いやじゃいやじゃ人間の子など孕みtonight
やまおか
第1話
梅雨も明けて、すっかり夏らしい空が広がるようになった。晴れた青空に入道雲を仰ぎながらスクーターで大学にむかう。
スクーターにまたがっている姿を見ては、さぞかし解放的な気分だろうと友人からうらやましがられる。しかし、実際には頭上からギラギラと照りつける日差しで肌がぴりぴりするし、下からはアスファルトの熱気でゆだりそうになる。
車道上でも肩身のせまいもので、横をクーラーをたっぷりきかせた車が邪魔そうに追い越していくものだからたまらない気持ちになる。
とまあ、スクーター乗りによくある愚痴を吐いたところで話を変える。
バイトを重ねてようやく購入したスクーターには愛着があり、たまにひょいっと走らせたくなるときがある。そういうときはだいたい夜だった。
深夜の時間帯には車の姿もなく好きなように走ることができた。
目的も行き先も特に決めることはなく、あたりをふらふらと流す散歩が好きだった。たどりついた先で見知らぬ店や何をしているかわからない大きな工場を見つけると、見知った町なのに毎回新鮮な気持ちになれた。ときには墓地にたどりついたことも何回かあり、まさか幽霊にでも呼ばれたかと苦笑した。
だけど、その趣味もあるときを境にぱったりとやめた。
その晩は昼寝をしたせいで寝つきが悪かった。横になって目を閉じるがまったく眠気がやってこない。寝ることは諦めて動画でも見ようと思って目を開けたときだった。
カーテンのすき間から暗い部屋の中に月明りが差し込んでいた。窓から月を眺めていたら、『そうだ、ドライブをしよう』という気持ちになっていた。
時計を見たら深夜一時を過ぎたぐらいだったけれど、既に頭にはヘルメットをかぶり、スクーターにキーを差し込んでいた。
エンジンをかけたところで何か音がほしくなってスマホをとりだした。その日の気分にもよるが走っているときにネットラジオを聞いていた。ワイヤレスイヤホンから音が聞こえはじめると、背中のリュックにスマホを放り込んで出発した。
通りには人影もなく、家の明りも落ちている。軽快な音楽とテンションの高いパーソナリティーの声をBGMに適当に流していると町外れまできていた。
あまり来たことない道だった。
一旦止まりスマホの画面に表示された地図を見てみると、ここで右に曲がると山の方に行くらしい。地図上ではこの山道を抜けると隣町に着くらしい。
悩んだのは数秒、すぐにハンドルを右に切った。
町を離れるにつれてまばらに建っていた家も姿を消し、とうとう何もなくなった。街灯も無い道をヘッドライトの明りが照らす。最初のうちは舗装されていた道路も、しまいには地面がむき出しになっていた。
がたがたとゆれる山道に不安を感じ始める。だけど、坂自体も急なものではなかったのでこのまま突っ切ってしまおうと思ったときだった。
急にラジオの声が静かになった。ブレーキレバーをにぎった後スマホを見た。そこには“圏外”と表示されていた。
「……まじかよ」
いくら山の中だっていっても少し町からはずれただけだ。もしも、ここで事故を起こしたりしたら助けも呼べないと不安はさらに強くなった。
大丈夫と自分に言い聞かせながら、一体こんな道を誰が使っているのかと不思議に思った。その理由はほどなくわかった。
ぐねぐねした細い道を慎重に走っていると、左手に何かが見えた。
こんな山の中でなんだろうかと思っていると、それは朱塗りの鳥居だった。こんなところに神社があるのかと驚きながらスクーターを止めた。ヘッドライトで照らされた境内をのぞく。参拝客なんていないらしくもう荒れ果てていたが、奥に見える建物はそこそこ立派なものだったのだろうという風情はあった。
なるほど、と納得する。
この道はこの神社のための道だったらしい。しかし、夜中の神社なんて気味が悪くてしょうがなかったのですぐにその場を後にした。
神社を後にして少したったころだった。
どすんと後部座先が揺れた。
「……っ!?」
驚きと一緒にブレーキを握りこむ。一体何が、と怖々と振り返る。
揺れ方からそれなりの重量のあるものだった。木が倒れてきたか、それとも野生生物の仕業か。
しかし、そこには何もなかった。
ばくばくと脈打つ胸を押さえつけて心を落ち着けようとするが、さっきから聞こえるのはエンジン音とタイヤが回転する音だけだった。先ほどまできこえていたラジオの声が無性に恋しくなった。だれでもいいから人の声が聞こえれば不安も少しはましになるだろう。
だが、オレは知らなかった。これが想像を絶する恐怖の始まりだったなんて。
そのラジオはBGMもなく唐突に始まった。
『―――いやじゃ、いやじゃ、人の子など孕みトゥナイト!』
「は……?」
聞こえてきたのはローティーンの少女の声だった。
なんだこれはと思うが、こちらの困惑など伝わるわけもなくラジオは続く。
『えー、この番組は、千年のときを生きる妖狐のタマモがぱーそなりてぃーをつとめるぞ!』
まるで素人のようなたどたどしい口調。もしかしたら売り出し中のアイドルや声優なのかもしれない。さっきまで聞こえていたラジオをそっくり真似たようなしゃべり方だった。それにしても、このパーソナリティーは妙なキャラ付けをしたものだと思いながらラジオを聞き続けた。
『梅雨が明けて、なんぞ暑いなと思うていたら急に雨が降って梅雨が戻ってきたりする日々じゃが、まずは落ちつこうぞ。千年も生きていればこの程度のことなどで怒ったりはせぬ』
『晴れればまるでねじれたように熱気が揺らめいておる。朝からうだるような暑さであるがまずは落ち着こう。もうだめだと思えてもなんやかんやと大丈夫なものだ。やるべきことをやらずともなんやかんやなんとかなる』
最初の印象はどこへやら、次から次へと言葉を紡いでいく。この深夜にカロリーの高い話し方をよく維持できるものだと感心する。この時間帯の深夜ラジオといえば、たいてい暗い口調で怪談を話していた。
『え? 夏だし怖い話が聞きたい、とな。そういう話をするのはわたしは得意じゃないのだがな』
ラジオは続く。
それにしてもと、不思議に思う。イヤホンから聞こえる声が妙にクリアなのだ。圏外になるような場所なのにノイズがまったくない。
スマホを見てないがアンテナは何本立っているのだろうか。山道が終わる気配がまるでない。小一時間は走っているはずだった。
『では、ここからは深夜の怪談コーナー!』
『むかーしむかし、おじいさんは山へ、おばあさんは川へ』
『そして誰も帰ってきませんでした』
続きを待つが話はそれで終わりらしい。
怖いといえば怖いが、気分がホラーになる前に終わってしまっている。
『はい、それではここで怖がるといい』
「短いよ!!」
あまりにもツッコミどころ満載のため、思わずラジオに向かって返事をしてしまった。
『…………』
すると、さっきまで絶え間なくしゃべっていた声が途切れた。続きはないのかと思いながら沈黙になんとなく気まずくなる。
『あー、それでは、怖がってくれないようなので、続きを話そうぞ』
『おじいさんたちには子供がいました。いなくなったおじいさんたちを探して山にいきました。しかし、探しに入った山道に迷ってしまいました』
気のせいか空気がねっとりと重い。
道はまっすぐではなく右へ左へとうねり、何かの体内の腸や食道を通っているようだ。
『走っても走ってもずっと山は続きます』
やがて気がつく。山道がまったく途切れない異常さ。いくら安全性重視の遅めの運転をしているとはいえ、スクーターで走っていて抜けられない距離じゃないはず。
不安と焦りの中、ラジオの声は続く。
『さまよい続けてもう足は棒のようでした』
視線を横にむければ木々のすきまの暗闇から何かがにらんでいるような気がしてならない。
『そうして疲れて立ち止まると、後ろに気配を感じました』
気のせいか、声が、近い。
『いやな予感がしながら、ゆっくりと振り向きました』
最初に感じた違和感。その正体がわかった。その声が聞こえているはイヤホンではなく。すぐ後ろで誰かがしゃべってるようなのだ。
『振り向いた瞬間、どうしておじいさんとおばあさんが帰ってこなかったのか理解しました』
ミラーを怖々とのぞく――――――そこに、うつっているのはただ真っ暗な暗闇だった。
「……そんなわけないよな」
気のせいだと思った瞬間。ぽんと誰かの手がぽんと肩に置かれた。
「っ…………!?」
ひきつった声がもれ、思わず急ブレーキをかけた。
息を整え、強張る体にいうことを聞かせて恐る恐る振り向く。
「…………」
死ぬほどびびったけれど、よくみたらリュックのヒモが風でなびいて肩にぺしぺし当たっただけだった。
あの濃密な時間が嘘だったように山道が途切れる。山道がアスファルトで舗装された道に変わった。日常に戻ってきたという実感がわいて緊張がぬけていく。
街灯がぽつぽつと照らす道を走っていると、紫で塗装された竹槍出っ歯のいかにもな感じのDQNの車が向こうからやってきた。うわぁって思いながら道の脇によけた。せまい道だったからね。
通り過ぎるのを待ってるとすぐ脇で止まって、窓から金髪の若い男がぬっとこっちを見てきた。
絡んできたというのとは違っていた。ただ何も言わず気味悪そうな顔を見ると、そのまま去っていった。
なんだったんだろうなって首をかしげながら、今日は不思議な日だしまあいいかと走り出した。
今度は白黒のパトカーが見えた。
脇によけると、また止まった。
なんだなんだと思っているとおじさんの警官に呼び止められた。
「いま二人乗りしてたでしょ」
おまえもかと、黙って首を横にふったんだ。もちろん荷台には誰ものってないし、他に人影なんてない。警官いわく、小さな女の子がノーヘルで乗ってたとか。
結局、見間違いだってことになった。
オレ自身も気になって、あとで調べてみた。地図で見たあの道はそれほど長いものではなかった。体感時間では一時間以上走っていたはずだったのに。
あの晩に見た神社についても調べたけれど、地図上にはたしかにあの山には存在した。それはただの神社ではなく稲荷神社だった。
そういえば、と思い出す。
本殿の前にならんでいた石像は狛犬ではなく狐の像だった。山道に聞こえたラジオの声は誰のものだったか……。もちろん、あの時間にあんなおかしな放送をする番組なんて存在してなかった。
あれ以来、深夜のドライブは控えて、昼間もあまり寄り道をしないようにするようになった。
いやじゃいやじゃ人間の子など孕みtonight やまおか @kawanta415
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