。てくてく歩いて行くと、一本だけほぼ満開の桜の木が目に入った。なぜこの一本だけ?吸い寄せられた。

「うわー。」

下から見上げると、幾重にも重なった花が壮麗で、思わず声が漏れた。


 すると、クスッと笑う声が聞こえてきて、びっくりした。声は足下からした。上ばかり見ていて気づかなかったが、何と木の下には人が座っていた。

 桜の精霊かと思った。木の根元には大きな石があって、そこに腰かけていたのは若い男性だった。ゆるくパーマのかかった淡い茶色の髪、白い大きめのワイシャツ、薄紫色のズボン、白い靴という出で立ち。

「あ、あの、こんばんは。」

思わず挨拶をした。そして気づいた。自分が泣いている事に。慌てて涙を両手でぬぐった。

「こんばんは。」

思いの外低い声が返ってきた。そして、またクスッと笑う。何?何だろう。

その人は立ち上がり、木に手を添えた。

「この子はね、もうすぐ寿命なんだ。だから咲き急いでるんだよ。」

慈しむような眼差しで木を見る。

「詳しいんですね。」

とりあえずそう言うと、その人はこちらを見て、ただ微笑んだ。

「ずいぶん思い詰めた顔をしてるね。」

「え?」

「君も、最後に華々しく咲いてみたら?散るのはそれからでもいいんじゃない?」

死のうと思っている事を、見透かされているのか。

「華々しくって、どうやって?」

そう問うてみた。別に、答えは期待していなかった。だが、その人は具体的な事を言った。

「外国に行ってみなよ。行ってみたい所ない?」

「外国、ですか?でも、そんな余裕は・・・。」

「いいじゃん。先の事なんて考えずにさ、お金ぜーんぶ使って行っておいでよ。細々と生きて行くより、いっそ最後にパッと散ってさ。」

いい加減な事を言ってくれる。だが、とても綺麗な顔で言う。

「でも、怖いって言うか。」

「何が怖いの?死ぬかも知れない?死にたいんだったら好都合じゃん。」

そんな事を、ニッコリ笑って言う。確かに、ここでただ死ぬよりも、最後にお金全部使って、行きたい所に行ってみるのもいいかもしれない。

 そう思った矢先、風がどーっと吹き、桜の花びらが何枚か散った。それを眺めていると、彼は消えていた。やっぱり桜の精霊?


 アフリカのサバンナへ行ってみたいと思っていた。思い切って行ってみた。もう先の事なんてどうでもいい。そして、キリンを見た。思い残すことはない。

 日本に帰ってくると、空港で1枚のポスターに目が留まった。

―青年海外協力隊 募集―

開発途上国における、人助けのための活動・・・。自分の知識や経験が活かせるかもしれない。

 夢には挫折したけれど、それまでの努力が無意味だったとは思いたくない。夢のためにした努力が、活かせるかもしれない。これからは、ここに人生をかけてみようか。


 あの夜の散歩が、人生を変えた。終わらせようと思った人生、実は無限の可能性があった。死に急ぐことなかれ。どこか遠くで、誰かがあなたを待っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

桜の精霊 夏目碧央 @Akiko-Katsuura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ