2.謎との遭遇

「あのう……」


 か細くて弱々しくて、遠慮がちなのかそれとも自信が無いのか判別の付かない女性の声で呼び止められた夏樹はその方向に向かってゆっくりと振り向いた。そして、その視線の先に立っていたのがさっき、電車の中で肩に頭を乗せてすやすやと眠っていた女性である事に気が付いた。


「あ、ああ、さっきの」

「はい、先程は本当に申し訳ありませんでした」


女性はそう言いながら再び頭を何度も深々と下げる。その謙虚過ぎる姿を見ると今度は夏樹の方がすまなさを覚えてしまった。


「い、いえいえ、ホントに気にしてませんから、あ、頭上げて下さい」


無意味に両掌を胸の前でひらひらと降り、焦り交じりの笑顔を浮かべ後ずさりしながらちょっとの済まなさを滲ませつつその場から離れようとした。正直ここまであからさまな誠意を見せつけられてしまうと、その後ろに何か有るんじゃないかと逆に勘ぐってしまいたくなる。ひょっとしたらなんか怪しい宗教が後ろに控えてたりとか、最近流行りの闇バイト関連とか……ヤバそうな雰囲気が感じられない訳でも無い。


だから、遠回しにやんわりと別れを告げて縁を切ってしまおうとしたのだが、女性の平謝りに押し込まれて思わずそのペースに巻き込まれてしまいそうになる。


「じゃ、じゃぁ私はこれで」


前後の文脈などはもう関係無く無理矢理会話をぶった切ってその場を立ち去ろうとした夏樹だったが、女性が何度も深々と頭を下げたせいだろうか例の甘くて心地よい香りが再び鼻腔に届いて何故か頬がほんのりと染まる。ある意味扇情的せんじょうてきな気持ちにさせてくれるその香りは彼女の心にじわじわと入り込みこれ以上嗅ぎ続けたらまるでイケない薬にむしばまれ心を病んでしまいそうになるのではないかと言う危惧が脳裏にふっと浮かんで消えた……その瞬間。


—―ひゅん!!


 小さな風切り音が聞こえると同時に何かが頬を掠った。最初は虫でも飛んで来たのかと思ったのだが当たったあたりから感じる生暖かさに違和感を感じて何気なく手を頬に当てると感じる濡れた感覚。


「……ん?」


 そしてその指先を目の前に持って来てその光景に目を疑う。


「な、何?」


 指先には血液が付着して真っ赤に染まっていた。そして頬を伝い血は流れ推落ちて足元に小さな血溜まりを作る。


「えっ、えっ……」


 訳が分からずきょろきょろと周りを見回すが駅のホームが有る一角以外は闇の中……夜もかなり老けたから当たり前と言われれば本当にそれまでなのだが、夏樹は更に違和感を感じる。闇の中にはコンビニの明かりすら見えない本当にまごう事無き漆黒に包まれて星も月も見当たらない、いや、街灯も見当たらず、駅のホームが丸ごと闇の中に放り出されたかの様な状態に陥っていたのだ。


 夏樹の心の中に急速に不安と焦りが詰め込まれ、早鐘の様な動悸と共にお世辞にも心地よいとは言えない冷たい汗が背中を伝う。しかし、その焦りと不安は一筋の叫びと共に掻き消された。


「ビアラー・オブ・ライト!!-Bearer of light!-」


 思わずその声の方向に振り向く夏樹、そこにはさっきの女性が眉間に皺を寄せながら凛々しくすらりと立っていた。その右手には輝くスティック状のものを持っていて、握りしめた拳を額のあたりに翳すと彼女は再び鋭く叫んだ。


「アンヴェイル!ユア・トゥルー・エッセンス‼-Unveil your true Essence!!-」


 女性は握り締めたスティックを高々と掲げると同時に先端に丸い光の玉が現れ、それは一瞬でぜ漆黒の闇を光の渦で満たす。現在流通している物質の中で一番黒い物は『ベンタブラック』と言うカーボンナノチューブで構成された物質だそうだが、その地獄の様な黒さをも凌駕する眩い晄は夏樹の瞳の奥まで突き刺さり、視神経をやられたのではないかと言う錯覚を誘発する。そして眩んだ視界が復活すると彼女の目の前に立っていたのは純白に輝く鎧に身を包んださっきの女性だった。


「……な、なに?」


 事態が全く呑み込めない夏樹はぽかんと彼女を見詰めるだけでまるで金縛りにでも遭った様に身じろぎもせず、視線はロックオンしたレーザーの様に一点を、彼女の顔だけを見詰めていた。


「危ないです、下がってください」


 純白の鎧をまとった女性に窘められて夏樹は我を取り戻す。


「え、ええ……はい…」


 夏樹が一歩、後ろに下がると同時に女性は何かの気配を感じたらしく素早く身構えると手に持ったスティックを一度すらりと降り下げる。するとスティックは長さ一メートル程の光のつるぎに変わる。そして女性は隙無く周りを伺いながらその剣を構え、じわりと横に移動しながら鋭く叫ぶ


「姿は見えなくても気配ははっきりとわかります」


 その言葉に周りからの反応は何もない、ふわりと空気が動いた様な気がしたがそれ以上の変化を夏樹は感じることはなかった。しかし、剣を構えた女性の瞳は鋭く買輝き、闇の一点を見詰めている。その緊張感で夏樹の背中がざわりとさざめいた様な気がした。


「姿を見せなさい、見せないのならばこちらから行きますよ」


 女性がそう言った瞬間、闇の一点でかちんと音がしてその部分が瞬間的に凍った様な気がした、そして、夏樹は眩い光に包まれて一瞬視力を失った。

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