4-2

 手入れの行き届いた日本庭園を通り抜け、河井家邸宅の中庭へと通される。

 それまで洗練された和風一色だったが、中庭は後から改築されたのであろう。まるでバリ島の別荘かのような南国風のプールを囲うようにして、海外セレブ風の立食式のパーティが開催されていた。

 外見とは裏腹の雰囲気に澪はどことなく、チグハグとした印象を受けた。


「澪もこういう雰囲気が好きなのかい?」

「いえ……そういうわけではないんですが」


 周りから意識を逸らすためとはいえ、少しキョロキョロし過ぎただろうかと、澪は反省して平然を装った。

 誠光の腕に手を回し、彼に寄り添う姿を参加者達が瞠目して見ている。


 あの女は誰かと言わんばかりの視線に澪は圧を感じつつ、知らないふりをしてなんとか足が震えそうになるのを堪えるので精一杯なのだ。

 そんな澪の心情を悟ったように、誠光が澪の耳元で


「もっと私の側へ」


 と囁いて、澪の腰に手をまわしてぐっと誠光の方へ体を引き寄せる。

 澪は驚きのあまり声が出ないのに対し、どこからかキャッキャと黄色い悲鳴が聞こえた。

 スマートな女性の扱いに一々反応してしまう自分がひどく幼いように思えて、澪は肩身が狭くなる。


 すると、ふいに誠光が足を止めるので澪もつられて足を止めた。


「本日はお招きいただきありがとうございます。晴れある河井社長の誕生日をお祝いさせていただけるなんて、光栄です」


 人好きのする笑みを浮かべる誠光の視線の先には、1人の壮年の男性が立っていた。


(この人が、今日のパーティの河井社長)


 社長とは思えないラフな格好に、白髪混じりの髪。一見すれば夏休みに川辺でバーベキューをしているおじさんのような出立ちに澪は慌てて背筋を伸ばした。


「いやいや、こちらこそ昨年に引き続き来てくれてありがとう。……して、隣の女性は?」


 挨拶もそこそこに、河井社長は誠光の添え物である澪に視線を向けた。


「彼女は私の婚約者です。このような場に連れてくるのは初めてなのですが」

「初めまして、澪と申します」


 ーー婚約者なんてきいてない!


 恋人どころかまさかの婚約者扱いに、澪は今すぐ誠光を問い詰めたい気持ちに駆られたが、河井社長の手前でそんなことができるはずもなく。

 澪は粛々と頭を下げて、ボロを出さないように最低限の言葉のみを口にした。

 しかし、驚いたのは澪だけでなく、目の前にいる河井社長をはじめ、周囲の人々も度肝を抜かれたような表情で固まっている。


「ははは……な、なるほどね。クロスフォード君はこういう子が趣味だったのか……」


 驚きを隠せない河井社長の言葉が澪の心をチクリと刺激する。


「いやあ、クロスフォード君が良ければうちの娘をと思っていたんだが……ちなみに、年はいくつなんだい?」

「彼女は今21になります」


 誠光が澪の代わりにさらりと受け答えするも、河井社長は開いた口が塞がらないと言わんばかりの表情で、澪を足元から頭のてっぺんまでマジマジと観察してきた。

 あまりに遠慮のない視線に澪は後ずさると、瞬時にそれを察した誠光が澪の腕を引いて自身の背中へと澪を隠した。


「私の大切な宝物なので、あまり人前には出したくなかったのですが。河井社長ならいただけるかと思いまして」

「ああ、いやあ……はは」


 口調は柔らかながらも圧を感じる誠光の言葉に、河井社長はあからさまに目を泳がせた。

 心なしか、そも額に汗のようなものまで見えた。


「ま、まあこの話はよしとして、ゆっくり楽しんでくれたまえ」


 そそくさと逃げるようにして他の参加者の元へ足早に向かった河井社長の後ろ姿を、誠光の背中から澪はこっそりと見送った。

 それから恐る恐る前へ出て、澪は誠光に向き合った。


「助けていただいて、すみません……」

「気にしなくていい。澪はお祝い用の花ではなく、私の大切な婚約者だからね」

「あの、その婚約者というのは」


 どういうことですか、と言いかけた口が誠光の指先によって止められた。


「今は虫除け用のすぐに解けてしまう魔法の言葉だが、いつか真実になる」


 耳元で囁かれたせいで、くすぐったい。

 有無を言わせない誠光の言葉に、澪は顔を合わせられず頬を赤らめながら俯いた。

 そんな澪の様子を見て、誠光はふんわりと顔を綻ばせると澪の手を優しく引いた。


「さあ、お言葉に甘えて食事をいただくとしよう。澪は何が食べたい?」

「……じゃあ、そこのサラダを……」


 恥ずかしがっても、お腹は減る。

 澪はもう食事のことだけを考えようと、白いテーブルクロスに美しく並べられ料理に目を向けた。




 ♢♢♢




 その後、澪は周囲から好奇や嫉妬の視線を向けられながらも食事を堪能し、初めて聞くオーケストラ演奏に酔いしれた。

 演奏されたのはモーリス・ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」に始まり、「水の戯れ」「ソナチネ」と優雅で繊細な日本人好みの曲調が披露された。

 初めはわざわざ楽団を自宅に呼ぶなんて、流石大きな会社の社長は違うなあと金銭感覚の違いに驚いたものの、テレビではない生で聴く演奏に澪はいたく感動し、万雷の拍手を送った。

 あまりの喜びように、誠光から澪の誕生日にオーケストラを呼ぶかと提案されたが、それは全力でお断りしたが。


「誠光さんも音楽がお好きなんですか」

「好きと言うか、教養の一種で知っているくらいだよ。澪は気に入った?」

「はい、とっても!」


 本当に素敵でしたと小さく手を叩き、にっこりと楽しげに笑う澪を誠光が目を細め愛おしげに見つめる。


「澪は笑っている姿が1番綺麗だ」


 誠光から落とされた言葉は、盛大な爆弾となって澪の心に落とされた。

 ぼかんっ、という爆発音と共に爆風で澪の笑顔まで彼方へと飛ばしてしまい、残ったのは殺風景な表情のみであった。


「……余計なことを言ってしまったかな」

「あっ、いえっ、そんな……」


 他人から容姿を褒められたことなんて、皆無に等しいせいでどう反応したらよいのかわからなくなって、無表情になってしまったのだ。

 少し悲しげな表情を浮かべる誠光に気を遣わせたくなくて、澪は何か言おうとするものの、適した言葉が見つからなかった。


「あの、ごめんなさい……」


 澪はいつも謝罪の言葉しか求められなかったから。


「いや、謝ることじゃない。澪は何も悪くないのだから」

「でも」

「強いて言うのであれば、謝罪の言葉ではなく感謝の言葉が聞きたいな」

「……ありがとう、ございます」

「ジョークだよ。無理に言わなくてもいい。ただ、私は澪の口から謝罪よりも感謝の言葉が聞きたいと思っていることだけ、覚えていてほしい」


 飲み物でも取ってくるから待っていなさい、と髪を撫でられ澪はこくりとうなづいた。


 1人その場に残った澪は誠光に触れられた髪をなぞるように触れて、ため息をつく。


(せっかく褒めてもらったのに、どうして上手く返せないのかしら)


 誠光に澪は与えられるばかりで、何も返せていない。

 メイドの仕事だって、誠光からすれば特に雇う必要性だってないのにも関わらず、澪を助けるためにわざわざ仕事を与えてくれているのだ。


(誠光さんもどうして私のことなんか……)


 そう物思いに耽っていると、ふと人の気配を感じて澪は視線を向けるとタイトな紫色のドレスに身を包んだ女を中心に、数人の取り巻きらしき女が立っていた。


「あなたが、クロスフォード様のフィアンセ?」


 突拍子のない質問に澪は呆気に取られたが、澪はおずおずとうなづいた。

 するとその瞬間、女の持っていたグラスが澪の顔面に向けられた。

 避ける暇もなく澪の顔にぶちまけられたシャンパンが、地面に転がり落ちるワイングラスが、あまりにも現実味がなくて、澪は一瞬何が起きたのか分からなかった。


「あんたみたいな芋くさい女が、クロスフォード様の隣に立たないでよ」


ポタポタとドレスに伝い落ちるシャンパンが、急激に体温を下げていくような感覚に澪は顔を青ざめさせる。

嫁入先での仕打ちを彷彿とさせる彼女たちの振る舞いに、澪は恐怖で完全に動けなくなるのだった。












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

毒親家庭で育ち、政略結婚の元夫からはモラハラにDV・浮気までされたあげく離婚されましたが、英国育ちの御曹司に溺愛されて幸せです。 葵月まる @172137

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ