ぐちゃぐちゃ太郎

佐倉ソラヲ

とある研究者たち

「大変です先生」

 助手のシュワルが扉を開けて研究室に入ってきた。

「どうしたんだね、そんなに大きな声を出して」

「それが、例の研究資料が大変なことになってしまいまして」

 先生、と呼ばれた研究者、アラロフはシュワルの言葉に頭をかく。

「大変なことに、とは、どういう状況だね。説明したまえ」

「はい、史料F群なのですが、順番がぐちゃぐちゃになってしまい、修復が難しい状態でして……」

「なんだと……あれほど気を付けろと言っただろう」

「申し訳ありません。今朝からヒューキーが泥酔状態でして、F群で遊んでいたようでして……」

「またヒューキーくんか……というか、あいつはまた飲んだのか、あれを」

「はい……完全に中毒です。何度取り上げて鍵付きの倉庫にしまっても、倉庫の隙間から飲むので意味がありません」

「そうか……やめさせようにも彼は優秀な研究者だ。手放すのは大変惜しい」

 アラロフは唸りながら呟く。

「まぁ良い。彼の処遇についてはあとで考えることにしよう。シュワルくん、例の資料を見せてくれたまえ」

「はい、こちらの方に」

 そう言ってシュワルはアラロフを資料保管室に連れて行った。


「これは大変だな」

 机の上に置かれた史料を見下ろして、アラロフはため息を吐いた。

 その史料は、先史文明の遺物だった。植物由来の記録媒体の束だ。

 片面には色彩を用いた絵が、その反対の面には文字の羅列が並んでいた。

 その文字については、未だ解明されていないためその内容が一体どんなものなのかまでは不明だ。

 しかし、これが何を意味するのかは、研究によって明らかにされつつある。

 恐らくこれは、先史文明の歴史の一部を描いたものなのではないだろうか。

 これと同じような絵が描かれた遺物が、かつて大きな島があったとされる地域でいくつも見つかっている。

「まぁとにかく。我々で何とか修復をしてみよう」

「はい、わかりました先生」


 アラロフは手袋を付けると、慎重に史料を手に取る。

「そうだ、確か海辺から話が始まっていたのだな。なら、最初はこれだろう」

 そう言ってアラロフが選んだのは、一人の人間が複数の動物を率いて海辺に立っている絵だった。

「そうでしたね。それで確か、海辺にいた異国の遣いを救ったのですよね」

「確かにそうだ。たしか、異国の遣いは四本の腕を持ち、頑丈な背中を持っているのだったな」

「ですが先生、該当する絵が見当たりませんよ」

「ふむ、そうだな……この史料はその分が欠けているのか……?」

「あら? この白い生物は、異国の遣いの特徴と一致しませんか?」

「確かにそうだ。だが、色が違うぞ。異国の遣いはもう少し黒い色をしていたと聞く」

「劣化して史料の色が落ちてしまったのではありませんか?」

「それもそうだな。ならば、この異国の遣いを救う絵が最初のようだな」

 アラロフは、人間が白い四本腕の生物に白い丸型の食料を与えて救う場面と思しき紙を拾い上げた。

「しかし、この二匹の生物は一体何なのでしょうか」

「ふむ、一匹は人間に近い姿をしている。もう一匹は全く異なる生物のようだな」

「この二匹、冒頭の海辺の場面ではすでにこの人間のそばに立っていますよ?」

「これはこの人間が元から従えていた従者たちだろう。この四つ腕の遣いを伴って異国へと向かったのだ」

「では、こちらにある、その二匹に丸型の食料を渡す場面はどうなりますか?」

「それは恐らく、この人間が異国の遣いに昔の話でもしていたときのものだろう。こうして我らはであったのだ、と、道中そういう話をしていたのを表しているのではないか?」

「なるほど、さすが先生ですね」

 史料の修復は順調に進んで行く。

「そして海の底にある異国に向かうのですよね」

「あぁ、そのはずだ――――」

 だが、肝心の海の底の異国の場面が見当たらない。

「今度こそ欠落しているのでしょうか……?」

「いや、きっと違う。……私は以前から思っていたのだ。あの話は少し、盛りすぎではないか? と」

「と、言いますと……?」

「元から海中に暮らす生物でもない限り、水の中で呼吸できる生命体なんてそうそういない。かの話は、きっとどこかで脚色が入っている。海の底というのは何か知らの暗喩に過ぎないのだよ」

「暗喩、ですか?」

「あぁそうだ。直接的な言葉を用いずに出来事を説明する手法だ」

 アラロフは、そう言って史料と向き合った。

「海の底でもてなされ、海の底から戻って来た直後に老人の姿になっていた。これはきっと何かの暗喩だったのだ。これは新説の可能性が出てきたぞ」

「新説……ですか?」

 シュワルが目を大きく見開いた。

「あぁそうだ。修復を続けよう」

「はい、先生」

「――海の底の異国。そんなところで飲み食いしてしまえば死んでしまう。だが、この男は最終的には生還した。つまり海の底というのは、何かしらの苦境ということを示しているのではないか? 水の中で食事をすることに比肩する苦行を異国で強いられ、故郷に戻って来た頃にはすでに老人になっていた。これは、そういう話なのではないか?」

「なるほど。でしたら、こちらの絵が次にふさわしいのではありませんか?」

 シュワルが見せたのは、黒々とした岩肌の島に上陸する一行の絵だった。

「それだ! その黒い大地こそ異国の地。そこでこの男は、水の中で食事をさせられるほどの苦戦を強いられる……! そして戦いに勝ち、彼は故郷へと戻った。そうだな、この乗り物に乗っている絵が次の絵だ」

「はい、こちらには、その男が老人になったと思しき絵がありますよ」

「おお! これで完成だな!」

 シュワルが見せた絵は二枚。一枚は、二人の老人が二つにぱっくり割れた謎の物体の中に子供がいる絵。その次は、河川の上に浮かぶその物体を見つめる一人の人間の絵だった。

「これは……」

「先生、これは一体どのような解釈なのですか?」

「ふむ……戦から帰って来た男は酷く疲れていた。戦場でのストレスが癒えず、狂ってしまった男は共に暮らすことになった別の人間と共に子供を入れ物に詰めて川に流すという犯罪を繰り返すようになった……そうか……この物語は……戦争は虚しい、悲しみしか生まない。そんなことを我々に伝えようとしていたのか……」

「先生……!!」

「そうだ……我々は……我々ニャクニャロン人は……! 先史文明の者たちの言葉を忘れぬ!! 平和を愛し、恒久の平穏を望む!!」

 十一本の触手状の腕を掲げながら、アラロフは高らかに叫んだ。

「えぇ、先生!! 私もニャクニャロン人として争いのない世界を作り上げます……!」

 シュワルも、大きな一つ目からほろりと零れた涙を触手で拭いながら宣言する。

「先史文明の方々は、たった四本の腕でこんなにも勇猛果敢に戦ったのだ。我々は、その雄姿を忘れてはいけない……!!」

 数千万年前に滅んだとされるホモ・サピエンスと呼ばれていたらしい先史文明人たちの遺物を修復しながら、多腕族のニャクニャロン人の研究者たちは彼らを称えるのだった。


 翌日。その遺物は一日ぶりに出勤してきた有能な研究者が正しい順番を記録していたらしく、彼女の記した記録通りに遺物は元通りになった。


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ぐちゃぐちゃ太郎 佐倉ソラヲ @sakura_kombu

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