サカサマの方程式

サイノメ

サカサマの方程式

 整理整頓された空間は美しい。

 それが分かる者も美しい。

 私がそれを理解できるのは数式を愛しているからだと人は言う。

 数式と整理された空間のイコールを導き出す解は難しいだろう。

 整理整頓されているようにみえる数式にも不確実性な事象を扱うモノもある。

 むしろその不確実さこそ私が数式を愛する理由だ。

 では相反する整った空間に美を感じるのかと言えば、もっとも整った状態こそ不確実な混沌カオスへの起点であるからだ。

 人智の及ばぬ混沌と言えど人間は基本となる状態が無ければ、それを認知理解できない。

 だからこそ整理された空間を美しいと思うし、それを理解する人は、その先の混沌を理解してなお抵抗し続ける抵抗者チャレンジャーだ。

 私はもっとも愛する数式モノを手に入れるためにも整った状態を愛し続けるだろう。

 そしてまた今日も私の部屋を見れば、おぞましい愛おしい位に散らかっている。

 無数に書き殴った紙切れ、数式が判読不能な程に隅々まで印刷されコピー用紙。

 そして調べ物をするために棚の奥から引き出した、あるいは通販で取り寄せた本が床に乱雑に積まれている。

 他人ひとによってはこれを混沌の極地と表現するかもしれない。

 確かに人が人として暮らすには散らかり過ぎており、私もその意味では生活に困る程である。

 しかし、逆に言えばこの状態は人がと認識できる程度の不確実さであり、混沌と呼ぶには程遠い。

 私はしばし考えるとおもむろに通信端末を取り出し、とある所へ連絡する。

 チャットなどの技術は進化し、リアルタイムで連絡が取れるようになったが、急ぎの時は音声通話の方が手早く済む。

 いつもの様に相手の名前をアドレスから呼び出しコール。

 呼び出し音が2回鳴ったあと、相手先から応答がある。

『はい。美術鑑定から古道具の下取りまで電話一本承っております『古物商こぶつあきない 回天堂』でございます。』

 ハキハキとした明るい女性の声が語りかける。

 私は思わず渋い顔になる。

 回天堂には何度か世話になっており、その鑑定眼と仕事の早さは買っているのだが、難点と言えば電話の相手である。

 ひとことで言えば、自分のペースで事を運ぶタイプ。

 ただし巷に有象無象いる仕事が遅いタイプではなく、とにかく仕事が早く段取りも良い。

 ならなぜ苦手なのかと言えば、クライアントを相手にしていても、自分のペースを崩さず矢継ぎ早に質問攻めにしてくることだ。

 そのため、整頓が終わったら作業を再開しようと考えていても、疲れ果てて作業どころではなくなっているのだ。

『……様? 綺世賢人あやせ まさと様?』

 一瞬物思いに耽っていたのだろう。

 相手への返事が遅れた。

 かろうじて「申し訳ない。聞こえてます。」と慌てて返す。

『良かったです。緊急のトラブルでも起きたのかと思いました。』

 心配と好奇心と安堵が入り混じったような声色だ。

 終始この様な調子で自分のペースだ、とは言え私も何度もやり取りしている相手だ、うまく調子を合わせつつ、依頼内容を簡潔に伝える。

『承知いたしました。いつもと同じ整頓と清掃業務ですね。一番早いお時間ですと本日の午後にお伺い出来ますが、そちらでよろしいでしょうか?』

 急な依頼だということは自分も理解していたから、本日中に対応してもらえるなら願ったりだ。

「早いですね。是非そちらでお願いいたします。」

 私は一も二もなく返答する。

『承りました。ところで綺世様。只今サービス期間となりまして、』

 彼女は唐突に話を続ける。

 サービス期間?

 今までそんな事はなかったのだが、懇意にしてる業者である以上、変な提案ではないだろう。

『サービス内容は失せ物探しの特価対応となります。』

「しかし私のお願いは清掃と整理ですが?」

『はい。でも綺世様のご依頼は最後に必ず片付けた物の中から品物を探すことになりますよね。』

 確かにそうだ、キッチリ整頓されているとは言え他人にやってもらう以上、勝手が異なる事が多い。

 その為、最後に使用頻度の高い物がどこにあるか確認することになる。

『その結果、延長料金が発生することになりますが、こちらのサービスをご利用いただく事で、通常の延長よりお値段が安く抑えられます。』

 なるほどと私は思う。

 普段は清掃と整理整頓の作業延長となる為、延長料金が高くなるが、簡単な失せ物探しなら時間校則無し1件ごとの固定単価となるので、結果安くなるという事だ。

「特価でやっていただけるということであれば、ぜひお願いいたします。」

 私はそう答えながら、探す必要のある物を考える。

『ご利用、承知いたしました。 探す必要のある物については概ね把握しておりますので。』

 優しい口調で答える従業員。

 この口ぶりだと、今日も彼女の担当なのだろう。

 勝手知ったる他人の家とは言え、生活が把握されている様で居心地の悪さを感じる。

「あっ、……分かりました。ではいらした時に確認としましょう。」

 その後、料金の確認と支払い手続きを行い通話を切る。

 やはり、自分のペースを変えない苦手なタイプだった。


 数時間後。

 部屋の呼び鈴がならさせる。

 応対に出ると予想どおり、回天堂の社員である彼女が立っていた。

 年の頃なら20歳前後といったところで、愛嬌のある大きな瞳が特徴的である。

 作業道具一式を持った彼女は部屋に入り道具を広げると、ジャケットを脱ぎ作業服を羽織る。

 最後に長い髪を縛り、キャップの中に収めると準備完了と呟いた。

 それを聞いた私は「お願いします。」と部屋の扉を開ける。

 部屋の様子に一瞬、怯んだ様だがすぐに作業を始める。

 テキパキと仕分けをしながら、都度必要なものか私に確認をしてくる。

 不要な物と必要な物に仕分けられていく品々。

 一旦、分けられた物から必要な物だけ片付けを始める彼女。

 その傍らで私は不要な物の中に、必要な物が混ざっていないか確認をする。

 いつも通りの工程が進む。

 やがて部屋の整頓と清掃が終わると、彼女はおもむろに作業着を脱ぎ再びジャケットを身に着ける。

 失せ物探しなので、汚れている作業着ではなくスーツで行うのだろうと私は考えた。

 彼女はスーツ姿になると床に正座する。

「本日のサービスの失せ物探しについてですが、すでに私共の手で完了しておりますので、ご報告させていただきます。」

 突然頭を下げながら伝えてくる彼女に私は動揺した。

 まだ探し物の確認もしていないのに、なぜ分かるのだろうか?

「これまでの作業から綺世様の必要なものについて多方面で調査を行わせていただきました。」

 顔を上げた彼女の瞳は真剣そのものであり、いつもの様な好奇心旺盛な雰囲気は無い。

 その真剣さが私の不安を掻き立てる。

「これまで綺世様は、整理整頓が美しいと公言なされると同時に、不確実性を愛するとも言われてきました。」


 従業員は語る。

 綺世賢人が何故、そのような相反する事を好むのかを。

 綺世賢人にはかつて妻がいた。

 妻は整理整頓が好きであり綺世自身もその整頓された空間を好んでいた。

 しかし、二人の関係はある日終焉を迎える。

 それは二人に対し特別に訪れた破局ではなかった。

 多くの人々に訪れた終末ディザスター

 結果、綺世は妻を失い、彼自身も長らく放浪の身であった。


「その放浪の中で出会ったのが、これですね。」

 従業員が一冊の古ぼけた本を取り出す。

 私はその表紙を見た瞬間。

 それをひったくるように掴みページをめくる。

「な、なんなんだこれは?」

 私は何ページもめくり、そこの記述を読もうとするが、いずれもぐちゃぐちゃに書き殴られた常人には理解できない悪戯書きでしかなかった。

 そんな一切価値もない物が曰くありげな装丁がされている。

 私はかつがれたのだ。

 そう思うと女を睨みつけ、とびかかろうとした。


 とびかかろうとした綺世に従業員は右手を掲げて制止する。

 それはただ右手のひらを綺世に見せているだけだが、綺世は動くことができなかった。

「そうです。意味のない落書きですが、これがあなたの命を救った物です。」

 従業員は静かに告げる。

「あなたはあの混乱、つまりはにかかりながら、生き残った数少ない人の一人なんです。」

 多くの人々はあの時、形のない不安に取り憑かれた。

 その不安が増大し様々な同時多発的に倫理外の動きをしたため文明が崩壊したのである。

 今残るのはかつての文明の残滓を生き残った人々が再興させた結果であった。

 不安に駆られた人々の多くは最終的に自死に至ったため、混乱は終息したのだが、一部には正気を取り戻した者もいた。

 そんな一人が綺世であった。

 収容施設に収容された綺世はその時、1冊の本を持っていた。

 それは因果律について数学的にアプローチをしようとする、ある意味でオカルティズム。ある意味で先進科学的な学術書であった。

 混沌とした不整合の塊ともいえる因果律を整頓し自分が望む現実を手に入れる。

 それを目的としたとき、ぼんやりとした不安は彼から去ったのだった。


「そうだ。私はこの学術書の内容を完成させるため、書内にある数式を書き足していたんだ。」

 私は切れていた糸を紡ぎなおす様に過去を思い出していた。

 因果律を操作し失われたモノを取り戻す。

 そうしなければ、私はいつまでたっても元には戻れない。

 だから私は数式を完成させるしかないのだ。

 その為にはこの本が必要だったのだ。

 なのになぜ、こんなに書きなぐられているのか?

 私は何をしていたんだ?


 頭を抱えながら延々と呟く男の前から回天堂の女職員は立ち上がり、部屋を後にする。

 部屋の外は白い壁の廊下となっており、同じような間取りの部屋が整然と並んでいる。

 しかし、その部屋の中の多くは混沌を表した様なぐちゃぐちゃになっている。

 混乱期の後、ぼんやりとした不安から脱した人の多くは狂気に侵されていた。

 形のない物から逃げるには正気ではいられなかったのだろうか。


「今回のご依頼は完了しました。旦那様はやはり変わらずです。」

 わたしは通信端末で本来の依頼人である綺世の妻に連絡をする。

 回天堂は失せ物探しもする古物商だが、彼女の失せ物である旦那の心。

 それを見つけるには、綺世賢人の心の中を理解する必要があるだろう。

 しかし、そんな事ができる人がこの世にいるのだろうか。

 少なくともわたしには、彼の愛している数式を理解する事はできない。

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