【KAC】深夜散歩で作家の私に起きた事

斜偲泳(ななしの えい)

第1話

 田中真弓が深夜の散歩を好むのには幾つかの理由があった。

 例えば彼女は夜型で、新進気鋭のホラー作家だった。

 作家という生き物の多くはネタに詰まると散歩に出て天啓的にアイディアを得る。

 他にも、多くの作家がそうであるように真弓は陰キャのコミュ障の人間嫌いで、昼間に散歩をしているとなんとなくやましい気分になる。


 深夜に若い女性が独り歩きをするのは危険だという意見があるのは分かっているが、この辺は治安の良い閑静な住宅街だし、そんな事を一々気にしていたら女性は皆夜の散歩も出来ない事になってしまう。

 大体、真弓はこの辺りで夜の散歩をしていて危ない目に遭った事など一度もなかった。


 少なくともこの時までは。


(………………いやだなぁ)


 頭の中でアイディアを捏ね繰り回していた真弓は、ふと後ろの方に人の気配がある事に気づいた。

 近くはないが遠くもない、絶妙な距離。

 こんな時間に人と出くわすのは珍しいが、全くない事でもない。

 とは言え、嫌なものは嫌だし、なんとなく気まずい。

 これでは気が散ってアイディア出しに集中出来ないので、真弓は速度を落として相手を先に行かせる事にした。


(………………?)


 暫く歩いてみるが相手との距離が縮まる気配はない。

 ならばと思い、今度は速度を上げてみるのだが、やはり距離が離れた様子はない。


(………………もしかして、つけられてる?)


 泡のような恐怖がふつふつと沸き立つ。

 まさか、考え過ぎだろう。

 ホラー作家の悪い癖だ。

 なにかあるとすぐに悪い方、怖い方へと考えてしまう。

 真弓は怖がりな女だった。だからこそ、怖い話を思いつく。

 相手との距離だって、背中越しだから正確な所は分からない。

 あからさまな態度を見せるのは気まずいので、速度の調整もそれ程大きくはなかった。

 ただの思い違いという事も十分にある。


(………………女の人かもしれないし)


 たまたま帰り道が同じだった終電帰りの女性が心細くて後ろを歩いているだけかもしれない。真弓にもそう言った経験はある。


 だが、そうでなかったら?


 一度生まれた恐怖の芽は真弓の豊かな想像力を栄養にして不気味に育っていく。

 振り返って相手を確認したい衝動に駆られるが、それはそれで自意識過剰なような気がして気恥ずかしい。


(………………大丈夫。ただの考えすぎよ)


 真弓はそう思う事にしたが、怖い気持ちが消える事はない。

 考え事をする気分でもなくなり、真弓は恐怖心を紛らわせる為にスマホでツイッターを見てみる事にした。

 いざとなれば、こちらはすぐに警察を呼べる。そういうアピールもある。


 フォローしている神絵師の絵や作家仲間のくだらないツイート、トレンドのニュースなどを見ていると段々気持ちが落ち着いてくる。


 後方の誰かは相変わらず着かず離れずの距離を保っているが、ただそれだけだ。

 心配しなくてもその内どこかの角で別れる事になるだろう。

 そう自分に言い聞かせていると。


(………………ぇ?)


 信じられないニュースが真弓の目に飛び込んできた。

 一時間ほど前、若い男が刃物で女性を刺して逃げたという内容だった。

 近所という程ではない。

 だが、無視できる程遠くもなかった。


 ギョッとして、思わず真弓は振り返った。

 そこには若い男が立っていた。

 ニュースによれば、犯人は長身で黒っぽい服を着ているらしい。

 男は長身で黒っぽい恰好をしていた。


(………………偶然よ)


 真弓は必死に言い聞かせた。

 だが、無理だった。

 真弓が振り返るのを待ち構えていたように、男はその場で立ち止まっていた。

 その瞬間、空気が凍ったような気がした。

 マスクで口元は見えないが、冷徹そうな目は確かに真弓を凝視していた。


「ひぃっ!?」


 驚いた拍子に真弓はスマホを取り落とした。

 それを拾う事は出来なかった。

 いきなり男が走り出したからだ。


「――ッ!?」


 真弓は一目散に逃げだした。

 ヤバイヤバイヤバイヤバイ!

 なんで、どうして!? よりによって自分が!?


 ここは閑静な住宅街だ。大声を出せば誰かが助けてくれるはず。

 だが、恐怖で喉が引き攣ってほとんど声が出なかった。


 真弓は必死に走った。

 男も走って追いかけて来る。


 火事場の馬鹿力とでも言うべきか、真弓は運動不足の作家だが、その時は自分でも信じられない速度で走る事が出来た。


 お陰で男との距離は離れたが、こんな速度はいつまでもは持たない。

 あっと言う間に息が上がり、心臓が爆発しそうになる。

 とにかくどこかに逃げないと! でも何処へ?


 住宅なら幾らでもあるがドアには鍵がかかっているだろう。

 インターホンを押しても家主が出て来る前に追いつかれて刺されては意味がない。

 どこかないか? どこか安全な場所は!?


 それでふと、真弓は近くに行きつけにしているコンビニがある事を思い出した。

 そこまで行けば流石に通り魔も追ってこないだろう。

 追って来たとしても、店員に助けを求める事が出来る。

 真弓は死にもの狂いで走りコンビニを目指した。


「だじげでぐだばあい!」


 緩慢な自動ドアの空いた隙間に身体を捻じ込むようにして店内に転がり込むと、真弓は息切れの合間を縫うようにして叫んだ。

 だが、店内は無人だった。レジすらも。

 どうして!?

 真弓が絶望していると、


「らっしゃーせぇ!?」


 裏でサボっていたのだろう。

 チャラついた店員が携帯を片手に店の奥から飛び出してきた。


「うぇ? お姉さん、どうしたんすか?」


 力尽きてへたり込む真弓を見て、驚いた様子の店員が尋ねる。


「ぜぇー! ぜぇー! ぜぇー! すの! りま……んが……ぜぇー! おわ、ぜぇー!」

「え?」


 真弓が必死に訴えても店員は怪訝な顔をするばかりである。

 どうしてわかってくれないの!?

 真弓は急かす気持ちを押さえて必死に息を整えた。


「ニュースの! 通り魔に! 追われてるんです!」

「……はぁ」


 今度はちゃんと言えたはずだが、店員の態度は相変わらずだ。


「はぁ、じゃないですよ! ニュース見てないんですか!? 近くで通り魔事件があって、その犯人に追われてるって言ってるんです!」

「いや、そのニュースは知ってるっすけど……」


 困惑した様子で頭を掻くと店員が持っていた携帯を真弓に向ける。


「その犯人、さっき捕まったみたいっすよ?」

「………………え?」


 画面に映し出されたニュースサイトには確かにそう記されている。

 では、あの男はいったいなんだったのだ?

 茫然としていると、不意に背後で自動ドアが開いた。


 振り返るとあの男がいた。


「ひぃっ!? この人です! 通り魔! 来ないで!?」

「えぇ? 先輩が通り魔? どういう事っすか?」


 男に向かってブンブンと指を振り回す真弓を見て店員が首を傾げた。


「せん、ぱい?」


 真弓が愕然とする。

 じゃあ、この店員もグルなのか?

 このまま私は店の裏に連れ込まれて同人誌みたいな事をされてしまうのか!?


 などとわけの分からないことを考えている真弓に向かい、先輩と呼ばれた男が右手を差し出す。


「……あの、携帯、落としましたよ」

「………………へ?」

「………………その、自分、ここの店員で。常連さんが夜中に一人で歩いているから心配で……後ろから見守ってたら勘違いさせちゃったみたいで……。すいませんでした……」


 申し訳なさそうに男が頭を下げる。

 思わずキュンとするような低音の渋い声だった。


 それでようやく真弓は気づいた。

 男は以前から真弓が良いなと思っていたイケメンの店員だった。


 物静かで不器用そうででも優しくて気が利いて……正直めちゃくちゃタイプだった。

 だからあまり顔を直視出来なかった。

 外は暗かったしマスクをしていた事もあり気づくのが遅れてしまったらしい。


「………………あ、あばばばば、わ、私ったらなんて勘違いを! ほ、本当にすいません! ごめんなさい!」

「……いえ。脅かした自分が悪いんです。怪我とかしませんでしたか?」


 心配そうに男が手を差し伸べ真弓を立たせる。

 あぁ、なんて力強い二の腕なんだろう……。


「……ぃ、ぃぇ、へ、平気でつ……」

「……そうは見えません。自分のせいですし、気分が落ち着くまで裏で休んでいった方がいいと思います。……その、嫌でなければですけど……」


 力強い男の目元には真弓を案じる紳士な優しさがあった。


「……嫌じゃないでつ……」


 気が付けば、真弓は男の大きな手を握っていた。


「ひゅ~」


 と、店員が冷やかすように口笛を吹く。


「先輩、店は俺が見てるんで、お客さんが落ち着くまで裏で見ててあげたらどうっすか?」

「……いいのか? もう上りだろ?」

「いいっすよ。先輩にはいつも世話になってんで。今月厳しいし、残業代欲しかったんすよね」


 ヘラヘラした態度で言うと、チャラついた店員が真弓にこっそり片目を瞑った。


(………………グッジョブ! チャラいなんて思ってごめんなさい!)


 そう思いつつ真弓はこっそり親指を立てて答える。


 真弓は男と店の裏に入り、小一時間程話す事になった。

 そして連絡先を交換して、常連以上、恋人未満の関係になったのだった。


 とりあえず、今の所は。



 †



「な~んて事にならないかしらん!」


 深夜の散歩中に思いついたアイディアを纏めると、恋愛小説家の林綾子はうっとりと一人ごちた。


 編集にホラー風のラブコメを書いて欲しいと頼まれた時は困ったが、中々どうして悪くない話に仕上がったのではないだろうか?


 流石私! 天才だ!


 編集には危ないから夜の散歩はやめてくれと言われていたが、やはりアイディア出しにはこの方法が一番である。


 確かな手ごたえに満足し、綾子は散歩を切り上げようと振り返った。


 ドス。


「へ?」


 物思いに夢中で気づかなかったが、すぐ後ろに誰かが居た。


「許さない」


 見知らぬ女は手に持った包丁を綾子の腹に捻じ込みながら呟いた。


「……な……んで……?」


 腹部に広がる激痛に腰が抜けてへたり込む。

 わけの分からない綾子に向けて、女が再度包丁を振りかぶる。


「よくも私の優斗様をあんなビッチとくっつけたな! 優斗様は私の恋人だったのに! 死ね! 死んで地獄で詫び続けろ!」


 ザク、ザク、ザクザクザクザクザク。


「ぁ……ぅぁ……ぃや……やめ……」


 急速に薄れる意識の中で綾子は思った。


 やっぱり深夜の散歩なんかやめておけばよかったと――

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