満月が輝く夜空の下で

隠井 迅

第1話 祭りの後で

「みんな気を付けて帰ってね。それじゃ、また次の〈現場〉で」

「「「「じゃあね」」」」


 三月七日の火曜日に武道館で行われた〈おし〉のワンマン・ライヴの打ち上げが終わると、仲間達はそれぞれ、九段下駅から地下鉄に乗って、自宅や宿泊先のホテルに戻っていった。


 九段下駅の神保町側、A5出入口の前には、ただ一人、葵雪だけが残される事になった。

 

「ここから家までは近いし、わたしは、夜の散歩がてら、歩いて帰るとしますかね」

 葵の下宿先は、九段下駅から一駅の飯田橋駅界隈なのだ。

 飯田橋方面に向かうのならば、靖国通りと交差している道を右に曲がるのだが、葵は、飯田橋に続く目白通りを取らずに、そのまま横断歩道を渡って、左斜め方向に在る大きな玉ねぎの下に向かっていった。


 葵は、家に戻る前に、もう一度武道館の下まで行って、一人で、この日のライヴの余韻に浸らんと欲したのであった。


 武道館が入っている北の丸公園は、消灯こそされるものの、常時開放されているので、誰でもいつでも入場できる。

 

 深夜の武道館は、数時間前のライヴ終了直後の賑やかしさとは打って変わって、まさに〈祭りの後〉のような状況で、夜の静寂に覆われていた。

 そんな公園内に響き渡っているのは葵の足音だけである。


 葵が武道館の正面前にたどり着いた時、そこには既に先客がいて、武道館の赤い看板に視線を送っていた。

 〈おし〉のパーカーを着ていたその人も、葵と同じようにライヴの余韻に浸りに深夜の武道館を訪れたのかもしれない。


 なんか邪魔したくない雰囲気ね。


 その男の後方でイヤフォンを装着した葵は、満月をテーマにした曲が流れる五分の間だけ、武道館の前に居よう、と決意した。

 やがて、葵が立ち去らんとしたその瞬間、振り返った彼と葵の視線が交わった。


「満月がとても綺麗ですね」


 見つめ合う二人を、ワームムーンのこい黄色の月明かりが照らし出していた。


               〈了〉

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