第24話 あなたの一番になりたかった

 教室の扉が音を立てる。



「あ、先生来たね。終わったら、すぐ来るからまた逃げないでよね」



 肖子しょうこは私の肩に手をかけて、確認を取るように私の顔に目線を落とす。私は首を縦に動かすことで同意を示した。それを受け取った彼女は、にこりと笑うと柔らかい靴音を響かせて、足早に自席へ戻っていった。


 彼女の過保護すぎる私への対応から、どれだけ自分が酷い顔をしているかは想像ができた。情け無い話だが、彼のことと彼女のことで頭と心の容量はいっぱいになってしまい、自分の事を上手く操縦出来ている気は全くしなかった。


クラスメイトの視線がある中で、肖子のことを引き止めて、小声で話したことなど気にもならないぐらいに、私の脳内はどう気持ちを伝えるかで大騒ぎであるからだ。



「おーい!」



 目の前で左右に動く両手が見える。気がつくと、ホームルームは終わっており、帰る支度をするもので溢れていた。



「随分ボーッとしちゃってるねー」



 肖子の二言目でやっと意識は現実に戻ってくるが、彼女の優しい眼差しが、心にグサグサと突き刺さるようで、少し苦しさを感じる。


(ごめんね。これからしっかり謝るから)


 私はありがとねと小さく呟く。



「じゃあ場所移動しようか」



 それから彼女に手を引かれて、いつもの教室に移動する。




「ここの教室、いつ来ても空いてるよね」



 それぞれの定位置に座ると肖子は話を振ってくれる。



「なんか、わたしたちの為に空けてくれてるみたいだよね」


「ゆ、幽霊かストーカーってこと?」



 思わず口から出た言葉であった。



「もう! 違うよ。そう言う怖いやつじゃなくて、もっと可愛いやつだよ! 妖精とか」



 彼女の琴線に触れるクリーンヒットなツッコミ? が出来たらしく、怒っている様で喜んでいる様な私の好きな彼女がそこにはいた。



「やっと笑ってくれたね。やっぱりマヤはそうじゃないと」



 そう言うと、彼女は私の頬を両手で摘んで引っ張った。



「痛いよ」


「ふふ、ごめんね」



 全く悪いと思っていない彼女の笑い声が心地良かった。




「そろそろ話したい事は話せそう?」


「うん。気遣ってもらってありがとね」


「そんなー。私がしたい事だから」



 私は大きく息を吐きだす。話なんてまとまっていなかった。しかし彼女にこれ以上嘘の気持ちなど話したくなかったので覚悟を決める。



「あ、あのね。私」



 どうやってもここから先が出てこない。あーだのえーだの伸音で言葉を繋ごうとしても全く言葉が出る気がしなかった。代わりに出たのは大粒の涙だけであった。



 またしても泣いてしまった。狡い人間である。感情的になる言い訳として、涙を流しているだけだ。悲しいはずなんてなかった。泣けば決まって肖子は私に寄り添ってくれる。結局の所、私は都合の良い友達を失いたくないだけなのかもしれない。こんな自分が嫌で嫌で仕方がなかった。



 しかし、状況は違っていた。泣き出した私に心地のよい言葉をかけるわけでも、体をくっつけてくれるわけでもなく、ただじっと、私の顔を見て紡ぐ言葉を待っている彼女の姿が眼前にはあった。



私に最も厳しい存在であろうとする。私に最も優しい存在は眼差しが逃げてはいけないと、奮い立たせてくれているような気がした。



 私は制服の袖で涙を拭い、彼女に向き直って深呼吸をする。息を吐くタイミングで言葉を唇につがえる。



「──彼の事が。どうしても、許せなくて。もう推せそうに無いの」



 言い終わると胸のつっかえが取れたような感覚がした。



「どんな所が嫌だったの」



 優しい口調で私の言葉をするりと促してくれる。



「私のことを一番に考えない癖に、あいつの方ばっかりに気を使ったり、庇って自分が全て悪いとか言うし、その癖に後ろめたい状況から逃げたりするんだもん」



 言葉にすると、幼子のような身勝手な要望がとめどなく溢れた。



「嘘つくし、おんなじ相手と関係切れずにまた炎上するし、やっと彼の声で説明してもらえる思ったら見当違いなことばっかりいうし」



 頷きながら私の幼稚な言葉を、優しく聞いてくれる彼女のおかげで少しだけ気分が晴れた。



「彼女がどうとか、そんな事バラされるなよ。嘘でもいいから、黙って彼の役を演じてくれているだけでいいのに」


「私が何を知りたいか、言ってほしい事は何かなんてわかっているはずなのに……」




 言葉を吐き出しているうちに何がこんなに私を悲しませるのかがわかった様な気がした。



「何で──」

「──何で私のことを一番大事にしてくれないの」



 何を言ったか、何をしたか。謝罪の方法、釈明の仕方。そんな細かいことが気に入らなかった訳ではない。




 一ファンの分際で一番になるという夢すら。本当の彼に魅せてもらうことが出来なくなったからだ。





 言い切ると、目の前は暗くなり鼻腔には甘い匂いが広がる。体には自分とは違う感覚が押し寄せる。



「辛かったよね」



 彼女はそれだけ言うと腕に力を込めた。私はうんと短く返事をする。



「意地悪してごめんね。なんかこうでもしないと、マヤは自分の気持ちを正直に話してくれる気がしなくてね。わたしだって辛かったんだからね」



 肖子は泣いている私に、手を差し伸べることを我慢したらしく、辛いのはお互い様だと主張する。



「ねぇショーコ?」



 私は話題を振り切るべく、彼女の名前を呼ぶ。



「なんですか影井さん?」



 突然呼ばれた苗字と敬語口調にドキリとする心臓をなだめて私は言葉を続ける。



「これからもご飯一緒に食……」



 私はそう言いかけて口を止めた。まだ彼女に言わなければいけない事がある。



「昼間の保健室は仮病だったの。心配かけてごめんね」


「何でそんな事したの?」


「彼が嫌いになったって言ったら、もうショーコに愛想尽かされちゃうと思ったから」


「もーう! 心外だよ! わたしそれは本気で怒るからね!」



 彼女は私の肩に手をかけて自分の胸から引き剥がすと、いつになく真剣な眼差しで私の事を見てくる。



「わたしはそんな軽いノリでマヤと関わったつもりないから!!!」



 私はどうなんだと言わんばかりに見つめてくる。



「わ、私も、ノリなんかじゃない!」


「そうでしょ。きっかけは、推し、だったかもしれないけど……」



 珍しく彼女が言い淀んだ。



「けど、けどね。マヤの事はもう大事な、一番大切な人だとおもってるよ!!」



 勢いよく肖子から出た角度を変えれば告白ともとれる言葉に私は頭も体も動かなくなってしまった。



「だからもう、わたしに嘘なんかつかないでね」



 私は彼女の制服を掴んで言いたいことがあると必死に伝えた。すると、彼女は私の頭を撫でながらゆっくりでいいよと囁く。



「私も、ショーコが一番、だから離れないで」



 やっと言いたかった言葉を言う事が出来た。



「うん。マヤの方こそ離れないでよ。すぐどっかに私の居ない所に行こうとするんだから」


「頑張るね」



 私の煮え切らなさに小言を言う肖子だったが腕を広げて招き入れてくれる。



「ねぇ、さっきは何を言いかけたの?」


「これからもお昼一緒に食べたいなって」


「いいですよ! そんな熱烈に影井さんから、指名されたら断れないですからね」


「さっきも引っかかったけど、クラスメイトと話す時みたいな口調やめてよ」


「でも好きでしょ。影井さんって呼ばれるの」



 苗字を呼ばれると体が反応してしまうのがバレていたらしい。



「でも、名前の方がいい。特別みたいで。あと話し方もフランクな方が好き」


「真夜ちゃん」



 肖子が耳元で囁いた。これだけ体を密着させているとどうやっても反応がバレてしまうので彼女が満足そうに小さく笑う。



「こうやって体くっつけてたら、あなたのこと全部わかりそうだよ」



 私は恥ずかしさでいっぱいになり、彼女から逃げる様に離れようとするが、完全に抑え込まれていて身動きが取れなかった。



「わたしの気が済むまで離さないから諦めて」



 背筋が凍る様な冷たい声に、体の力が逆に抜けてしまったので、私は観念して身を預けることにした。



「今なら君の一番になれるかな? まだ早いか」



 凍えそうな程冷たく、氷みたいな声で確かにそう聞こえた。



「し、しょ、こ?」


「どしたの。そんなに怯えて?」



 私を案ずる彼女の声はいつもの風鈴の様な音に戻っていた。



「ううん、何でもない。けど。わ、私大好きだよ!」



 私は言い終わると完全に肖子の胸に顔を隠して表紙を見られない様にした。



「私もだよ」



 そう短く返事をした肖子は、私のことを壊れない様、慎重に。だけど最大限の強さで抱きしめた。


 私はまだまだ彼女の一端ですら真に理解出来ていないことを悟った。

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