捜し物は夜中のうちに

森陰五十鈴

深夜の散歩でのこと

 まだ高校生の身分ではあるが、夜に散歩するのが好きだった。

 制服を脱ぎ捨てた千景ちかげは、ポニーテールはそのままに、白のシャツに黒のワンピースを重ねて、夜の住宅街を歩いていた。

 時刻はもう日付が変わる頃。街頭が道を照らし、ひと一人通る者のいない。ひたひた、とアスファルトの上をスニーカーが踏みしめる音だけが路地に響く。

 まるで世界で自分だけになったよう。その寂しさに酔いしれて、千景の足取りは軽くなる。誰かの家の庭から伸びた枝の隙間から覗き込んだ満月と目が合って、千景は目を細めた。千景一人の夜の世界において、南天に佇むその存在が、いささか不躾に感じて。


 ――ぐすん。


 月を睨みつけていた千景の耳が、誰かの泣き声を拾った。視線を下ろし、道の先を見透かす。二本離れた街灯の下に、人影があった。電柱にもたれるように立ちすくみ、両手で目元を拭っている。

 千景は、そっと人影の元へと向かった。

 ショートヘアの少女だった。千景の目線までの背の高さ。年齢は同じくらい。暗紅色のブレザーは、千景の通う高校と同じ制服だ。

 訝しげに目をすがめる千景に気付いてか、少女が顔を上げた。幼い顔立ちに、千景は思わず目をみはった。


「……宮下さん?」


 知った顔に名を呼べば、少女は一度涙に濡れた目を瞬かせた。


「お姉ちゃん、誰?」


 見た目以上に幼い口振りに、千景は一度口を閉ざし眉をひそめる。しばし言葉を探して逡巡し、


「ここで何をしているの?」


 と、ただそれだけを少女に尋ねた。


「あのね、ぬいぐるみ、落としちゃって」

「ぬいぐるみ?」

「アメッピの」


 それは、ちまたで人気のキャラクターだった。コンビニやファミレスなどで頻繁にコラボをやっていて、興味のない千景でもその存在くらいは知っている。


「キーホルダーになっててね、カバンに吊るしてたんだけど、いつの間にかなくなってたの」


 せっかくお父さんに買ってもらったのに、と少女は俯いた。その目の端に再び涙が盛り上がる。

 その頭頂部を見下ろしていた千景は、溜息とともに肩をすくめた。捜し物なら日のあるうちにした方が良い。しかし、その正論は通じないだろう、と少女の様子から瞬時に判断した。

 だから、仕方なく千景は提案する。


「一緒に捜してあげましょうか」

「本当?」


 見上げる少女に頷けば、彼女は安堵の息を漏らした。


「ありがとう。本当はね、暗い中一人で怖かったの」


 二人で連れ立って夜道を歩く。車がすれ違える程度の道幅には、ぬいぐるみどころか、捨てられたごみさえ見当たらなかった。

 一歩一歩と進むに連れて、少女はその幼い顔に不安げな表情を浮かべる。千景もまた、捜し物が見つかるのかと疑い出した。それだけ通りには何もない。しかも、何処で落としたのかも分かっていない。ただ少女が通ったという道筋をさかのぼっていくだけだ。

 あてのない道行きを、満月がせせら笑って見下ろしている。


 住宅街の狭い通りから、二車線道路へと出た。街灯が増えて明るくなった灰色の世界。通る車はなく、車道側の信号は黄色に点滅している。

 赤信号の横断歩道の直ぐ手前、まだ花をつけていないツツジが植わった花壇の縁に、手のひらサイズの水色のヒヨコが座り込んでいた。葉っぱを乗せた頭にボールチェーンが付けられており、少女の捜し物の特徴と一致していた。


「あった!」


 少女は飛び跳ねんばかりに喜んで、ヒヨコのぬいぐるみを拾い上げる。それから己の手に乗せて、千景に見せた。


「あったよ!」


 ビーズの黒い瞳が、千景のことを見上げていた。


「良かったわね」


 気のない返事をする千景だが、少女は気にした様子もなく、ぬいぐるみを持って本当にぴょんぴょんと跳ねる。


「さあ、これで帰れるわね?」


 千景の声がけに、うん、と元気よく少女は返した。


「一緒に探してくれてありがとう」


 そう手を振って、少女は青信号に変わった横断歩道を渡っていった。

 そんな彼女に手を小さく振って応えた後、千景は歩道の端に視線を落とした。アメッピがいなくなった花壇の側に、透明なガラスの瓶とそこに差された菊の花がある。


「……無事に帰れるといいわね」


 誰もいない中そう呟いて、千景は踵を返した。




 翌朝。

 暗紅色のブレザーに袖を通した千景は、通学鞄を片手に歩いていた。差し掛かったのは、昨夜少女と別れた横断歩道。通勤ラッシュの時間帯。青信号の往来は、激しく車が行き交っていた。押しボタン式の信号がなければ、とても対岸に行くことなどできない。


 ――この横断歩道で死亡事故があったのは、二週間ほど前のことだったか。


 今のような通勤時間帯の朝のこと、青信号の横断歩道を渡っていた登校中の小学生の女の子が、スピードを出していた自動車に轢かれたのだ。

 痛ましい事故はたちまち近所で話題になり、あっという間に沈静化した。今残されているのは、少女を悼む道路脇の花と、その傍の街路樹に立てかけられた目撃者を求める看板だけだ。


 千景はその看板をしばし眺めた後、横断歩道の押しボタンを押すことなく、歩道を歩き始めた。その耳に、カッコウの鳴き声を模した電子音が飛び込む。何気なしに顔を向けてみると、青信号の横断歩道を渡る、同じ制服の女子高生が見えた。

 その童顔の女子高生は、横断歩道を渡り終えた先で千景の姿を認めると、小走りにこちらに駆け寄った。


「おはよー、暮葉くれはさん」


 少し乱れたショートヘアを手櫛で整えながら、少女は高い声で千景に挨拶する。


「おはよう、宮下さん」


 足を止めて同級生に挨拶を返した千景は、その宮下の姿を眺めた。昨晩遅くに出歩いていたのにもかかわらず、彼女は寝不足もなくすっきりとした様子だ。


「昨晩は、無事に帰れた?」


 問い掛ければ、


「え? 昨日の夜は何処にも出掛けてないよ?」


 宮下は首を傾げた。嘘を付いた様子のない彼女の反応に、千景の口の端が持ち上がった。


「何もなかったのなら、良かったわ」


 ――彼女は、自分が霊媒体質なのを知らない。

 何も覚えていないというのならば、それは全て何事もなく終わったということなのだ。

 あの少女も、きっと成仏していることだろう。大事なアメッピのぬいぐるみを持って。


 千景の反応にますます首を傾げる宮下だったが、千景は彼女の疑問には応えることはせず、学校までの道のりを先に行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

捜し物は夜中のうちに 森陰五十鈴 @morisuzu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ