深夜の祭り

くれは

巡り合わせ

 巡り合わせ、というのはあるもので。


 仕事でちょっとしたトラブルがあって、まあ結果的にたいしたことなく収まったのだけれど、その対応だとかなんだかんだと片付けているうちに、終電近くの時間になっていた。

 それで駅まで行ってみれば、こっちも何やらなんとかトラブルだとかで運行が乱れているのだという。

 帰れるなら文句は言いませんよと遅れてやってきた電車に乗って、混んでいたから座ることもできなくて、立ったままぼんやり揺られていたら、電車は変なところで停止した。

 はて、と顔をあげれば、停止信号がというアナウンスがあり、また少しして動き出す。

 その頃にはもうなんとなく、ああ、今日はそういう巡り合わせの日なのだと思っていた。

 だから、自宅最寄駅の二駅前で停止した電車が、今日はもうこれ以上動かない、別の路線まで歩けば終電に間に合うから乗り換えてくれ、なんて丁寧な言葉で言い出したときも、それはまあ、多少はうんざりしたけど、そんなもんかと受け入れたのだ。

 そしてわたしは、とびっきり疲れてもいたし、疲れているときというのは判断もおかしくなるもので。

 歩いて別路線に乗り換えると、電車に乗れるとはいえさらに乗り換えて遠回りしないといけない。であれば、ここは駅から駅までの距離の短い都会なのだから、二駅くらい歩いてしまえるのでは、なんて思ったりしたのだ。

 実際、昼間であればそれは散歩と言えたかもしれない。けれど今は終電もなくなろうかという深夜。

 それでもわたしは、深夜の散歩をして帰るという手段を選んでしまった。治安の良さに感謝しながら。

 全く知らない道ではないものの、何度も歩いている道でもない。しかも深夜でじゅうぶんな灯りがない中で歩く道は、歩き出してみれば正直とても怖かった。

 それでもわたしは歩き出してしまったのだ。今から引き返して乗り換え駅に行っても、もう終電には間に合わない。

 家に帰りたければ、進むしかないのだ。


 深夜の散歩。

 そんなフレーズに、心ときめかないわけでもない。それでも、都会の夜空は見上げても薄ぼんやりしていて星なんかろくに見えなかった。

 夏も近く、湿度は高く、じめじめと蒸し暑く、爽やかとも言い難い。

 街灯や民家の灯りはあるけど、見回したところでよくある街中で楽しめる要素があるわけでもないし、そもそもこんな夜中にきょろきょろして歩くものでもない。怪しい人にでも間違われるのは困る。

 だからわたしは淡々と歩いていた。

 途中で道に迷ったり間違えた記憶もないのだけど、迷おうと自覚して迷うことはないのだから、きっとわたしはどこかで道を間違えたのだ。

 気付けば見覚えのない通りにいた。


 お祭り、だろうか。

 通りいっぱいに屋台が並び、提灯がずらりとぶらさがり、それらはぼんやりと灯りを放っていた。

 こんな深夜にと思ったけれど、夜通し続くようなお祭りがどこかにあったような気もしてきた。

 お祭りにしてはとても静かで、話し声すら聞こえない。でもそれは深夜だから、みんな遠慮してのことかもしれない。

 道行く人たちは思い思いに屋台を冷やかしながら歩いている。

 少し歩いてみれば、屋台のぼんやりとした灯りは静かに人を誘っていた。屋台の中にいる人の手元が見える。

 飴細工をつくる手元。焼きそばを焼く手元。お好み焼きをひっくり返す手元。

 そうやって眺めながら歩いているうちに、せっかくなのだから何か買って食べようか、なんて思い付いた。

 だって、だって疲れていたのだ。それに、屋台の灯りはぼんやりと優しげに揺れている。道行く人たちだって屋台のものを買って食べている。

 そんなときに目に飛び込んできたのが、林檎飴の紅い色。鮮やかに、わたしを誘う。

 屋台の前に立てば、向こう側から手が伸びてくる。とびきり綺麗な紅い林檎飴を差し出される。

 それを受け取ろうとしたわたしの手は、横から伸びてきた別の手に引っ張られた。

 受け取りかけていた林檎飴が地面に向かって落ちてゆく。

 その結果を見届けるより先に、わたしは引っ張られて足早に歩き出した。


 わたしを引っ張っているのは、後ろ姿からするとどうやら男の人らしい。足を止めないので顔はわからない。

 落としてしまった林檎飴のことを思い出して、どうしようかと振り向こうとすれば「振り向くな」ときつめの口調で言われてしまった。

 誰、とも聞けなかった。とにかく引っ張られるままにわたしはその人の背中を見て歩いた。

 そして気付けば、見覚えのある白っぽい光が見えた。近所のコンビニだ。

 その入り口の脇で、ようやくその人は足を止めた。わたしは呼吸を整えてその人を見上げる。まったく、ちっとも、これっぽっちも知らない人だった。


「危なかった。あんなところで食べ物を受け取るなんて何考えてるんだ。帰ってこれなくなるところだったんだぞ」

 その男の人のその言葉はきつく、感じ悪く、わたしはむっとした。

 むっとしたのだけど、さっきのお祭りの光景を思い出せばなぜかぞっとして、そもそもあれだけ人がいてあんなに静かだったのはおかしいとか、こんなところで深夜にあんなお祭りをやってるなんて聞いたことないとか、さっきまではなんで疑問に思わなかったのかということが、どんどんあふれてきた。

「さっきの、あんたには何に見えてたんだ?」

 問われて、さっきの光景を思い出しながら答える。並んだ提灯、屋台、行き交う人々、それから林檎飴。

 そうやって思い返してようやく気付いた。あの場所にいた人たちの、誰も、その顔がわからない。見えてて思い出せないのか、見えなかったのか、見ないようにしていたのか、今となってはもう、わからないのだけれど。

 溜息が返ってくる。

「そこまではっきり見えるなんてね。よっぽど波長が合ったのか」

 ぼんやりとして返事もできないでいると、男の人は一歩、わたしから遠ざかった。

「ま、今日のところはもう大丈夫だろうけど。次に似たようなことがあっても、もう食べ物を受け取るのはやめておけよ。もしうっかり受け取っても絶対に食べるな。食べないで捨てていけ。良いな」

 そして、その男の人は深夜の暗闇の中に消えていった。

 わたしは相変わらず混乱したままで、だって何があったのかもわからないし、あれがなんだったのかもわからない、そんな状態だったのだ。

 それでも一つだけ、わたしはきっとさっきの人に助けられたのだと、そんな気がしていた。

 その日はコンビニでお茶とおにぎりを買って、お店の白っぽい人工的な光にずいぶんとほっとして、家に帰ったらすぐに寝てしまった。

 お茶とおにぎりは朝ごはんにした。普通のペットボトルのお茶と、普通のコンビニのおにぎりだった。具は鮭だ。

 それがわたしの日常だった。


 でもまあ、巡り合わせ、というのはあるもので。


 うっかりと仕事で遅くなった日の帰り道、深夜の散歩だと駅からの道を歩いていたら、気付けばまた見知らぬ通りに迷い込んでいて。

 気付けば目の前にあの時の男の人が、うんざりしたような表情でわたしを見下ろしていたのだった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

深夜の祭り くれは @kurehaa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ