マッド・ナイト・イン・バグシティ

カウベリー

AM2:53

 ここは常識以外なら何でもある街、『バグシティ』。昼だろうが夜だろうが迂闊に立ち入れば食われてしまうような怪しい店がわんさかとある。その中でも町の中心を通っている大きな一本道は、そこから伸びた数多の細道が足に見えることから『大百足通り』と呼ばれていた。

 さて、そんな大百足通りは午前零時をまわった深夜が一番騒がしい。周りにはきわどい衣装を着た男女の看板がビカビカと光り、目立つ色の法被を着た呼び子たちが誰彼構わず自分の店へと通行人を引きずり込んでいく。かと思えば、あちらこちらからラーメン、豚カツ、ケーキなど、様々な料理のいい匂いが人々を誘惑し、既に満たされたはずの食欲を強制的に活性化にさせる。そんな三大欲求の内の二つを大いに刺激しそうなこの通りで、二人の男女が歩いていた。

 一人は色付きガラスの丸眼鏡にチャイナ服と洋服をツギハギしたかのようなどこにでもいる胡散臭い男である。もう一人はバグシティでは珍しい、かっちりとしたスーツを着た真面目そうな女だった。男が何やら笑みを浮かべて女に対してあれやこれやと話しているが、女はそれを一切無視して黒いパンプスの踵を鳴らしながら速足で大百足通りを歩いていく。一見すると、真面目な女性を食いものにしようとする怪しげな男といったところだろうか。

 なんでもありのバグシティではこんな光景は珍しくない。狡猾な狐が無知な兎を食べようが、逆に兎が徒党を組んで狐に襲い掛かろうが、自分にさえ火の粉が降りかかりさえしなければ余計な口出しはしないのである。

「おい! いってぇなぁ!」

 ——そう、例え女性があからさまにガラの悪そうな男性にぶつかられ、それを理由に文句を付けられそうになっても、である。

「ぁんだ、姉ちゃんよぉ、この俺にぶつかるとはいい度胸してんなぁ!」

「……失礼しました」

「待てや! 謝って済む問題じゃねえだろうがよぉ! スーツが汚れちまっただろうがよぉ、俺の新品のスーツが!」

 勿論、スーツには汚れなど何もついていない。だが、この様な輩にそういった正論は通じない。何故なら別にスーツが汚れようが汚れまいが、金さえ取れればこの男は満足するからである。

 先ほどまで女性に話しかけていた丸眼鏡の男は何も言わず、ただ女性が男に難癖をつけられているのを震えながら見つめている。女性は男の言葉に対し、あくまで冷静に対処していたが、段々と顔が歪んできた。

「クリーニング代支払えって言ってんだろ! 十万かかるとこを五万にしてやるってんだからさぁ、つべこべ言わずに財布出せってんだよ!」

 やがて男が痺れを切らしたのか、女性につかみかかろうと両手を伸ばしてきた。――その瞬間、男の手を女性が同じように両手で掴み、そのままぎゅっと握る。途端にそれまで威勢の良かった男はその顔を苦悶に歪め、膝から地面へと倒れこんだ。

「いでっ、いででで! 痛ぇよ!」

 女性が握っている男性の手からはギシギシと骨が軋む音が鳴る。やがて骨が折れる音がして女性が手を離すと、男が痛みに耐えられず目に涙を浮かべた。その瞬間、丸眼鏡の男が耐えられないというように腹を抱え、

「アッハッハッハッハッハ! あー、マジでオモロすぎる! これだからホシちゃんと歩くの止めらんねえわ!」

「ハシブト。笑っている暇があるなら時間を確認してください」

「お、ようやく喋ってくれた。てか俺ら非番だし捕まえなくても……そんな睨むなって。えー、只今午前二時五十三分デス」

「手錠、ありますよね」

「はいはい」

 ハシブト、と呼ばれた丸眼鏡の男性がどこからか黒い手錠を取り出すと、ホシと呼ばれていた女性に渡す。それを見て男性は途端に顔を青ざめた。

「ま、待て、アンタらまさか『烏』だったのか!? この街の治安維持なんてイカレた仕事をするっていう」

「ブフッ、いまさら気づいたのかよ! 予習が足りなかったでちゅねー、坊ちゃん」

「た、頼む! 見逃してくれ! ほんのちょっとした出来心だったんだよ! こ、こんな、街に来て直ぐに地下労働施設なんて行きたくねぇ!」

「規則ですので」

「さ、さっきそこの男が非番だって言ってたぞ! こんな、人を捕まえる権限なんて、無いだろ!」

「それは外の話でしょー。『烏』はそういうの無いんだなぁ。捕まえれば捕まえるほど褒められるし。いやー、マジでウチの組織適当だよねぇ」

「……な、なぁ、頼むよ。見逃してくれよぉ!」

 男声はあらぬ方向に曲がった指と手を合わせて懇願するが、ホシはその言葉がまるで聞こえなかったかのようにその腕に手錠をはめた。

「午前二時五十三分、貴方を恐喝罪で逮捕します」

 ガチャンと冷たい金属音が辺りに響いた瞬間、男の姿が消える。後に残ったのはこれ以上なく不機嫌な顔をしたホシと、いまだに笑い続けているハシブトだけであった。

「笑いすぎですよハシブト」

「や、だって、よりにもよってホシちゃんを脅すとか……ブハッ! 駄目だ、止まんねー!」

 ヒイヒイとついには地面を蹲り始めたハシブトにホシが呆れたように溜息をつく。

 バグシティでは滅多に他人の争いに口を出すことはしない。それは単純にこの街の住民が超個人主義だから、というだけでなく、下手に口を出して治安維持機関――という名前の割には全てが粗雑でいい加減な組織――『烏』にまとめて地下労働行きにされると困るからである。

「あー、ようやく笑いが収まって来た。ホシちゃん、後どのくらいこの『散歩』ってするの」

「……四時までするつもりです。この町はトラブルが多すぎる」

「じゃああと一時間かぁ。えーと、十二時から歩いてて、さっきので三回目だから……単純計算で後一回だね!」

「何がですか」

「命知らずな奴がホシちゃんに絡んでくる回数!」

「私は貴方をその一回に含めてもいいんですよ」

 ホシが眉間にしわを寄せながら脅すように手の骨を鳴らす。だがハシブトそれを見てまた面白そうにケラケラと笑った。

 現在時刻は午前三時四分。まだ朝日が昇るのは先のことである。

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