第三章 頭の中がぐちゃぐちゃ【KAC20233】

いとうみこと

第3話

 男は自転車に跨がって駅の方へと走り去った。男の姿が見えなくなると、香は名刺を手に取ってレジカウンター内の丸椅子に力無く腰掛けた。昨日の今日で因縁の相手に再会したのには心底驚いたが、その男がよりによってあの会社の社員だとは何という運命のいたずらか。


「それにしても、なんでわざわざ……」


 よつ葉システム開発は駅向こうの雑居ビルにあるからここまで来てもおかしくはないが、昼休みとはいえ就業中にわざわざ来る理由がわからない。そもそも駅の向こう側にだって花屋はある。


「よつ葉システム開発 ◯◯支社 システム開発部 主任 桃野誠志郎……所属まで一緒って……」


 香は暫くその名刺を見つめていたが、「よし」と自分にひと声掛けて立ち上がり、名刺を注文書に留めて作業場へと戻った。一度請け負ったからには満足のいくものを作るのがプロだというのが兄の口癖だ。


「私はプロじゃないけどねえ」


 誰に言うともなく呟いた時、ポケットのスマホが鳴り出した。画面には幼なじみでかつての同僚でもある泰葉やすはの名前が表示されている。不気味な偶然に不安を覚えながら画面をタップした。


「もしもし?」


「やほ! 久しぶり!」


「何よ、先月ランチしたばっかじゃないの。今日は何?」


「冷たいなあ。自転車戻ってきたからさ、印象聞こうと思って」


「印象? 何の?」


「え〜、せっかく新規のお客さん紹介したのになあ」


 泰葉の口調はどこか面白がっているようだ。


「自転車って、泰葉、まさかあの男……」


「そう、桃野君。領収書持ってきた時に花屋のこと聞かれたから、香のアレンジメントは凄いよって教えてあげて、ついでに自転車も貸してあげたの。うちは昼休み短いからねえ」


「なんでそんな余計なこと」


 香の口調が少しきつくなる。


「なんでって、香は桃野君のヒロインだし、桃野君は香のヒーローだからだよ」


「はあ?」


 香は泰葉の言っていることが一ミリも理解できずにいた。

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第三章 頭の中がぐちゃぐちゃ【KAC20233】 いとうみこと @Ito-Mikoto

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