4.おとなりさん・・・

 何となく運命を感じた夏樹はとりあえず咖逢彩と連絡先を交換し、駅の改札を出て自宅のマンションに向かって歩き出す。すると、その後ろを咖逢彩もついてくる。この先にはスクランブル交差点が有って通勤通学時間帯はかなりごった返すし、その近辺にはアパートやマンションが建ち並ぶからそのあたりまでなら一緒の帰り道であったとしても全く不思議はなかったから、夏樹はそれ程の違和感を感じずにそのまま家路を急ぐ。


 そのまま五分程歩くとそのスクランブル交差点に差し掛かる。夜はだいぶ深けていたから人通りはまばらだ、だが赤信号は煌々と灯り青に変わるまでには少し時間がかかりそうだった。車通りも無いのに忠実に信号を守りその場で止まるのは日本人の嵯峨かも知れない、幼少期から叩き込まれた交通ルール順守の教育はこうして大人になっても心と体に染みついている、いや、刷り込まれていると言っても過言ではない。


 そこに少し後ろを歩いていた咖逢彩が追い付いて夏樹の横に並ぶと同じく信号待ちをする。少し気まずそうなしぐさを見せながら二人はちらっと顔を合わせるとぎこちなく笑顔を浮かべて見せた。その気まずさを誤魔化す様に空を見上げると星空が自分に向けて微笑んでいる様に感じられたのはこの出会いを祝福している様に感じられた。夏樹は視線をゆっくりと戻し、横に立ちスマホを弄り始めた咖逢彩に小さな声で語りかける。


「この近くなんですか?」


 その声に彼女は少し驚いた表情を見せてから、おずおすとした笑顔を作って見せる。


「……え、ええ、ここからあと5分くらいのところにあるマンションが自宅です」

「ご家族と一緒なんですか?」

「い、いいえ、一人暮らしなんです」

「あら、私もなんですよ」


 ぎこちない会話は続かない。お互いに出方を探り合いながらの会話で夏樹は小さな地雷を踏んでしまった。


「どちらの出身なんですか?」

「……え、出身」

「関東の生まれですか?」

「あの、そ、それは……」


 急に会話を濁そうとする咖逢彩の態度に聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと少し戸惑いを見せる。彼女の仕草を見て今度は咖逢彩が慌て出す。


「ご、ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんです」


 ちょっと声を震わせながら咖逢彩はスカートの上から太腿のあたりを両掌で押さえ、ぴょこぴょこと頭を下げる。


「い、え、私こそなんか無神経な発言をしたみたいで」


 真夜中の深夜、交差点の隅っこでお互いにぺこぺこと頭を下げあう二人の姿ははたから見ればかなり奇異に見えた筈だが、人通りが無かった事は幸いだったかも知れない。そんな微笑ましい日本人の鏡の様な事をしていると、信号が変わりスクランブル交差点は歩行者信号だけが青に変わり『とうりゃんせ』のメロディーが哀愁を漂わせる。


「あ、そ、それじゃぁ……」


 乾いた笑顔を張り付けて軽く手を振ると夏樹は少し腰を屈ませたまま交差点の中央抜向けて歩き出す。たぶんここで別れる事になるだろうと予想しての行動だったがそれは見事に裏切られ、咖逢彩も同じ方向に向けて歩き出した。


 ・‥…━━━★・‥…━━━★・‥…━━━★


 ドアノブに手を掛けながら二人は驚きの表情のまま見詰め合う。


「あ……」

「そ、そうだったんですね」


 御都合主義の神様がこの世に存在したとしたならば、二人は確実にその神に選ばれし者と呼んでも過言ではない。夏樹と咖逢彩は同じマンションの同じ階で更に隣同士の部屋に住んでいたのだ。都会の個人情報秘密主義はかつての伝統、『向こう三軒両隣』などと言う習慣は完全に払拭され、完全に『隣は何をする人ぞ』が当たり前の世の中になってしまったのだ。勤め先が違えば出勤時間も帰宅時間も全く違っていているから顔を合わせる事など100%と言って良い位の確率で発生しない。しかも防音対策が完璧な建物で有れば物音すら伝わらないから人の気配すら感じないのが都会の暮らしの真骨頂しんこっちょう、人々は騒がしい孤独を愛するのだ。


「そ、それじゃぁ……」


 夏樹は少し引き攣った笑顔を満面に湛えながらドアノブを回し扉を開くと部屋の中に入って行った。咖逢彩も何か言っていた様に思えたがそれが何だったのか聞き取ることは出来なかった。そしてドアを閉めて施錠して、何時もはしないチェーンロック迄引っ掛けると夏樹はドアを背中に押し当てて呆然と天井を見上げる。右の掌を胸に当てると激しいどきどきを感じた。早鐘の様に脈打つ心臓の動きが文字通り手に取る様に分かる。


「べ、別に気にしなきゃ何でもないわよね」


 息まで荒くなって来るのを感じながら夏樹はそのときめきの意味を自分に問うが、答えに辿り着くことは出来なかった。しかし、純白の鎧姿に変身し、傷を治癒させる力を持つ名前を聞き出すことは出来たがそれ以外は得体の知れない女性と隣同士と言う事に少し怖さを感じつつも、まぁ、何とかなるさと開き直る自分の楽観癖に気付き少し驚いてみたりする。


 そして、これから何かが起こりそうな気がする予感に似た心のざわめきに天井を見詰め、そのまま瞼を閉じた。

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