第25話 沈む夕日に水と影 〈完〉

「そろそろ帰ろっかね」



 肖子しょうこは私の背中をポンポンと叩く。


 私はすぐに体を起こそうとしたが上手く体に力が入らず、結果としては彼女の腕の中でモゾモゾと芋虫のように動いただけであった。どうやら少しばかり寝てしまっていたらしい。



「急がなくていいよ。寝ちゃってたもんね」



 改めて指摘されると恥ずかしくてたまらなくなった。



「私。なんか変な寝言、言ってなかった?」


「うーん。どうだったかな」



 私の問いに意地悪な答えが返ってきた。彼女の顔を見なくとも、ニヤニヤとした笑みを浮かべているのは明らかだ。



「寝かせてくれてありがとね」



 これ以上、問答を繰り返していても、私が恥ずかしい思いをするだけなので、素直にお礼をして怠い体に喝を入れる。



「おはよう、マヤ」


「うん。おはよう」




 夕日が窓に差し込んで照らされる彼女の横顔に私の心は奪われていた。












 それから幾月ばかり経った頃。


 私たちは二年生に進級した。



「ほらー! 行くよー!」



 教室に響くのはおそらく私を呼んでいるであろうあの鈴の音だ。



「今そっち行くから!」



 私の最大限で彼女にも聞こえる最低限の音量。私は急いで机の上を片付ける。


聞こえないだとか早くしろだとか急かす彼女の言葉に周りの人たちは苦笑している。



「もう、やめてよね」



 急いで教室の前へ向かい、壊れたラジカセを止める。すると彼女は赤面する私の事を見て満足気な顔をした後に、両手を合わせる。ごめんねのジェスチャーか。


 そんな彼女に呆れ、私は一人で教室を出た。



「ごめんねー。許してよー」



 声と共に勢いよく扉から出てきた彼女に腕を掴まれる。



「これ、毎日やらないと気がすまないわけ?」



 この展開はもはやお昼休みの恒例行事になっていて、肖子が私に面倒くさい絡みばかりするので私たちの仲の良さは周知の事実となってしまった。


 そのおかげで彼女は高嶺の花みたいイメージを払拭出来て、私は前よりも少しだけ明るく振る舞う事が出来るようになったので悪い事ばかりでは決してなかった。



「だって一秒でも長く二人で過ごしたいんだもん」


「はぁー。またそんなこと言って」



 こんな嬉しい事を言われてしまっては強く注意する気持ちも消えてしまう。



「じゃあ、おわびの印に手繋いであげるから!」



 彼女は恩着せがましく私の手を取る。



「それはショーコが繋ぎたいだけでしょ」


「そういうこと言うんだ。じゃあ離そっかな」



 意外と素っ気なく離れていく手を私は捕まえ直す。



「──いいよ。これで許してあげる」


「うん! ありがとね」



 まんまと彼女の掌の上で踊らされている気がする。この手の駆け引きで、肖子に勝てた試しがない。



「良かったよね。今年も同じクラスになれて」


「それは私も嬉しかった」



 気持ちが通じたのが嬉しかったらしく、運命かもと目を輝かせる。私は大袈裟だと軽い返事をする。



「マヤの方がロマンチストだって、わたしは知ってるんだからね」


「そう言いきられると恥ずかしいよ」



 ロマンチストで何かを思い出したのか、彼女はビックリマークが頭の上に出るかのようなきょとんとした声を上げる。



「ねぇ、昨日の見てくれた?」


「まぁね」


「どう、面白かった?」


「うん。次も見てみるよ」


「えー! 嬉しいなぁ」



 彼女がおすすめしてくれたドラマの話である。私は少しずつではあるけれど、彼女のことを知ろうと頑張っている最中である。



「いやーね。マヤが恋愛ドラマなんて興味もってくれて嬉しいよ」


「だってショーコが好きだっていうから」


「あらあらー」



 どうやっても茶化されてしまうし、まだまだ妹分も卒業出来ない。



「わたしもマヤの好きなものもっと知りたいよー」


「私は今探してる最中。歌い手以外無かったからさ」


「うん! 知ってるよ! 厄介ファンがそうそう変わるもんか」


「本気にした私がバカだったよ!」



 こんな調子で共通の話題以外も割と話す仲になった。



「ほら、着いたよ!」



 肖子は私をエスコートする様に扉を開けて、私の定位置の席を後ろに引いてくれる。少し照れ臭いのでやめてと頼んだのだが、私が自己満足でやりたいんだと引いてくれない。



「ありがとね」


「いえいえー。私の大切なお姫さま!」


「最後のそれだけはやっぱりやめてよ!」



 歯を見せて笑う彼女は聞く耳を持たずに自分の席に着いた。



「好きな事で思い出したけどぶっちゃけさ、もう彼の歌聞いてないの?」


「ほんと今日は特別に意地悪だよね」


「褒め言葉をありがとね。それでどうなの?」


「もう聞いてないよ。声聞くと辛いんだもん」


「ほんとかなぁ?」


「ほ、ほんとだよ。彼に……いや、何でもない」


「何、誰に誓うって?」



「もうあの人の話はいいから! ほら私たちの推しの話しようよ」


 


 あれ以来彼の歌は聞かなくなった。正確には聞けなくなってしまった。彼の声を聞くと、胸が突き刺される思いがして苦しくなってしまうからだ。ワンコーラスですら耐えられない。


 だが、この歌ってみたの世界には無数の数の歌い手が存在しているので、探してみると意外と原石は転がっているのだ。


 私は正式に彼から離れられたわけではなく、離れざるおえなくなってしまった身なので、まだ本格的に誰かを応援する気にはなれない。しかし、登校中のBGMが無いと寂しいので、色々と模索中である。


 一年経ったら案外彼の元に戻っているかもしれない。


 彼から貰うものはもう無くても、これまでに貰ったものは大事に抱えて生きていこうと思う。


 だから形は違えど、歌い手や音楽の沼からきっちりと、離れることは出来ない気がする。結局は、彼がいる場所で彼を見ないようにして過ごすのだ。


 だったらまた一から楽しもうと思う。


 一番の推しの席は空席で結構。


 神様なんか居なくたって、案外世界は回るもんだって痛いほどわかったし、神様なんて簡単に何処かへ行ってしまう軽薄なものだ。


 あんなに好きだったのに、推しの声を聞かない日が徐々に当たり前になって、尚更何をどうして、何処が好きだったかはわからなくなる一方である。


 肖子しょうこに抱いてるこの好きという気持ちの正体も、同じようにもっとわからなくなってしまった。


 だけど今は彼女と、一緒に過ごせるこの時間を楽しみたい。


 新曲、歌ってみたを投稿する。全ての人たちに感謝を込めて。


 今日も私のお昼休みは肖子のこの言葉から始まる。



「きのうの新曲聞いた?」

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きのうの新曲聞いた? シンシア @syndy_ataru

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