3.不思議な力

 瞳の奥まで貫く鋭いいフラッシュのような光に包まれると同時に周囲の香りが変わった。光の熱が空気をイオン化させたのだろうか、潤っている土のにおいに似た香りに包まれたが、夏樹は暑さを感じなかった。そして、何気なく自分の手を見ると、ぼんやりとした光の膜に包まれていることに気づく。


「え?」


 そして、自分の体をゆっくりと眺めて見ると薄い膜が心地よく身体を包んでいることに気付く。光の熱さを感じなかったのは、たぶんこれの性なのだろうと直感的に思ったが、これがどこからやってきたのかは分からなかった。夏樹は視線を上げると、そこには光の剣を構える彼女の姿が闇に浮かんで見えた。そして、彼女の視線の先、闇の中に何かが潜んでいる事はしっかりと感じる事が出来た。一触即発の緊張感の中、女性はゆっくりと剣を振り上げる……が、その切っ先が頂点に達するとまるでぷつんと糸が切れた様に張り詰めた空気は消え去った。


「……ふう」


 女性は小さく安堵の息を吐き出すと再び一瞬光に包まれてそれが消えた後、元の姿に戻っていた。同時に闇は現実を取り戻し、空に星が瞬き始め、コンビニの看板に灯が帰って来た。ふわりと吹き抜けた風にイオンや熱は感じられなかった。


「大丈夫ですか?」


 女性はくるりと振り向いてバタバタと夏樹に駆け寄り両手を掴んで彼女の瞳を覗き込む。その真剣な眼差しに那月はハッとすると同時に何故か頬を染める。彼女の香りが鼻腔を満たし、その柔らかで懐かしささえ感じてしまった自分の心が良く分からずに恥ずかしさが込み上げたのだ。すると女性は自分の掌をさっき、切れた頬の部分にあてがうと目を閉じ何事かを念じた。すると掌はほんのりと温かさを帯びる。


 更にその状態のまま唇をもごもごと動かし、小さな声で呪文のような言葉を唱える。その言葉に合わせて掌は更に熱さを増し、それが夏樹の頬に沁み込んで来る様に感じた。不思議な温かさだった。なんと言えば良いのだろう、心地良くてじんわりと癒されて行く、まるで魔法をかけられたみたいな言い表せない心地良さ。強いて言えばお母さんの掌……と言えばいいのだろうか。その熱は間も無くゆっくりと消えて行った。


「大丈夫の様ですね」


 そう言いながら安堵の表情を浮かべ女性は夏樹の頬から手を離す。出血の状況からその傷はかなり大きくざっくりと開いている筈だったが彼女の頬にその後は全く見当たらなかった。夏樹はそう言われて思わず自分で頬に手を当て、傷が無い事を確かめた。


「え、あ、は……はい」

「お騒がせしてしまいましたね、でも、奴らが狙っているのはあくまで私です。気にしないでください」

「……気に…しないでって」

「忘れてください、心配する事は有りませんから」


 そう言って女性はにっこりと微笑んで見せたが、何が起こったのか全く理解出来ない状態で気にするなと言われてはいそうですかと引き下がる者は少ないだろう。夏樹が何か言おうと唇を開いた時、女性は少し困った表情を浮かべ、気まずそうにひらひらと手を振りつつ話を無理やり中断してその場から立ち去ろうとしたのだが、夏樹は彼女が来ているビジネススーツの裾をぱっと掴んで動きを封じた。


「納得出来る訳無いでしょ、私、怪我させられたのよ!!」


 闇夜の街に夏樹の声が響く。同時に女性の表情は本気で困っているのだが解決策を見出せない手詰まりな雰囲気に変わる。それが少し可哀そうになってビジネススーツから手を離すとそれを腰に当て少し威圧的にこう言った。


「じゃぁ、せめて名前だけでも教えなさいよ」


 女性が悪い訳では無い、いや、この人は自分を助けてくれたのだ。だからこんな態度で接するのは礼儀を欠いた失礼極まりない事では有るが、何が起こったのか知る権利は在る筈だ、そんな思いで心がいっぱいになる。


「な、名前……ですか…」

「できれば住んでるところとか、どこに勤めてるとか」

「そ、それはちょっと」

「じゃぁ!!」

「わ、分かりました、わ、私の名前は…ほ、ほし…です」


 その名を聞いた夏樹はあからさまにいぶかしげな表情を見せる。


「なにそれ、本名?随分と芸能人的な……」

「ほ、本当です」


 女性は慌ててビジネススーツの上着の裾に手を入れると名刺入れを取り出して夏樹に一枚渡す。受け取った夏樹は名刺と女性を交互に見ながら眉間に皺を寄せる。


「個人情報晒したくなさそうなにしてたけど、随分あっさり出すのね……」

「え、あ、そ、その、いえ」


 咖逢彩は慌てて名刺を取り返そうとしたが夏樹はそれをあっさりとかわして自分のスーツの懐にしまい込む。そして、純白に輝く姿の変身していた時とは比べ物にならない位のどんくささに何故か笑いが込み上げてくる。どうやら悪い人ではないらしい、いや、それどころか自分の事を身を挺して守ってくれたのだから性格が悪い筈もない。


「ま、縁が有ったらまた会いましょ」


 夏樹はさらっとそう呟くと、微かに首を傾け、くるりと踵を返して駅の階段へと歩み始めた。言葉に込めたのは、まるで夢幻のような邂逅かいこうだからこそ、二度と逢うことなどないだろうという確信。理解出来ぬ事件の影に巻き込まれる危険を遠ざけたいとの本心と、そんな安易な自己保身への背徳感。だが、足を進めるごとに、その言葉の奥底には未知なる誘惑が潜んでいるような怒涛の様に錯覚が広がるのを感じた。だから再び脚を止め、ゆっくり咖逢彩に向かって振り向いた。


「そこまで、一緒に行く?」


 彼女はその言葉に反応し、咖逢彩は無邪気な子供のような笑顔を浮かべた。

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