第二章【シンデレラの資格】
4-1
「誕生日パーティ、ですか?」
仕事から帰宅した誠光が夕食の席で持ちかけた話に、澪は小首を傾げた。
「ああ、よかったら澪にパートナーとして一緒に来てもらいたいんだ」
先月社交の場で知り合ったという株式会社河井重工の社長の誕生日パーティに、誠光が招待されたらしい。
そんなものにとんと縁のなかった澪は、困惑と驚きで目を瞬かせた。
そんな澪を見て、誠光はかわいい、と呟くとその目があまりにも甘くて、澪は慌てて目線を逸らした。
「でも、どうして私が……」
「独身男がああいう社交の場で1人でいると、何かと面倒なんだよ」
「そうだとしても……私が行くのは、ちょっと……住む世界が違うと申しますか……」
「私は澪以外をパートナーにするつもりはないよ」
そう断言する誠光の声音に、嘘や偽りはない。
だからこそ、澪は余計に混乱してしまう。
ーー君を女性としてみている、一目見た時から。
あの衝撃的な告白から、はや1ヶ月経ったものの澪は未だにその返事を返せずにいた。
というのも仕事が忙しく出張に行ったり、一日帰らなかったりなど、慌ただしい様子の誠光に返事をタイミングを完全に失っていたのである。
そして、澪が誠光からの想いに困惑していることを見透かしてか、誠光も返事を早急に求める素振りを見せてこない。
そもそも、海外と日本では男女交際の認識が違う。
日本ではどちらかが交際を申し込んでお付き合いがスタートするのが一般的だが、海外にそんな風習はない。
共に時間を過ごし、なんとなく恋人になっていく。
あれこれと思考を巡らす澪に対して、誠光はひどく前向きであった。
「澪がいないと困るんだけど……だめかな?」
眉を八の字にして弱ったように言葉を重ねれば、その言葉に背中を押された澪は渋々といった様子で頷いた。
「よし!なら澪に似合うドレスを見立てなくては」
「だ、大丈夫です!もう既にお洋服はたくさんいただいてますしっ」
「パーティはドレスコードがあるからね、澪にあげた服じゃ中には入れないよ?」
楽しそうな誠光に押し負けて、澪は河合社長の誕生日パーティに向けてドレスやヒール、美容院の予約などに追われるのだった。
◇◇◇
そうしてやってきたパーティ当日の夜。
場所は赤坂にある河合社長の邸宅である。
これもまた立派な家で、入口は自動開閉の門があり、隙間からはライトアップされた見事な日本庭園が見え、家の入口らしき扉は奥まっていて見えない。
「澪様、とてもよくお似合いですよ」
バックミラー越しに相川に褒められたものの、澪は完全に萎縮しており「ありがとうございます……」と小声で返すしか出来なかった。
なにしろ、今澪が身につけているドレスや装飾品だけで新車が買える値段である。
(汚しちゃったりしたらどうしよう……!)
美容院で髪までセットしてもらい、澪は今までの生活から貧乏性を発揮し、動悸まで起こしていた。
そんな様子の澪を誠光は満足そうに見下ろす。
美容院でセットしてもらった髪はふわふわと緩やかに曲線を描き、澪が本来持っている女性らしさを遺憾無く際立たせている。
誠光の選んだドレスは今の季節にぴったりの、淡いエメラルドグリーンのドレスで、首元のパールのネックレスが映えるようにドレス自体はシンプルなデザインだった。
毛先から足先まで、誠光の色に染め上げた澪を見て誠光は至極ご満悦である。
(本当は桜色のドレスを着せたかったが)
好きな女性の1番美しい姿は、自分だけが知っていればいいーーという考えのもと、誠光のとっておきはその時が来るまでしまっておくことにした。
「ほら、相川もそう言ってるんだ。自信を持って大丈夫」
「は、はい……」
「澪、私の目を見て」
澪が恐る恐る誠光の目を見る。
穏やかな海のような、優しい青の瞳。
この青の瞳が澪を捕らえる度に、澪は羞恥で身を捩らせるも、彼の言葉に従って視線を逸らしはしなかった。
「今宵の君はハリウッドの大スターも目が眩むほど、綺麗に輝いているよ。だから、後は堂々と私の傍にいればいい。主役の河合社長には悪いけどね」
悪戯っぽく微笑む誠光の瞳が、澪の体温をじんわりと上昇させる。
それを言えば今日の誠光の装いも、普段のスーツとは違った社交用の物を身につけているのだろう。しっかりプレスのきいたイブニングコートに、誠光のベルガモットのお洒落な香水も相まって、澪は彼の放つ大人の雰囲気に酔いしれそうになる。
車中という狭い空間のせいだろうか、いつもより近い距離に澪の胸の動悸は、いつの間にか高鳴りへと変わっていた。
「誠光さん……」
「……その顔はだめだな。かわいすぎる」
ふいに、さらりと澪の前髪が払われて額に誠光の口付けが落とされーーいよいよ澪の心臓が止まりかけた。
「ま、さ、みつ、さ」
「そのかわいい顔は私にだけ見せるように」
今まで、その色気をどこに隠していたのか。
青い瞳の奥の熱を燻らせ、大人の色気を駄々漏れにする誠光・アーサー・クロスフォードという男に、澪は己の全てを差し出したい衝動にかられた。
そうすれば、誠光はその熱で澪の孤独を埋めてくれる。
あの黒い手袋越しではなく、誠光の肌を持って触れて欲しいーー
「おっほん!」
澪が何かを言いかけた時、その言葉を遮るように相川がわざとらしい咳をして、澪は突然現実に引き戻される。
(わたっ私、今、何を!?)
飛び跳ねるようにして誠光から距離を取り、ドッドッドッと荒ぶる心臓をドレスの上からぎゅっと抑える。
誠光のあの手袋の下にある無骨な手を想像して、恍惚となった自分を今すぐ平手打ちしたい、と澪は羞恥で顔を真っ赤にさせた。
耳どころか、体全身が熱いような気がして、今すぐ帰って布団に丸くなりたいと涙さえ浮かんでくる。
「相川……」
恨めしそうな誠光の反応を、相川はさらりと受け流す。
「ここは日本です。
「この車の持ち主は私だ、私が英国人ならこの車内も英国だ」
「何を屁理屈を仰ってるんですか……」
「今すぐここを英国領する」
「栄光ある大英帝国が7つの海を支配したのはもうとっくの昔ですよ」
相川の辛辣な言い草に誠光は「Hahaha」とわざとらしい笑い声をあげたものの、目は笑っていない。
澪は気を取り直すように、自身の頬を軽く叩いて気を引き締めた。
これはお仕事の一貫なのだ。
彼の虫除けとしての己の役目を全うせねば、と自身を鼓舞する。
「それではクロスフォード様、澪様もお気をつけていってらっしゃいませ」
自動で後部座席の扉が開き、先に降りた誠光が澪へ手を差し伸べる。
「お手をどうぞ、My Princess?」
流れるように片目を瞑ってみせる誠光の余裕さに、澪は感心しつつおずおずと誠光の手に自分の手を重ねるのだった。
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