俺はうるさいのも変化するのも嫌いなんだ
丸毛鈴
俺はうるさいのも変化するのも嫌いなんだ
深夜の散歩は快適なものだ。いつもブウブウブロンブロンゴウゴウと音をたてて走っていくデカいアレもいないし、二本足も少ない。はず、なのだが。
「ネコチャアアアアン、ンンンカワイイイイイイイイ」
意味はわからないが、そのような声を発して近寄ってくる二本足がいる。なんてこった。運が悪い。
今日はその先で集会があんだよ。どいてくれ。二本足がいくら顔ツルツルでヒゲがないからって空気ぐらいは読めんだろうがよ。だいたい俺は、うるさいのが嫌いなんだ。
「コッチムイテルウウウウウウ、ンンンカワイイイイ」
空気も読めない痴れ者が、しまいには四角い箱を出してこっちに向け始めた。よく二本足がやるアレだ。カシャカシャ音がしてうるさい。
しかたがない。集会には、縄張りをぐるっと一周してから向かうとしよう。
「アアアアアネコチャンマッテエエエエ」
その日は縄張りに他のヤツの気配があったり、においを追っていったらそいつに行きあったり、激しくケンカしたりしているうちに日が昇り、俺は何をしようとしているのか忘れ、寝床へ帰った。
****
痛い。目が痛む。足が痛む。全身が熱い。歩きにくい。なんとか寝床から出たものの、食い物にも水にもありつけない。そこかしこからよそ者のにおいがする。クソッ、このへんは俺の縄張りのはずなのに。あのよそ者と一戦まじえてからこうなった。俺もヤキが回ったってことか。
見慣れたはずの縄張りに、見慣れない箱のようなものがある。その先に、食い物のにおい。木の向こうに隠れてたってわかる。近くに二本足がいる。二匹。俺は風のにおいをかぐ。片方から、覚えのあるにおいがする。これはあれだ。縄張りを出てすぐのところで、ときどきデカい二本足が配っているカリカリした食い物のにおい。最近は、よそ者に邪魔されて、あれも食いに行けなくなった。ということは、ひとりはあの二本足か。あの二本足は悪い者ではないのかもしれない。なにしろまあまあ旨いものをくれる。
俺はさらににおいをかぎ、感覚を研ぎ澄ませる。箱のなかには、食い物と、水もある。食い物と、水。俺がいま、もっとも求めているもの。俺はそろそろと箱の中に入っていった。
念願の食い物に口もつけないうちに、箱が音をたてた。ヤバいと思って引き返そうとするが、外へ出られない。俺はフギャギャギャギャと声をあげ、近づいてきていた二本足に、箱のすき間ごしにパンチをお見舞いしようとした。からだがきしむ。熱い。しかしやめるわけにはいかない。こいつらは敵なのだから。
「ダイジョブヨ、ダイジョブヨ、オチツイテ、ハッチャン」
ハッチャンという響きには聞き覚えがある。この二本足は俺を見るとときどきこの音を発していた。何がハッチャンじゃ、旨いカリカリじゃ。ふざけんな出せ、出せ、出せ。俺は暴れ回った。からだが箱にぶつかった。
「オチツイテ、オチツイテ、モウダイジョウブダカラ」
こいつはこの前の深夜の散歩中に行きあった、うるさい二本足だ。顔がツルツルでうるさい上に極悪人とは。フギャギャギャギャ! 静かで快適なはずの深夜に、俺の怒りがこだました。
***
「ダイジョウブ、ダイジョウブダヨー」
「アンシンシテネ」
俺は箱ごと妙なにおいがする場所に連れていかれ、何やら布っぽいものをかけて引きずり出され、からだをなでまわされたり押されたり何か刺されたりした。そのたび俺はフギャギャと抵抗したが、極悪人どもは極悪人ゆえに俺にからだを押さえるのがうまく、抵抗はかなわなかった。
そのうち、何をされても抵抗するだけの力がなくなった。冷たくて固い場所で、俺はうずくまる。だいたいここはどこなんだ。変なにおい、変な音、知らない四本足の鳴き声。俺は変化が嫌いなんだ。やがて、二本足どもはバタバタとあわてはじめた。やめてくれ。俺はうるさいのは嫌いだ。何かを刺され、しばらくするとうつらうつらと眠くなった。
目を覚ます。
「ヨカッタヨウ、ヨカッタヨウ。モウダイジョウブダッテ」
あのうるさい二本足が、冷たくて固い箱の外から指を差し入れて、俺の前脚にふれた。パンチパンチだと思うもからだが動かない。フーッと威嚇するのが精いっぱいだ。
「ヨカッタ、ゲンキデタネ」
二本足はあいかわらずうるさい。目から光るものを流して、鼻からも何か出し始めた。それ、具合悪くなったときに出るやつじゃないのか。こいつもどこかおかしくて、だからここにいるのかもしれない。
***
からだがだいぶ動くようになると、俺はまた布っぽいもので抑え込まれ、ふかふかしたものがたくさん敷かれた箱に入れられて、外へ出た。箱の外から、あのうるさい二本足のにおいがする。ちょっと待て、俺は外へ出られるんじゃないのか、こんなところに閉じ込めて何をする。そのうえグラグラ揺れる。俺は変化が嫌いなんだ。俺はフギャーフギャーと鳴きわめいた。久しぶりだったから、喉がつぶれたみたいな声が出た。
「ダイジョウブダヨー」
二本足はときどき箱の外から俺を見てそう言った。極悪人の呪文なのか。
そのうちに、うるさい二本足のにおいが充満する場所に連れていかれた。なんてこった、知らないところだ。俺は変化が嫌いなんだ。
ちいさな箱から出されると、俺は腰を落とし、隠れ場所を探した。そのうちに、暗くて落ち着けてわりと広い、いい感じとしか言えない場所を見つけた。二本足はときどきのぞきこむが、手を出せない。フハハ! どうだ。勝ち誇ったのもつかの間、俺は腹が減ってきた。いいところに、二本足が食い物と水を差し入れる。極悪人が差し出すものなんぞ食えるかと思ったが、においをかぐとそう悪いものではなさそうなので、食った。
俺は何日かそうして過ごした。二本足はときどき、食い物と水を差し入れる。案外、気がきくやつなのかもしれない。
夜になると二本足は、俺の隠れ家の上で眠る。そうすると、俺はそろりそろりと外へ出る。思わずのぼりたくなる箱やら、ふかふかした場所やらがあってなかなかおもしろい場所だ。
そのうち、俺はいい感じに前脚でかきたくなる砂地を見つけた。そっと前脚を差し入れると、もよおすものがある。そういえば、ここへ来てから出すことを忘れていた。小便をするにも大便をするにもいい場所を見つけて、俺は得意満面だった。
朝になると、砂地の方から、「ヤットダシテクレタアアアア」と二本足の声が聞こえた。ほんとうにうるさい。俺はうるさいのは嫌いなんだ。
***
二本足のにおいが充満していたこの場所に、やがて俺のにおいも充満し、そこは俺の大きな寝床となった。昼間はぽかぽか暖かいし、まあ悪い場所じゃない。
などと思って昼寝をしていたら、透明の板の向こうに、よそ者が見える。俺はうなり、毛を逆立てた。ここは俺の縄張りなのに、なんてこった。あいつを排除せねばならない。俺は透明の板をパンチをするが、びくともしない。二本足が毎日出て行く、外のにおいがする場所へ走る。棒が立っていて、跳ねても身をくねらせても通れない。俺は閉じ込められたことに気がついた。やっぱり極悪人じゃないか!
***
外には出られなかったが、毎日、昼が来て、夜が来た。二本足はきっきと水と食い物を差し出した。カリカリしたもののほか、ジュルジュルしたのやベチャベチャしたのも、ときどき差し出す。そっちのが旨い。もっとよこせと言うがよこさない。やっぱり顔に毛がないような生き物はアホなのだろう。
二本足はアホでうるさいが、そこには、「死ぬかも」と思うような震えも、渇きもなかった。寒い夜は二本足の上に乗っかって眠るとわりと暖かかった。
毎日が同じように過ぎていく。ただ、二本足は俺がぽかぽかする場所で腹を見せてくつろいでいると、「ンンンンガワイイイイイイ!!!!!」などとさわいで、俺をうんざりさせた。
***
「クビニナッチャッタヨオオオオ」
とかなんとか、二本足は今日もうるさい。ただ、気になるのは、あの光るものを目と鼻から出していることだ。体調が悪いとしか思えない。二本足は体調が悪いとうるさくなる生き物なのかもしれない。
「ハッチャンドウシヨオオオオ」
ほんとうにうるさい。俺はうるさいのが嫌いなんだ……とはいえ、体調がよほど悪いのかもしれない。俺は同胞のよしみで、ペロペロザリザリと毛づくろいしてやった。もっとも、二本足の手には毛が生えていないのだが。
「ハッチャンヤサシイイイ、アタシガンバルウウウウウ」
二本足はますますうるさくなった。俺は何かしくじったのかもしれないと思い、以後は遠巻きに二本足を見た。
***
そうやって毎日、毎日が過ぎた。ときどき二本足はうるさくなった。が、俺が毛づくろいをしてやると、目や鼻から出る光るものが止まる。ほどなくうるさくなくなる。それに気がついた俺は、二本足がうるさいときは、適当に毛づくろいをしてやった。
***
また毎日、毎日が過ぎた。俺はときどきからだのだるさを感じるようになった。
やがて、後ろ脚に力が入らなくなった。
小便に間に合わず、途中でもらした。
毛づくろいがうまくできず、気持ち悪い。
食べ物がまずい。
二本足は、とてもうるさい。
そしてときどき、妙なにおいにする場所に連れていく。
やめてくれ。俺はうるさいのも、変化も嫌いなんだ。
***
からだが熱い。動けない。いつだったか、外でよそ者とケンカして、こうなったことがあった。
「ハッチャンハッチャン、ハッチャン」
二本足が、目から鼻から、また光るものを流している。うるさい。やめてくれ。俺はうるさいのも、変化も嫌いなんだ。だからその光るものを止めてくれ。もっと静かな声で「ハッチャン」とかいう、いつもの鳴き声を出してくれ。俺の頭を、背中を、なでてくれ。いつもどおりに、そうしてくれ。
俺はうるさいのも変化するのも嫌いなんだ。
俺はうるさいのも変化するのも嫌いなんだ 丸毛鈴 @suzu_maruke
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