さつきちゃん

碓氷果実

さつきちゃん

 カレーをご飯とぐちゃぐちゃに混ぜて食べる人いるじゃないですか。あれ僕、子供の時からどうにも苦手で。

 いや、別に下品だからとかそういう感じじゃないんですよ。それ以前に生理的に無理というか、見るとなんだか口の中がざらついて、苦いような感覚になって気持ち悪くなっちゃうんです。

 カレーの味自体は好きなんですけどね。あっ、だから気にしないで。食べてください。

 気付いたらそうなってたんで、理由とか思い当たらなかったんですけど、大人になってからふと思い出したんですよね。


 幼稚園くらいまで、母親と一緒に母方の実家に住んでたんですよ。父が単身赴任で、まだ小さい子供がいるのに母一人じゃ大変だろうってなったんでしょうね。

 そこそこ年季の入った日本家屋で、祖父母と母と、あとさつきちゃんって人と暮らしてました。

 さつきちゃん、母より少し年上の女の人で、だから当時三十くらいだったのかな? いつも家にいて、幼稚園から帰ってきたら僕はいつもさつきちゃんに駆け寄ってました。母も「さつきちゃんいつもごめんね」とか言って。さつきちゃんは嫌な顔ひとつせず僕と遊んでくれました。

 で、そのさつきちゃんなんですけど。さつきちゃんは仏間で寝てたんですよね。祖父母は一番奥の寝室、僕と母は三和土から直接入れる寝室で寝てたんですが。

 ある日、夜中にトイレに行きたくなって目が覚めました。僕は布団を抜け出して、居間を通って縁側へ。縁側の先を右に曲がると細い廊下があって、その先がトイレだったんです。

 仏間は縁側に面していたんですが、中で衣擦れというか、なにか動いている音がしたんです。

 あ、さつきちゃん起きてるのかな、と思ったんですが、急に怖くもなって。慣れているとはいえ古い日本家屋で、夜中にトイレに行くってシチュエーションも怖いしで、もし、中にいるのがさつきちゃんじゃなかったらどうしよう? って、急に思っちゃって。

 それで、「さつきちゃん? 起きてるの?」って声をかけたんです。

 そしたら

「起きてるよ、Aちゃん、おいで」

 って、いつもどおりのさつきちゃんの声で返事があって。ああ良かった、と思って、尿意も忘れて障子を開けたんです。

 そこにはさつきちゃんがいました。パジャマ姿で布団の上にあぐらをかいて、なにか食べていました。

 最初、それこそカレーかな? と思ったんですよ。平皿の上に乗った、白いものと黒っぽいものをスポーンでぐちゃぐちゃかき混ぜて口に運んでいるんです。

 さつきちゃん、こっそりカレーを食べてたのか、でも今日の晩ごはんはカレーじゃなかったのに不思議だなと思ってよく見たら、それ、カレーじゃありませんでした。

 白いのは米のようなんですが、かかっている半固形の液体、それ、なんか灰色だったんです。カレーのような茶色っぽい色じゃない。

 なんだろうと思って見ていたら、さつきちゃんが平皿を置いてなにかを持ち上げました。ちょうど僕からは死角で見えていなかったんです。

 香炉っていうんですか。仏壇に置いてある、お線香を立てるあれです。あれの中から、灰色の液体をすくって皿にかけてるんです。

 えっ、と思って仏壇を見ると、そこにあるはずの香炉はなくて。だからさつきちゃんは、いつもお線香を上げている、あの灰を、水かなんかで溶かして食べてるんだと思いました。

 さつきちゃんはまた平皿を手に取って、かけたばかりのどろどろした灰を、ぐちゃぐちゃと音を立てて混ぜながら言いました。

「ちょっとお腹空いちゃって。このこと、おじいちゃんおばあちゃんにもお母さんにも内緒だよ」

 その声はやっぱりいつものさつきちゃんで、そのあまりの普通さと見ているものの異常さに僕は耐えられなくなって仏間を飛び出したんだと思います。


 思いますっていうのは、それ以降の記憶があんまりないんですよね。次の日どうしたか、仏間に香炉は戻っていたのか、とか。

 そもそもさつきちゃんの存在自体、僕はすっかり忘れていました。父が単身赴任から戻ってきて三人でマンションで暮らすようになってから、さつきちゃんの話は一切出てこなかったと思います。

 思い出したのは、先日祖父がなくなって、母方の実家に行った時です。それまでも何度か帰省していたし、仏壇に手も合わせていたんですが、その日急にそのことを思い出して。怖いと同時に、ちょっといくらなんでもあり得ないことなので、馬鹿馬鹿しいなという気持ちも湧いたんです。

 それで、その日の晩飯の後、父が風呂に入ってる時に母と祖母にさつきちゃんの話をしたんです。

 でも、母も祖母も、そんな人はいなかったっていうんですよ。

 あの頃この家に住んでいたのは祖父母と母だけで、親族にもさつきという名前の人はいないって。

 じゃああれは夢だったのか、とも思うんですけど、一晩の夢にしては思い出したさつきちゃんの記憶は、なんというか量が多いんですよね。庭で遊んでもらったこととか、一緒に料理の手伝いをしたこととか、あの灰色のものをぐちゃぐちゃとかき混ぜている以外の日常の記憶が普通にあるんですよ。

 まあでも、やっぱり僕の夢なり思い込みなりなのかなと思います。それでも未だに、カレーをぐちゃぐちゃにしてるのを見ると口の中がじゃりじゃりするような、嫌な感覚はなくならないんですけどね。



 話し終えたAさんはすっかり冷めたであろうドリアに手を付け始めた。

 僕はといえば、スプーンに乗せたカレー――混ざってはいない、白と茶色の二色に分かれている――を口に運べないまま、ずっと固まっていた。

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