深夜のコーヒースタンド・ストレイキャット
八百十三
深夜のコーヒー
「んん……」
ある日の深夜、自宅にて。
私、
時刻は夜中の0時半。普段ならもうぐっすり眠っていてもいい時間なのだが、眠れない。
「ダメだー、寝れない。なんでだろ……」
格闘しててもなかなか寝付けなくて、私はベッドから起き上がった。パジャマを脱いで、靴下を履き、ジャージの上下に袖を通す。スマートフォンと家の鍵だけをジャージのポケットに入れて、私は玄関に向かった。
「もう、しょーがない。散歩してこよう……散歩してれば眠くなるでしょ……」
スニーカーを履いて玄関のドアを開ける。家の鍵をしっかり閉めて、階段を降りてアパート前の道へ。天気はいい、月が夜空で煌々と輝いている。
「よし。ふー……夜中の散歩も久しぶりだなぁ」
ぐ、と腕を組みながら腕に伸ばす。そうして息を吸い込むと、随分気持ちがいい。
そうして私は道を歩き始めた。ぐいぐいと道を歩いていくと、身体がほぐれて程よく温まってくる。
歩き始めて20分は経った頃だろうか。いい感じに歩いて、そろそろ引き返そうか、と思い始めた頃。
「あれ?」
私はふと足を止めた。住宅街の真ん中、周囲の家々はすっかり灯りを落としているというのに、一箇所だけ、煌々と明かりが灯っている家がある。
近づいていくとますます異質さが浮き彫りになった。石造りで洋風な感じが凄いのだ。そして店の前には立て看板が出ていて、どことなく拙い文字でなにやら書かれている。
曰く、「コーヒースタンド ストレイキャット 温かいコーヒーあります」。
「こんな店、こんなところにあったっけ。てか、この家……」
私は家の前で首をひねった。この道は散歩で時折通るから、この周辺の家々がどんな感じかというのは知っている。前に通ったのは一昨日くらい、こんな家があったら確実にその時に気付いている。
だが、それはそれとして。この石造りでクラシカルな感じ、ちょっと可愛いとも思えてしまう。木製のドアも随分とオシャレな感じだ。
「可愛い感じだし、ま、夜中にコーヒーってのも、いいか」
「OPEN」の木札がかかった扉に手をかけて、ゆっくりと開く。当然、中もしっかり暖かかったし暖房が効いていた。
「おじゃましまー……」
「おや、いらっしゃいませ」
そして扉を開けて中を覗き込むと、店主らしき人物が私に声をかけてきた。だが、その店主の姿を見るや私は覗き込んだ姿勢のまま、目を見開いて硬直する。
「えっ」
驚きのあまり言葉を失っている私に、猫の店主はにっこりと微笑みかけてきた。
「ようこそ、『コーヒースタンド ストレイキャット』へ。どうぞ、こちらのお席へおかけください」
「えっ」
全くなんでもないことのように、カウンター席を勧められる私。戸惑いながらも店内に入り、指し示されたカウンター席へ。席の造りは普通に人間も座れる感じだ。横を見ると随分小さな、それでいて背の高い席もあるが。
なんだ、この店は。そしてなんだ、この店主は。
「
「はい。正確には、
目を見開いたままで驚きのままに問いかけると、猫の店主はこくりと頷いて笑みを見せた。なるほど、ケットシー。妖精ならまぁ、服を着ていて二足歩行していてもいいか。
すると店主は、なにやらカウンターの内側でごそごそすると、一枚の紙を差し出してきた。猫型に切り抜かれて、中央部になにやら書かれている。看板にあった拙い文字そのままに、「ミロ・カッツェ」。
「申し遅れました、ミロ・カッツェと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「は、はい、どうも」
どうやらこの紙が名刺ということらしい。名刺まで出してくるとは律儀な店主だ。名前以外の情報が書かれていないので、名刺としてどれだけ機能するかは不明だが。
と、私の顔を見たミロが、こちらに指先を向けながら言ってきた。
「それにしても、このスタンドを見つけられたということは、だいぶお疲れでいらっしゃいますね? そして最近寝付きが悪くていらっしゃる」
「え、そうですけどなんで分かったんですか」
ミロの発言に私は思わず声を上げた。一発で見抜かれた。
たしかに最近、仕事が忙しくて疲れている感はある。寝付きが悪いのはもう今さらだ。しかし、何もそのことについて話していないのに、分かられたのは何故だろう。
私の疑問に、ミロが両腕を広げながら言った。
「このお店を見つけられる方というのは、大概そういうお悩みを抱えていらっしゃいますので……いえ、むしろ逆でございますね。そういうお悩みをお抱えの方の前に、このお店は
その言葉に、私はぽかんと口を開くしかなかった。
ケットシーがやってるコーヒースタンドという時点で既にあれだが、人間の常識で考えていい店ではなさそうだ。普通、ありえない。
と、ミロが私に背を向ける。後方に置かれたたくさんのガラス瓶を見上げつつ声を漏らした。
「さて……お客様を拝見するに……」
呟きながら、一つの瓶を取ってカウンターの上へ。また一つ、そしてもう一つ。中にはいずれも、豆の状態のコーヒー豆が入っている。
ガラス瓶の蓋をミロが開ける。そしてその中にスプーンを入れて、コーヒー豆を取り出してはアンティーク調のコーヒーミルの中へ。
「ブラジルをベースに、インドネシアを少々……そしていくらかのコロンビア。こんなところでしょうか」
「え、この場でブレンドしているんですか?」
ミロの行動に私は目を見開いた。コーヒー豆のブレンドなど、専門のブレンダーがいるくらいには専門的な仕事のはずだが、それをこの場で、即興でやってみせるなど。
コーヒー豆の瓶の蓋を閉めて、棚に戻しながらミロが笑う。
「ええ、お客様に合わせて挽く段階でブレンドしております。煎りは全てシティローストで統一させていただいておりますが」
そう話しながら、ミロはミルの取っ手を回し始める。ごりごりという重厚な音が、静かな店内に優しく響いていた。十数秒、じっくりと丁寧にミルで豆を挽いたミロが、ミルの下部分の引き出しを開ける。そこには中細挽きに挽かれた豆が、こんもりと山を作っていた。
「このような感じの香りでございます。どうぞお試しを」
その豆の入った引き出しを、私の方に出してくるミロ。香りをかぐと、ほんのり花のような香りが香ばしい香りと一緒に立ち上った。
これは、随分私好みの香りだ。こうした夜中に飲むにもいい。
「あ……いい香り。ホッとしますね」
「それは良かった。では、抽出いたします」
私の言葉にホッとした表情を見せると、ミロはドリッパーを手に取った。ペーパーフィルターを置いてお湯で湿らせ、そこに挽いた豆を入れる。軽く均してから、お湯を落として抽出を始めるミロに、私はそっと声をかけた。
「
「ええ、
私の問いかけに、ミロは苦笑しながら返してきた。なるほど、そういう理屈か。たしかに猫又を描いた小説や漫画で、彼らが食べるものに人間が気を使っている様子はない。実際に会ったことがないからリアルでは分からないが。
二段階に分けてゆっくりお湯を落とし、抽出は終了。ポットからアンティークな感じのコーヒーカップにコーヒーを移し、そこにミルクをひとたらし。そうしてちょっと明るい色合いになったコーヒーカップを、私にすっと差し出してきた。
「さあ、どうぞ。ごゆっくりお召し上がりになってください。シュガーはこちらをお好みで。ミルクは先んじて入れさせていただいております、ご容赦ください」
「あ、ありがとうございます」
お礼を言いつつカップを受け取る。そしてカウンターの上のガラス製のシュガーポットから、ザラメ糖をひとすくい。入れて混ぜて、溶かしてから飲むと、しっかりした苦味の中に砂糖とは違う甘みを感じた。そしてそれらの味わいを、ミルクが支えつつまろやかにしてくれる。
美味しい。純粋に美味しい。
「あっ……美味しい。私の好きな感じだ」
「ホッといたしました」
私の言葉に、ミロがにっこり微笑みながらペーパーフィルターをドリッパーから外した。それをカウンターの内側に置いてあるらしいゴミ箱に入れるミロを見つつ、コーヒーをゆっくり飲みながら私はこぼす。
「でも、大丈夫かなぁ、こんな時間にコーヒーなんて」
「ああ、そこはご心配なく。適切な飲み方をすれば、むしろ入眠を助けるものとなりますから。このサイズのカップでお出ししているのも、それが理由です」
ミロ曰く、コーヒーに含まれているカフェインは血管拡張作用があり、飲みすぎなければ逆に眠りにつきやすくなるんだそうだ。おまけにコーヒーの香りで気分も和らぐとのこと。
それは知らなかった。寝る前にカフェインはよくない、という話しか気にしてなかったから、意外も意外。
そうしてコーヒーをじっくり楽しんで10分ほど。飲み終えた私はカップをそっと返しながら頭を下げた。
「ふう……美味しかったです、ありがとうございます」
「いえいえ。よい眠りがありますように」
カップを受け取ったミロが再び微笑んでくる。なんならミロを膝に置くなどして寝てしまいたい気分だが、さすがにそれは無理がある気がした。
と、そこで思い出す。こんなつもりじゃなかったから、鍵とスマートフォンしか持ってきていない。家に取りに戻るにしても、またこの店に来れる気がしない。
「あ、お代は……財布持ってきてない」
「ああ、問題ありませんよ。そもそも人間の方からお代を頂くことは考えておりませんから」
困惑する私に、ミロがゆるゆると首を振った。曰く、この店は人間以外の存在も相手にすることが常だし、ケットシーである故に人間の世界の通貨は持っていてもしょうがないんだとか。それでどうやってコーヒー豆を仕入れているのか気になるが、「企業秘密です」と言われてしまった。
はー、と息を吐く私に、ミロがいたずらっぽく微笑みながら言ってきた。
「それに、お休み前の深夜のお散歩に、スマートフォン以外のものは邪魔でしょう?」
「はは……確かに」
ミロの言葉に、私もつい笑みがこぼれた。確かに、深夜の散歩に余計なものは要らないわけで。
ともあれ、もういい時間だ。私は席を立って店の扉を開ける。外は相変わらず冷えた空気だ。
「じゃあ、ごちそうさまでした」
「ええ、またのご来店の機会があれば、その時はなにとぞ」
私の言葉に、ミロが深く頭を下げながら返してくる。扉をくぐり、後方で閉める。家に戻るために歩き始めて、振り返ったがまだ「ストレイキャット」はそこにあった。やはり、夢ではなかったらしい。
「ふう……いいお店だったな」
ここまで来たらあとは家に帰って寝るだけだ。胃の中からぽかぽかと温かい、先程までよりはゆっくり眠れそうだ。
「ブラジル、インドネシア、コロンビアだっけ、あの豆……ちょっと探してみようかな、今度」
歩きながら、ミロがブレンドしてくれた豆のことを考える。今度コーヒーショップにでも行ってみて、買ってみようかと思ったりもする。
ただ、また「ストレイキャット」に行って淹れてもらって飲んだ方が、確実にあの味には出逢えそうだ。
また機会があれば行ってみたい、そう考えながら、私は明日も深夜の散歩をしようかと決めるのだった。
深夜のコーヒースタンド・ストレイキャット 八百十三 @HarutoK
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