Elephant in the room

淡島かりす

古のソースコード

 ぐちゃぐちゃという言葉にプラスイメージを見出すのは難しい。シークヮーサー以外でヮの使い道を探すのと良い勝負かもしれない。

 何にせよ、現在進行形で目の前にあるぐちゃぐちゃからはマイナスイメージしか伝わらない。

「酷いソースコードだ」

 ワイドモニタに映し出されたそれを見ながら呟いた。絡み合ってるなんてもんじゃない。よくまぁここまでおかしな状態に出来たと感心してしまうほどである。ネストも死ぬほど深いし、変数のネーミングルールだって滅茶苦茶である。

「なんで二回変数宣言してんの」

「念の為」

 そう返したのは隣に座る後輩である。そろそろ日付変更線が迫りつつある深夜十一時。オフィスには申し訳程度の明かりしかついておらず、暗くなった廊下の果てに自販機の青白い光が見える。

「念の為じゃないだろ」

「知りませんよ。俺が作ったんじゃないんだし。見てくださいよ、日付」

 こちらに視線を向けぬまま、後輩は続ける。

「1998年ですよ。ノストラダムスの年ですよ」

「ノストラダムスは1999年」

 要らない指摘をしながら、ソースコードを辿っていく。運が悪かったのか日頃の行いが悪かったのか知らないが、定時過ぎになってもダラダラとオフィスで珈琲を飲んでいたのは罪かもしれない。あるいはそれに似た何か。

 滅多に鳴らない定時過ぎの外線を取ってしまったのは、これは罪ではなく失敗である。おかげで困惑と怒りが綯い交ぜになった障害報告を受ける羽目になった。

「こんなのいつまで動かしてるんだよ」

「仕方ないんじゃないですかぁ。あぁいうところは」

 後輩が言葉で示したのは、今も電話の向こうで待っているであろうエンジニアが、半年前から出向している場所のことである。十中八九、今日もそこにいるに違いない。

「そもそもこれって、うちで作ったやつなんですか」

 後輩の問いに対して「多分な」と返す。十年前と十五年前に合併した会社が、それぞれ過去に何をしていたかなどわからない。人の移ろいはソースコードよりも複雑だ。

「ただ、コメントがないからわからない」

 ソースコードにはコメントがつきものだ。例えば「障害対応 フラグの判定条件でelseになるパターンを修正」なんて書いてあれば、その下に書かれたコードがどういう理由で書かれたのか判断しやすい。だが古いシステムになればなるほど、コメント量は少なくなる傾向にある。

 そんなわけで一つのソースを二人でそれぞれ追うという、非効率な作業をする羽目になっていた。

「あっ」

 不意に後輩が声を出した。先輩、先輩と興奮気味に呼ばれたので、椅子のキャスターを少し転がして真横に移動する。

「どうした?」

「多分これですよ」

 後輩が指さしたのは、ぐちゃぐちゃのコードの中のたった一行だった。それだけ見ても何が何だかわからない。

「これが?」

「えっと、ここで定義してるんですけど、この時の条件が分かれてて……」

「こっちの分岐に入らないってことか」

「そうです。本当はこっちの条件が有効なんですけど、判定が先に来るから」

「じゃあ順番変えればいけるのか」

「多分」

 少しの沈黙の後、互いに顔を見合せた。同じような顔をしている。つまりは困り果てた表情。

「弄りたくないな」

「下手に順番変えて、違う場所がバグったらまずいですよ」

「わかってるよ。だから変えるのは最終手段だ」

 古いシステムでは「何故かはわからないけど動いてる」というものが多い。それは大抵、資料やコメントの不足によるものであるが。どちらにせよ不用意にソースコードを変えるなんて所業は皆避けたい。今はまだいい。不具合を起こしているとしても、それは1998年の誰かのせいである。だが一文字でも直したが最後、全ての責任はこちらに被さってくる。

「ここに判定を追加しよう」

「ここですか?」

「他に無いだろ」

「別クラスで呼びますか」

「いいよ、ベタ打ちで」

 オフィスにキーボードを叩く音が響く。それを聞きつけたかのように自販機がモーター音を立てるのが聞こえた。あとで珈琲を買おう、と密かに決意する。後輩には甘いオレンジジュースだ。何がいいのか知らないが、いつもそれを飲んでいる。

「……なんか」

 数分後、コードを追加した後輩がうんざりした声を出した。

「余計にぐちゃぐちゃになったような」

「いい、いい。どうせ元々ぐちゃぐちゃだ。それに向こうにはわからない」

 多分これをまた違う人間が見たら、今日の自分たちと同じような反応をするだろう。だがもはや知ったことではなかった。終電までのリミットは近づきつつある。

「コメント入れとけ」

「なんて書きます?」

「日付と現象だけでいいよ。どうせ」

「ぐちゃぐちゃだから」

 言葉を先回りした相手は楽しそうに笑う。深夜のテンションにはついていけないため、欠伸をして誤魔化した。

「出来ましたー」

 やたら明るい口調で後輩が言ったので、嫌な予感がしながらモニタを覗き込む。追加されたコメントを確認すると、思わずため息が出た。今が昭和なら手が出ていたかもしれない。感謝しろよ、と思いながらキーボードのバックスペースキーを押す。

 「この前後がぐちゃぐちゃしてます!」という元気いっぱいのコメントは、カーソルの後退と共にデジタルの闇へと消えていった。世の中には書いてはならない物もある。


END

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