C恐怖症
七雨ゆう葉
「美」
「はい。じゃあ今日の撮影はここまで」
「お疲れ様でーす!」
目まぐるしいフラッシュの波動が終息すると、私たちの表情は瞬時にして弛緩した。スレンダーな脚先から響くヒールの音が、冷たいコンクリートに乱反射する。
「ねえ。今日はどこの店行こっか?」
「じゃあさ、あそこにしない? 新しくできたイタリアンの……」
マリコ、チエ、サオリ、そして私を含む四人は雑誌の撮影を終えると、この日も遅めのランチへと繰り出す。
仕事終わりの毎日の楽しみ。とはいえ日本全国、人気雑誌の被写体である私たちは常にストイック。オフの時間とはいえ、気を許すことはない。
「ほら、ユキ。早く行くわよ」
「はい」
マリコとチエは事務所の一つ先輩。サオリと私は入ったばかりの同期。
先輩たちは新人で慣れてない私たちを、親切に快く迎えてくれた。
やった。認められた。
彼女たちのコミュニティの一員になれた。
私は美しい。特別なんだ。
それはVIP専用の会員制パスを手に入れたような感覚。
何にも代えがたい多幸感が、全身に染み渡ってゆく。
「うん。おいしい」
「評判通りね」
前回は健康的なサラダビュッフェ。そして今回は、最近テレビでも取り上げられたお洒落なイタリアンで舌鼓を打つ。
「カシャンカシャン」
「ズゥーズゥーー」
連続してこすりつけられるフォークに、スープをすする音。
私たちから少し離れたテーブル。そこには二人組の女性客が。
「……ったく、品が無い」
「感性どうなってるのかしら」
「美しくない」
彼女たちを見て、発せられた溜息交じりの言葉。そんなマリコに呼応するように、チエとサオリも冷たい視線を流す。
スプーンを添えながら器用にパスタをフォークへと巻きつけ、静かに口へと運ぶ。団欒しながらも、一切無駄の無い一流モデルたちの所作。隅々まで行き届いた美のプロ意識に、私は尊敬の眼差しを向け続けた。
「ねえねえ、次はこの店なんてどう?」
ランチを終え、満足げに街道を歩いていた四人の脚がピタッと止まる。
『夏限定! 季節野菜のヘルシー五穀カレー』
写真映えした鮮やかな彩色。真夏のスパイスさと爽快感を含んだそのポスターに目を奪われた私たちは、次回三回目の行き先としてそのカレー店へ足を運んだ。
一週間後のスタジオ。
訪れた、四回目のランチタイム。
「ほらサオリ、行くわよ」
「はい、いま行きます」
この日も撮影を終えた一行は扉を開け、暗闇から陽光の下へと消えてゆく。
だがそこに、私はもう居なかった。
きっと私は、過ちを犯したから。
それに気づいたのは、例のお店に行った日から数日後のことだった。
だってあの日。私を見る彼女たちの視線は、イタリアンレストランで見た“それ”と同じだったから。
「どう? 仕事のほうは」
「…………」
「感謝するのよ、ユキ。あなたのその美貌は、ワタシ譲りなんだから」
親子二人、食卓を囲む。
「でもモデルになるなんて、母さん嬉しい」
「あなたは私の自慢だわ」
母は嬉しそうに、自慢げに言い放った。
「……っ、なん……で」
「え?」
「何で……直してくれなかったの……」
「ユキ?」
「ぜんぶ、お母さんのせいなんだから!」
わかってる。母は何も悪くない。全ては私の詰めの甘さ。自分自身の過ち。
だが自暴自棄になっていた私は、母にそう言い捨て家を飛び出した。
「どうしたのよ」
「……遅れて来た反抗期かしら」
首をかしげながら、そう呟いた母は盛り付けられた大皿にスプーンを通す。
途切れることのない、金属と陶器のぶつかり合う音。そこにはスプーンでぐちゃぐちゃにかき混ぜられた、無秩序なカレーライスが順調に量を減らしていた。
暑苦しく不愉快な日差しに視界がくらむ中、階段を昇り丘へと駆け上がる。その場所は体形維持と健康のために、毎日ランニングをしている河川敷。普段は陸地と水の境界がキレイに隔てられており、青と緑の景観が美しい。だが昨日はちょうど大雨が降ったせいで、増水した川が草地にまで浸水し、濁った泥となって一面をことごとく蝕んでいる。
その光景を見て、私は最後に四人で行ったランチの日を思い出していた。
私がしてしまった失敗。
無意識の習慣。
「……美しくない」
眼前に広がるカオスを見つめながら、一人静かに言葉を吐く。
その日から私は一切、カレーライスを食べることは無くなった。
C恐怖症 七雨ゆう葉 @YuhaNaname
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