酔っ払いと社畜と

神山れい

酔っ払いお姉さんと社畜お姉さん

 街灯が照らす道を歩く。上を向けば、少し欠けた月が雲の隙間から顔を出していた。

 押しつけられる仕事。一人で処理出来る範疇はとうに超えている。それでも押しつけられ、机の上は書類が積み上がっていた。

 とにかく処理をしよう。明日のわたしが、少しでも楽になるように。そう思って書類の山に触れたとき、倒れてそこら中に散乱した。


「……ははっ、あはははは!」


 誰もいない部屋に笑い声が響き渡る。同時に、涙が止まらなかった。床に落ちた書類を拾うこともせずに踏みつけ、荷物を全て鞄に詰め込み、わたしは会社を飛び出した。

 ──そして今、ほぼ誰もいない真夜中の道を、ヒールの音を鳴らしながら歩いている。

 日付は数十分前に変わったところだ。いつもより早い時間だ、などと思いつつ歩いていると、少し先の公園から叫び声が聞こえてきた。


「……変質者?」


 乱雑に詰め込んだ鞄の中からスマートフォンを取り出し、警察へ繋がる三桁の番号をタップする。おそるおそる近付いていくと、ブランコに乗った一人の女性がいた。


「絶対後悔させてやるからな! クソ野郎! ばーか!」


 悪い人ではなさそうだが、近所迷惑だ。警察に通報するかどうか悩んでいると「おい」と女性から声を掛けられてしまった。


「ひっ」

「ちょっと話聞いてよ! ほら、ここ! 空いてるんだから座りな!」


 断ることも出来ず、わたしはスマートフォンを鞄に仕舞いつつ、女性の隣にあるもう一つのブランコに近付いた。よく見ると地面にはチューハイの缶がいくつか転がっていて、女性は酔っ払っているようだ。

 女性の顔色を窺いながらブランコに乗り、たくさんの荷物が入った鞄を膝の上に置く。わたしが隣に来たことに満足したのか、女性は満面の笑みを浮かべていた。


「あんた、大荷物だね!」

「そうですね……。衝動的に、詰め込んじゃって。あはは、このままやめちゃおうかな、会社。なんて……」

「やめちゃえばいいじゃん」


 そう言って、女性はブランコの上で立ち上がり、右足のヒールを飛ばした。ヒールは空中を舞い、地面に落ちる。


「あたしねぇ、今日婚約者から別れようって言われたの! 結婚式の会場だって決めてたっつーの! けど、キャンセル料払うから別れてくれだってさ!」


 今度は左足のヒールを飛ばす女性。右足のヒールとは違うところに落ちる。


「結婚式の会場まで決めてた奴がさ、キャンセル料払ってまで別れようって言うんだから、どれだけあたしが拒否っても気持ちは変わらないんだよね。だから、あたしから別れて遣ったわ! お前なんかこっちから願い下げだ! って!」


 それで、後悔させてやると叫んでいたのか。女性は笑顔を見せてはいるものの、月明かりと近くにある街灯で照らされるその瞳には涙が滲んでいるのがわかった。

 当たり前だ。どれだけ強がっていても、結婚間近で別れを告げられたのだから悲しいはず。地面に落ちている何本ものチューハイだってそうだ。悲しみから逃れるために、酒で気分を紛らわせていたのだろう。


「何があったか知らないけどさ、今の会社ってあんたに必要?」

「え……」

「必要じゃないんなら、やめちゃえば。大事にしてくれない会社なんて、いらないっしょ」


 あたしだってあいつ捨ててやったんだから、と笑う女性に、わたしはつい吹き出してしまった。


「そうですね、いらないですね」

「でしょ? あたしはね、幸せになってあいつを見返してやるつもり。あんたも見返してやんな!」


 女性はブランコから飛び降り、地面に落ちているチューハイの缶を拾ってゴミ箱へと捨てに行く。ゴミを捨てた女性は大きく伸びをしたあと、こちらを振り向いた。


「じゃ、あたし帰るわ。あんたと話せて良かった! 幸せになりなよ!」

「はい! ……あ、ヒール!」


 ブランコから飛び降りて女性に声をかけるものの、気づかずに女性は裸足で歩いて行った。

 何だかあの女性らしい。そういえば、こんなに心の底から笑ったのはいつぶりだろう。今はとても気分が良い。


「よーし、明日から転職活動するぞー!」


 落ちているヒールを拾い、わたしは家へと急ぐ。

 いつか、またあの女性と会えますように。そのときは、お互い良い報告が出来ますように。そんなことを思いながら。

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酔っ払いと社畜と 神山れい @ko-yama0

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