山に棲む神

葛西 秋

山に棲む神

 石碑を求めて野辺を歩けば、庚申塔こうしんとう馬頭観音ばとうかんのんの石碑はどこでも多く見られる。


 庚申塔は江戸時代に流行した民間信仰、庚申講こうしんこうの"記念碑"である。

 人の体の中には三尸さんしの虫が棲んでいる。三尸の虫は夜になると人の体から抜け出して、天帝に己が住処としている人間の悪事を告げ口に行くのである。

 天帝は悪事の罰則としてその人間の寿命を縮めるので、三尸の虫が抜け出る夜、すなわち六十日に一度巡ってくる庚申の日には皆で徹夜で虫を体の外に出すまいとする。眠気をごまかすために酒や食べ物を持ち寄って夜通し集まり騒ぐ。これが庚申講である。


 庚申講を三年間続けたら、記念に一本、庚申塔を建てる。

 江戸時代後期の経済活動ともつながって、庚申講は全国的に広がった。最近までその風習が続いていた土地は少なくないし、今も続いている土地がある。


 結果、日本各地、野辺のどこを歩いても庚申塔が立っているのである。


 馬頭観音については物資の輸送手段が馬だったころの信仰で、大切な馬が健やかであるようにと願われた。馬が道端で死んでしまったら丁寧に葬って、その場所に馬頭観音の石碑が建てられた。だから主に街道や集落の主要な道筋に沿って馬頭観音の石碑は立っている。


 その他の石碑で多いのは、山ノ神もしくは山神という石碑である。

 神というその名の通りに神出鬼没。山にあるのは勿論、山の姿が遠くに霞む平地にも山ノ神の石碑はある。どうしてか。


 山に棲んでいる山ノ神は、春になると里に下りてきて田の神になる。

 人々の田畑に豊穣をもたらす農耕の神に変身するのだ。


 だから、冬の間に山ノ神が籠る山、春に下りてくる里の平野に山ノ神が祀られる。


 そもそも日本の祭祀神道は山岳信仰から始まったというのは、多くの学者研究者の見解が一致するところである。


 自分達が住んでいるところから見える"いい感じ"の山をその集落全体で信仰し、いつしかその集団の神が作られる。


 古代の日本には氏族ごとにそんな神が奉じられていたのだろう。


 一方で、西暦645年。

 乙巳の変によって朝廷から蘇我氏を追放した中大兄皇子は、天智天皇となって大化の改新を推し進めた。中国の律令制を模して日本の国造りを急いだのだが、その一環として歴史書の編纂を行った。


 それが「古事記」と「日本書紀」である。

 この二つの歴史書によって、それまで氏族ごと、地方ごとに信じられていた名も無き神の全てに名前が与えられた。もともとの名前が書き替えられた事実も否めない。


 そして山から下りて農耕を言祝ぐ山ノ神には、大山祇神おおやまつみという名が与えられた。

 大山祇神はイザナギ・イザナミの子であり、此花昨夜姫このはなさくやひめの親である。天皇家に直結している大変由緒ある血統なのだ。この辺りに、日本が農耕を基盤に成立した国であることが窺える。


 と、ここまでは理解しやすい。問題はここからである。


 実のところ、海に面した土地の大山祇神は海神として信仰されている。静岡県の三島大社が最も有名だが、東京の品川や神奈川の川崎、また西日本では瀬戸内海にその名がみられる。海神としての大山祇神は航行の守護神である。


 海に山に里山に、日本全国どこにでも出かけるだいぶフットワークの軽い神様である。なぜこんなことが起きたのだろうか。


 ブレは他にも生じている。

 江戸時代初期の学者に荻生徂徠という人がいる。徂徠が飛騨に出かけた時、現地の人からこんな話を聞いたそうだ。


——木こりが山の中で見たことのない獣に遭遇した。獣は足を一本しか持たず、どう見ても魔のモノである。この魔物に対するまじないの呪文を知らなかったので、木こりは下手に出ることにして「貴方はなんという神様なのでしょうか」と尋ねてみた。獣は「大山祇だよ」と云ってその場を去った。


 山から下りて田の神になり瀬戸内海では海賊の守護神。挙句の果てに一本足の獣である。まるで一貫性が無い。いったいどれが大山祇神の本質なのか。


 ここでこの話の前の方を思い出していただきたい。


 ——二つの歴史書によって、それまで氏族ごと、地方ごとに信じられていた名も無き神の全てに名前が与えられた


  あまりにも神様が多すぎて、農業や漁業など豊作を祈る神をまとめて大山祇神と名付けたのなら、この属性のぐちゃぐちゃも説明がつくのではないかと私は考える。


 現に江戸時代中期、京都や大阪の風習を描いた書物「日本山海名物図会」には、山ノ神を祭る山神祭について、こう書いてある


 ——山の神は山口に所を選んで社を勧請する。神は各々の願いによって定まりたることなり。まつりの日は京大阪より芝居見物などを取り寄せ、いと賑やかに祝い祭ることなり。


 山ノ神として何の神をお迎えするのは、その時の需要によって決めていたようだ。

 雨が少なければ竜神、商売繁盛ならば稲荷神、たまには変わったところで羽黒権現。


 山ノ神はその懐の広さ故、伝承がこんがらがってぐちゃぐちゃになり、けれど豊かな個性をもった大山祇神として、古代の日本から連綿と繋がってきた。


 そして最近手に入れた資料によればこの大山祇神、中大兄皇子の重要な片腕であった中臣鎌足の氏族と関係があるらしい。中臣鎌足はその死の直前に天智天皇となった中大兄皇子から新たな名字を賜った。


 それがこの先、平安時代を通じて栄華を誇る藤原氏の始まりである。


 ここから先のお話は、大山祇神とは離れること。またの機会に書いてみよう。

 今夜も本の山に埋もれて夜が更けていく。

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