堕ちた剣王ゾルゲ

福山典雅

堕剣王 ゾルゲ

 ここは悪名高き【ビヨンド・ストリート】、王都『リディウム』の暗喩すべき深い闇を背負う貧民街。


 犬猫が腐敗した怪しげな匂いが薄っすらと漂い、歩く人々は服と呼ぶにはあまりにみすぼらしいボロを纏い、その身体は極端にやせ細っている。さながら幽鬼の如き住民がうらぶれを是としてその多くが住んでいた。


 大通りの道に敷き詰められた石畳は至る場所で欠けえぐれ、風化の激しい建築物は傾き朽ちかけているが、まだこの表通りはましな方だ。多くの入り組んだ狭い路地に至っては、犬猫どころか人の死骸でも日常的に打ち捨てられている。


 その大通りの一角に【レグの魔道具屋】という店がある。


 店主の風貌は見るからに堅気ではない、ただし、この街では裕福な部類に入る。名はそのままレグと言う。その服装は冒険者崩れなのか、革当て脛当てなどの武具を常時着け、汚らしいコートを着ていた。隻腕、隻眼の偉丈夫は薄汚い赤い髪を紐で結び、その片目となった眼光だけが鋭く光っていた。


「やばい仕事だぜ」


 小汚い魔道具で埋められた乱雑な店内に一つだけあるテーブル。


 そこにレグともう一人、異様な気配を放つ男が座っていた。


「だから、俺なんだろ」


 低く押し殺した様な声に籠る殺気に、レグは強面な相好を思わず歪まされてしまう。


「ああ、あんたなら大丈夫だろうと、雇い主さんからのご指名だ」


「ご苦労な事だ」


 彼はそうふてぶてしく言い放ち、テーブルに置かれていた酒をグイッと煽った。


 男の名はゾルゲ。漆黒の髪に銀色の瞳。幾人をその手で殺めたのか、尋常ならざる狂気を帯びた顔つきは、常人なら直視に耐えかねる。さらに用心深く帯剣したその業物は、触れてもいないのにゾルゲの狂気と呼応する様に鞘が一瞬怪しく光りを放った。


「元剣王のあんたなら、うってつけだ。金も金貨で200枚ある」


 レグは片手で器用にコートのポケットから、ズシリと重そうな革袋を出してテーブルの上にドカリと置いた。


 その瞬間、レグの首元にナイフが突きつけられていた。


 完全に意識外の出来事だった。それはゾルゲによるもの。彼は右手に酒の入った木のコップを持ちながら、獲物をいたぶる様に残った左手に握るナイフで、レグの喉を冷たく撫でている。


「死ぬか?」


 静かで冷酷な響きは、却ってレグの恐怖をじわりと掻き立て、背中に冷たい汗を流す。


「あ、あ、じ、冗談だ、冗談。あんたが冗談が嫌いなのは知ってるが、まあ、久しぶりだしな、はははは」


 支離滅裂な言い訳をしながら、レグは慌ててコートの違うポケットから、さらに大きな革袋を取り出しながら、早口でまくし立てた。


「ぜ、全部で金貨500枚だ。俺の仲介手数料は別途貰っている。ターゲットはミリス・ビスタグス。公爵家の娘だ。あんたにとっちゃたわいない仕事かもしれないが、なんせ四大貴族のトップ、その家の娘だ。用心するに越した事はないさ、なあ、そうだろ」


 喉元に当てられたナイフに怯えながら、懇願する様にレグはわざとらしくもその身の上を心配して見せる。


 ゾルゲは酒を置き、二つの皮袋を無造作にポケットにしまうと、ナイフの背でレグの喉を威嚇する様にグッと押し、そのまま戻すとすぐに立ち上がった。


「期日はいつまでだ?」


「いや、特に指定はない。あんたに任せるそうだ」


「そうか」


 興味なさそうにゾルゲはそう言い、踵を返すと店の出口に向かう。その瞬間、ゆっくりとレグを振り返った。


「これは、お前の仕込みか?」


 突然そう言われ、レグは何の事かまるでわからない。


「へ? 仕込みってなんだ?」


 先程のやり取りで額に汗を浮かべた強面は、ポカンと間抜けな声で答えた。


「そうか、嘘をついてる風でもないな」


 言うなりゾルゲは背中越しに「邪魔したな」とだけ言った。そして木製の頑丈そうなだけが取り得の扉を開くと、表には十数人の風体の悪い男達がそれぞれ手に凶悪な獲物を携え、ニヤニヤとゾルゲを出迎えた。


「おい、ゾルゲさんよぉ……」


 男達の代表らしい一人が言葉を吐き終わる前に、その首が一瞬で宙を舞った。


「「「「なっ!」」」」


 残りの男達が慌てるが、首のない死体の血しぶきが地面にまだ落ちぬ間に、土煙だけを残し、全身を薄紫の魔力で身体強化したゾルゲが、剣すら見えぬ神速の速さで彼らの間を駆け抜けた。


 一瞬の間の後、その場の十数人全員の首がごとりと地に落ちた。


「おいおいおい、なってこった! ああん、こりゃバリンシア一家の奴らか! 馬鹿だな、あんたを狙うなんてよぉ!」


 表の騒ぎを聞きつけたレグが慌てて出て来て、唐突に生まれた死体の山に声をあげた。死体は揉め事の多いこの街では日常茶飯事ではあるが、この数は流石に珍しい。だがゾルゲは既に遥か先の大通りを進んでいた。


「あ~あ、本当に恐ろしい人だぜ、ただ、ワシにはどうも死に急いでるみたいにみえるけどな、知らねぇけど」


 レグはため息交じりにそう呟くと、死体の処理を呼び出した下男に申し付けた。


 元剣王ゾルゲ。剣聖にすら届き得た天才は、今では殺しを請け負う堕剣王と蔑称される存在にその身を落としていた。ピリピリとした彼の練り上げたそのあまりに苛烈な剣に対し、当時の剣聖が「死を呼び込み過ぎている」と破門を言い渡した狂気の持ち主。


 剣と暗殺術、さらに魔術をも扱う死神は、金貨500枚で公爵家の娘の命を狙う。






 ゾルゲは暗殺を請け負う時に、特に理由も何も聞かない。依頼主も気にしない。金と期限だけが彼の欲しい情報だった。相手が騎士であろうが子供であろうが、金と期限の折り合いさえつけば、どんな仕事でも構わず受けた。


 ゾルゲは王都の馴染みの情報屋に金貨十枚を払い、綿密に相手の動向を調査させた。勿論口の堅い情報屋で、尚且つ彼の恐ろしさを熟知し裏切らない人間だ。


 公爵家の娘ミリス。有名貴族の子息子女が通う王立魔法学院では生徒会長を務める才媛だが、どうも裏では公爵の多額な寄付が動くきな臭い少女だった。


 噂では魔力もなく魔術など一切使えない。剣も出来なければ、特殊なスキルも持っていない。本当にその辺にいるただの娘に過ぎなかった。


 さらに驚くべき事は、その身辺の護衛に当然公爵家お抱えの騎士団員が複数人、常に目を光らせているだろうと予想したのだが、何故かその気配は一切ない。


 同行するのは僅か一人、身の回りの世話役であるメイドのみを連れ、学園や王都を行動していた。唯一馬車による移動な為、お抱えの御者がつくのだが、街中などを歩く時はついて来ない。


 ゾルゲは少しだけ困惑する。


 高貴な公爵家の令嬢にしてはあまりに無防備過ぎる。こちらとしては、確かににわざわざ警備の固い公爵家に乗り込んで暗殺するのはリスクではある。だが出来ない話ではない。剣のみならず暗殺術も極めた身ならば潜入などお手の物、警備の衛兵や騎士などまるで問題ない。


 だが、それでもリスクを取るよりは、遥かに安全な学院への登下校を狙う事に決めた。ミリス、メイド、御者の三人だけを屠れば済む話で、少々手応えがないが仕方ない。しかもおあつらえ向きに、公爵邸へ至る手前、その途中に小さな森があった。


 ゾルゲは下校時の薄暮の時間に狙う事に決めた。


 数秒で終る仕事だ、とゾルゲは考える。暗殺後、娘を殺された公爵家は当然その威信にかけて捜索するだろう。だが暫くはこの国を出ればいいだけだ。この王都から街道を通らず幾つかの山脈を越え隣国に行けば、もう追手はかからない。ゾルゲの身体能力をもってすれば、まるで問題ない行動だった。


 昼と夜が交錯する逢魔が刻。ゾルゲはそっと薄暗い森の木の影から、目的の馬車が通るのをじっと待つ。暫くするとその権勢を誇る王都でも有数の美麗で豪華な馬車が、ゆっくりと視界に入った。


 ゾルゲは剣の鯉口を静かにずらした。


 途端、数十メートル先で馬車が停止する。ゾルゲはいぶかしむ。魔力探知や物体関知を持つ者にも気取られぬ様に気配を消している。見つかるはずはない。怪しむままにそっと視線を向けると御者が馬車から降りた。


「何者ですか」


 あまりに平然とした声だった。


 三十路の中ほどだろうか、自分とさして歳の変わらない普通の御者が警戒もせずに声を発している。


 刹那、ゾルゲは動いた。


 気取られたのなら逃げ隠れる意味もない。ただ斬れば事足りる。


 身体強化の薄紫の魔力が迸り、足元からチリチリとした小さな雷が幾つも暴れる様な光彩を放つ。ゾルゲの身体強化は並の術師のそれではない。剣聖らこの国を代表する剣術流派、光聖神流は身体強化の術を限界まで叩き上げる。


 通常の冒険者がバフとして行う物とは根本的に違う。


 細胞の限界点まで極限の肉体強化を行なう光聖神流は魔術と言うよりは、技の領域でアプローチする。その身体は数割アップのバフとは異なり、実に数倍の強化を実現し、凡そ同流派の者以外、その姿を捉える事は不可能だった。


 視覚の限界を超えた速度で、ゾルゲはその愛刀を一気に御者の首を狩る為に狂暴に振る。


 ブン!


 有り得ない事だった。ゾルゲの一撃を御者は鮮やかに身体を捻りかわした。


 ドン!


 そして次の瞬間、ゾルゲの視界が瞬時に天地を一回転し、気が付けば地面に叩きつけられていた。


「がはっ!」


 倒されただけではない。


 御者が的確にその膝をゾルゲの喉元に叩き込んでいた。一瞬の攻防で、しかも光聖神流稀代の使い手である自分が、こうも赤子の様に捻られた記憶など、随分以前の話だ。


「光聖神流の身体強化は血流を利用しますからね、呼吸を阻害してやればあなたの脅威は軽く終了します」


 澄ました顔で御者が言うと同時に、見事な拘束の魔術も発動していた。


 ゾルゲが解術を試みるが、普通のレベルではなかった。魔術の練度が違い過ぎる。ゾルゲとて魔術は軽く上級クラスであるのに、この御者のレベルはそれを遥かに超えるモノだった。


「ローブ、何を遊んでいる?」


 唐突に豪華な馬車の扉が開かれ、恭しく仕えるメイドに導かれ、一人の少女が現れた。


「あっ、お嬢様、曲者がおりましたので」


 少女は地面に組み敷かれるゾルゲを軽く睥睨すると言った。


「ほぉ~、面白い」


 奇妙な反応だった。


 高貴な公爵家の令嬢である事は、その身に漂う匂い立つほどのオーラでどんな人間でも嫌がおうに自覚させられる。だが、その瞳に映る独特な好奇の輝きは、浅はかな子供のそれではない。まるで味わった事のない感覚をゾルゲは感じた。


「あの~、お嬢様、その様なご反応はお辞めください。私の胃が痛くなります」


 一瞬の隙だった。


 このローブと呼ばれた御者が僅かに手を緩めた瞬間、ゾルゲは奥歯に仕込んだ緊急用の魔道薬を噛む。すると一気に魔力が数倍に膨らみ、強引に術者の拘束を外した。ただし、この魔道薬を使うと数日魔力枯渇を起こしてしまう。それでもゾルゲは構わずに使った。


 同じ捕まるにしても、依頼をこなしてからだ!


 暗殺者としての誇りにかけ、何としてでもこの目の前の少女を殺す。ゾルゲはただ己が矜持を貫く為に、再び剣を握り、一気に距離を詰めた。


 ドン!


 何が起こったか分からなかった。


 膨らんだ魔力により、先程の数倍以上の速度が出ている。例え剣聖であろうと捉えられない速度のはずが、気がつけばゾルゲの腹に深くメイドの足がめり込んでいた。


「ば、馬鹿な!」


 尋常を越えた衝撃的な一撃。蹴り技としては食らった事のない未知の破壊力。外部、内部を越えた爆発的一撃がゾルゲを襲い、一瞬にして気を失ってしまった。







「はあ~、いい天気だなぁ」


 ゾルゲは麦わら帽子を被り、両手で首から下げたタオルを引っ張り、眩しそうに太陽を見上げる。


 ここは公爵ビスタグス家の庭園。複数の造園師とともにゾルゲは担当であるチューリップ園にジョーロで水を撒く。穏やかな陽光を受けた水が小さな虹を生み出し、様々な色の花と共演する様を見て、ゾルゲは思わず微笑んでしまう。


 幼い頃、母が営む花屋の庭先で売り物の花を手入れするのが、ゾルゲの仕事だった。母は小さい身体で懸命に働くゾルゲを楽しそうに眺めていた。それは親子2人だけの懐かしい思い出。


 ゾルゲは生まれた国が戦乱で崩壊するまでは、心の優しい虫さえ殺せぬ子供だった。それが母を虐殺され村が業火に晒され、唯一生き延びたゾルゲは世界そのモノに復讐する様に、その生を変えてゆく。


「花はいいなぁ、これも全部お嬢様のおかげだ」


 公爵ビスタグス家の令嬢ミリスは拘束したゾルゲに花を贈った。そしてどう調べ出したのか、ゾルゲの詳細な生い立ちを全て語り、それから言った。


「私は花が好きだ。お前も本当は花が好きなのだろう?」


 不思議な瞳だった。


 ゾルゲはその瞬間、ミリスの瞳に何故か母の面影を見た。懐かしい母の姿が蘇った。世界に復讐する自分の荒んだ心を、母がじっと覗き込んでいる気がした。


 こんな小娘に何が判るんだ、そんなものじゃない! そう頭で考えるのに、何故か心は許しを乞うた、今までの全てに許しを乞うていた、浮かぶ母の面影に許しを乞うていた。


 ゾルゲは泣き崩れた。どうしょうもなく、涙が溢れて来た。


 剣を極め、殺し屋という修羅の道を進み、幾人もの命を無造作に狩って来た。


 そんな自分がなんで、こんな小娘に抗えないんだ。なんでこんなに心地いいんだ。


 ゾルゲは声を殺して男泣きをした。


 そして母の声が聞こえた気がした。


「ゾルゲは泣き虫だけど、それは心が優しくて、みんなにも優しく出来る証拠なのよ」


 

 いくばくかの時間、涙を流し続けたゾルゲは、微笑み花を携えたミリスに終生の主従を誓った。







「おーい、ゾルゲ、飯にすっど」


 遠くで仲間の庭園師達の呼ぶ声がした。


「はーい、今行きます」


 すべての呪いが解けた晴れやかな顔の、そんな優しいゾルゲがそこにいた。






 ※この作品は3月10日に投稿予定である賢いヒロイン「ミリスお嬢様には逆らえない」のプロモーション短編となります。面白いと思われましたら、ぜひ本編も宜しくお願い致します。


                              福山典雅















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堕ちた剣王ゾルゲ 福山典雅 @matoifujino

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