悪しきシンデレラに告ぐ

人生

 今さら恋なんて、と魔法使いは思う。




 恋だなんだと浮かれて許されるのは、成人を迎えるまでの話。


 それ以降の恋愛は、将来を見据えたものであるべきだ。

 楽しみのためだけの付き合いは、恵まれたものの嗜好品。必ずしも所帯を持てとは言わないが、その気もないのに相手の時間を奪うのは、褒められたことではないだろう。


 美しい想い出は、未来の孤独を癒しはしない。

 日々を食べていくのにも、伴侶がいれば心強い。


 ……君は素敵な容姿をもっているのだから、引く手は数多、王子様のように選り取り見取り、その気になれば、きっと幸せになれるだろう。


 一人で生きていくのだと、そういう自立心があるなら尊重しよう。女の幸せは何も、男に尽くすだけではない。


 それでも、かなうのであれば――僕は君に、誰かと幸せになってほしいと思うのだ。




 一台の馬車が駆けている。

 しかしその装飾は欠けていて、既に御者の姿はどこにもない。


 足を止めると馬は消え、残った馬車も虫の息。魔法が解ければ夢から覚める。夢見る少女もこれにはさすがに呆れ顔。


「どんどん崩れてハラハラしたわ。どこかで事故って死ぬかと思った」


「君がぎりぎりまで粘ったせいだろう。それで死ぬなら、夢見た対価と諦めてくれ」


 待っていた魔法使いの青年は、少女の手を取って地上に下ろす。魔法は完全に消え去って、その場にはみすぼらしい格好をした少女と、怪しげなフードの青年だけが残された。


「ねえ、お兄さん。私、お願いがあるんだけど」


「事前に言ったはずだよ、君のお願いはこれでおしまい。僕は明日には街を去る。ひとところには留まらない、ゆえに僕は変わらない」


 青年は不老の魔法使い。その見た目は若々しいが、既に少女の倍は生きている。


 魔法使いは、少女の亡き父の友人だったという。それが少女の前に現れ、その魔法を授けた理由。


「私、靴をお城に置いてきたの。王子様がそれを手掛かりに、私を見つけてくれると思って」


 だから少女は裸足で地面に立っていた。両手を広げて、青年に微笑みを向ける。ため息一つ、青年は少女に背を向けて、その場にかがんで少女の意に従った。


「じゃあ、お家に向かって発進よろしく」


 少女を背負い、青年は歩き始めた。


「あぁ、待って。その前に最寄りの水場に停まってくれる? 香水の匂いを落とさなきゃ。昨日はそれで睨まれて」


 確かに少し、お城に出かける前とは匂いが違う。お城の余韻、少女とは異なる世界の空気が漂っている。


「ところでレイラ、君に一つ残念なお知らせがあるんだが」


「服をかわかすくらいなら、お願いのうちには入らないでしょう?」


「そうではなくて。……靴を置いてきたと言ったね、しかし残念、魔法が解ければガラスの靴も元通り。君がもともと履いていたぼろぼろブーツに逆戻り。果たして王子は君のヒントに気付くだろうか。ゴミと思って捨てそうだけど」


 これにはさすがに少女も黙る。おとぎ話のようにはいかないのだ。


「……役立たず」


「お褒めにあずかり光栄です」


「きっと気付いてくれるわよ」


「どこにでもある普通の靴だ。サイズの合う人なんていくらでもいる。それでも気付くとしたら、王子様はきっと相当の変態だ」


「妬みそねみというやつね、可哀想なお兄さん」


「可哀想なのは君の方。王子はきっと気付くだろう、君の嘘と偽りに。それでも君を探すというなら、それはきっと魔法が目当てだ」


「楽しくお話できたもの。きっと私の魅力に気付いたはずよ」


「しかし相手は王子だよ。君とは住む世界が違うんだ。求めているのは相応の相手。そのための舞踏会。妃には気品と家柄、王子に見合う容姿が要る。……確かに君の亡き父には気品があった、けれども今や、その家名も地に落ちた」


「お兄さんには教えてないけど、私は一度、村にお忍びでやってきた王子様と会ってるの。今夜の私とあの時の娘が同じと気付けば、王子様はきっと私に夢中よ」


「期待をするのはどうかと思うね。どうせ村で会った時も、嘘と偽りで着飾っていたのだろう? 義姉から拝借した衣装に身を包んで。……恋をするのは自由だけどね、妃となれば話は別だ。生活すればいずれボロが出るだろう。それこそ妬みそねみから、君を悪く言うものも現れる。なにせ君は――」


 可哀想な娘を装って、旅の男にすり寄ってきた。時には姉の男にまで。

 惚れた弱味に付け込んで、甘えてたかって、楽しんで。

 相手が夢中になった途端、猫のように去っていく。


「一緒に楽しんだのだから、誰も悪くは言わないわ」


「良い想いをしたのは君だけだろう。相手の男は金も時間も注ぎ込んだというのに、君にその気はないときた」


「食事代くらい出すのは当然じゃない? なんたって私、相手のために頑張ってお洒落してるのよ?」


「そうだね確かに、姉たちの目を盗んで服を拝借、バレないように頑張ってる。贈り物も拒んで家に持ち帰らず、仮にもらっても売り払って証拠は残さない。……しかし僕に言わせれば、当然というのは傲慢だ」


 相手に自分をよく見せようというエゴなのだから、むしろ頑張る方こそ当然で。にもかかわらず相手の負担を当然とするなら、それはもうそういう商売と言われても仕方ない。


「相手に自然と金を出させる、そういう魅力と気概を見せてほしいところだね」


「なんにしたって、素敵な夢を見れたのだから、お金を出すのは必然よ」


「金をもらって夢を見せる。王子様が知ったらどう思うだろう?」


「……あら、もしかしてお兄さん、私が誰とでも寝る女と思っていて?」


「聞いてる限りだとそうなるけれど」


「男と寝たことはないわ、本当よ? だってそれはもう恋じゃないもの。男は女を抱けば、それで満足しちゃうもの。自分のものになったと思って、それまでの献身は欠片もなくなる。なんならむしろ、そのためにお金を払ってると言ってもいい」


「愛を覚えることもあるだろう。結ばれることは、恋の一つの終着だから」


「責任を感じる、の間違いじゃない? 結ばれたらおしまいよ、夢から覚めて、現実がやってくる。結婚して子ども産んで、男に尽くして老いさらばえて死んでいく」


「家庭をつくり愛を育めば、そこに幸いを覚えるはずだ。それこそおのずから金を出すように、親しみから相手の世話を焼きたいと思えるはず」


「独り身なのに知ったような口を利くのね」


「君の方こそ、男を知らないと言いながら」


「姉たちや継母を見ていれば分かるわ。まあ、今も私は家に尽くす立場だけど、それでも恋は楽しめる」


「それだっていつまでもは続かない。継母もいずれ死ぬし、姉たちもやがて家を離れるだろう。君があいだに入らなければ、とっくに嫁いでいたはずだ。……美しさには限りがある。男たちだって、やがては相手をしなくなる。君の継母を見てご覧、昔は今の君のようだったのに」


 それまでに伴侶を見つけるべきだ、と青年は思う。

 限りあるからこそ、それまで恋を楽しむの、と少女は笑う。


「まったく君は懲りないな」


「ほんとにしつこいお兄さん。どうしてそうも口うるさい母親みたいに」


「継母の代わりだよ。君の父には恩がある。だからこうしてやってきた。舞踏会という絶好の機会を前に、ね」


「その割には悲観的なことばかり」


「どうやら君は、王子様相手にも本気になれないようだから」


「私はいつだって真剣よ?」


「さて、どうかな。――泉についたよ」


 森のただなかにひっそりと在る小さな泉は、月明かりを水面に受けて静かにきらめいている。


「今宵の熱気を冷ましておいで」


「お兄さんも一緒にどうかしら」


「そんなんだから誤解されるんだよ。それに嫌だね、夜風は体に沁みるから」


「若いのは見た目だけということね」


 などと言いながら、少女は泉に足を踏み入れる。ぼろきれのようなワンピースの裾が水面に触れる。


「そのまま入るつもりかい?」


「そうでもしなくちゃ匂いがとれないわ。それともお兄さん、私に裸になれと言いたいの?」


「そうは言わないけど、むこうを向くらいの配慮は出来る」


「私が脱いだら、お兄さん、そのままどこかに消えちゃいそう。だからそっちにはいかず、私を見てて。私があやまって溺れないよう、誰かが覗きにこないよう」


「……溺れるほどの水深には見えないけどね」


 より深い方へと少女が歩みを深めていくと、月明かりが翳り始めていく。


「ねえ、お兄さん。私をこのまま、どこか遠くへ連れていってはくれない?」


 ――どこか遠く、男だとか女だとか、恋だとか愛だとか、そうしたしがらみから解き放たれたところへ。


「それは無理な相談だね。ひとところに留まれないから、僕は魔法使いなんだ」


 ――人とも、所とも。この世のあらゆるものと交わらないからこそ、この世の法から外れた力を持つがゆえに。留まれば、この心臓は止まるだろう。そもそも今さら、人並みの幸せなど望めない。


「定職につけないから、魔法使いなのね」


「君にはもっと、まともな相手が相応しいよ」


「あら、何を勘違いしているのかしら」


「……さてね」


 くしゅん、と聞こえた音に青年が顔を向けると、いつの間にか全身びしょ濡れになった少女の姿がそこにあった。薄い布地が張り付いて、やせ細った体のラインを浮かび上がらせている。


「火でもおこそうか」


「……いらないわ。代わりにお願い、聞いてくれる?」


「風邪を引くよ」


「じゃあ、あっためてくれるかしら」


 雲が月を覆い隠し、辺りは暗闇に包まれた。




「次はいつ会えるのかしら」


「そうだね、君に子どもが生まれた日に。僕がその子を言祝ごう」


「それは難しい相談ね。……最後に一つ、たずねてもいいかしら。これっきりになるのなら、お兄さんのお願いを聞いてあげたいの。やられっぱなしはあれじゃない? だから、なんでも言って」


「そうだね、それじゃあレイラ――僕と一緒に、死んでくれるかい?」




 今さら人並みの幸せなど望めない。魔法使いとはそういうモノだ。


 ――もしも真実の愛というものがあるのなら、王子様はきっと君を見つけ出すだろう。


 そのとき君の心が色彩いろづくことを、その人生に幸いを――僕はどこかで祈っているよ。



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