異世界召喚勇者の私怨と膠着

ヨツコ

勇者よ世界を救うのだ!

 溢れて広まった血だまりが剥き出しの脛と膝を濡らす。

 制服のスカートが誰のものとも知れないその赤い体液を吸い上げる。

 むせ返るような血の匂いに吐き気がした。


 今ここで生きているのは、私と、もう一人だけ。

 黒い布を被った塊みたいな人、深くかぶったフードの下から、引き結んだ口元だけが見えている。


 「助けて」そう言って縋りたい気がした。

 とりあえずがむしゃらに何でもいいから叫びたいような気もした。

 でも、悲鳴どころか一言すらも、声が出ない。身体が動かない。


 ただ、怖い。


 多分三畳ぐらいの、暗い石造りの部屋。

 四隅に掲げられた松明だけが部屋を照らしていた。部屋の、その凄惨な光景を。


 部屋中に赤い血だまりは広がっていて、ところどころに元は人だったであろうそれらが細切れにされて乱雑に転がっている。

 髪の毛と思しきものが貼り付いた塊は、なんだろう。

 赤黒いそれは肉片だろうか。それとも内臓だろうか。

 千切れて落ちている白い指先には、ちゃんと爪がついている。

 血だまりには浮かんでいる布の切れ端は、私が着ている制服と同じものに見えた。

 中身が入ったまま切断された、黒いローファーのつま先が落ちている。


 元が何人だったのかはわからない。ただ、一人や二人じゃないことは確かだ。

 フードプロセッサーで粗くぐちゃぐちゃに攪拌されてぶちまけたみたいな、酷い有様だった。


 これまでに死体を見たのは、親戚の叔父さんが病気で亡くなった時。

 綺麗な棺に納められて、たくさんの花で飾られて。「寝てるみたいだね」なんて叔母さんと泣き笑いしたその一回だけ。

 こんな尊厳も何もないただ暴力的なばかりの「死」を、私は知らない。


 立っていられなくて血だまりの中思わず膝をついたけど、その生温さにすぐに後悔した。でも、再び立ち上がることはできなかった。


 ただ茫然と座り込む私と、黒いローブの人。

 沈黙の中の対峙は実際のところほんの一瞬でしかなかった。

 深くかぶったフードの下、引き結んでいた口元が厳かに開かれた。


「――――――――――異世界の、勇者よ」



 ◆◇◆◇



 桜のような薄いピンクの花弁が舞っている。

 世界を救う勇者の旅立ちを、その出立を多くの人が激励しに訪れている。

 広場を埋め尽くす人達が、広場の入口で配布された花弁を勇者である私に向かって投げる。


 城門前の広場には、町中の人が集まっていた。

 私の背後には、王と護衛の騎士達。

 自分たちを救う勇者の出立を一目見ようと、城で働くほぼ全ての人たちも集まっている。


「世界の救済を!」


 平和にしか見えないこの場所で、救済を求め叫ぶそんな彼らを前にして、私はいつかの術師と同じように、深くかぶったフードの下で口元を固く引き結んでいた。




 異なる世界同士とは、本来交わることはない。

 例え表裏のように隣り合った世界であろうとも、交わることはない。交わるべきではない。

 その異世界を繋げるという行為は、世界の理に反し禁忌に触れる行いである。


 道なき道に無理やり道を通し、擦り減る命を命で贖うような悪しき呪法によって、多くの贄と多くの犠牲を代償とし、私はこの異世界に勇者として召喚された。


 召喚されたその時聞かされた術師の第一声「異世界の、勇者よ」というその言葉を、私はこれからも絶対に忘れることは無いだろう。


「がんばって勇者さま!」


 たくさんの小さな子どもがきらきらした笑顔で私に向かって小さな握りこぶしを開く。

 その度に、花弁がひらひらと舞い落ちた。


 中にはペットらしき猫を抱える人もいる。


「勇者さま! 世界を救ってください!」


 その猫を、抱き締める人間ごと何の感慨も無く斬り捨てる者に、私はなった。


 召喚補正だかなんだか知らないけど、私に特別な力があることは確からしい。

 召喚から三月、厳しい修行のその果てではあるけれど、私はこの国の誰よりも強い力手に入れた。

 この世界を蝕む脅威に、対抗し得る力を手に入れた。


 大剣を振るい命を刈り取り、魔術でもって全てを焼き尽くせるだけの力を。


 何かを殺す事なんてできない、そう泣いて訴える私の手の中に、温かくて可愛らしい小鳥を握らせたのは騎士の一人だった。

 背後から回された大きな手が、私の手ごと命を握り潰したあの瞬間を、感触を、私は忘れない。

 その次は生きた兎の頭を斬り落とし、そのうち羊ぐらいなら難なく両断できるようになった。


 もう嫌だ、と拒めば怪しげな薬を無理やり飲まされた。

 曖昧になる感覚の中で、気付けば罪人だという誰かの首を刎ねていた。


 規格外だと讃えられた魔力。

 意味が分からないぐらいの運動能力。

 気付けば薬の耐性も跳ね上がっていたらしいけど、その頃には何も感じなくなっていた。

 拒むのも反抗するのも馬鹿らしくなって、疲れ果てて、言われるがままに鍛錬に明け暮れた。


 失ったものは数え切れない。

 得たものはこの化物のような力だけ。


 許せないという気持ちだけが、ずっと色褪せない。


 私を召喚し、その場で事切れた術師の卑劣さを、私は絶対に許さない。


 ただの女子高生でしかなかった私に剣を握らせた騎士も、まるで拷問のような魔術の修行も、それをさせた王も、自ら剣を握ることすらせずまったく関係のない異世界人である私に勇者なんていう肩書を押しつけたこの国の全ての人を、私は許さない。


 お前たちが、私を造り変えた。

 この国が、そうした。

 この世界の全ての人が、そうさせた。

 絶対に、許さない。

 自らが剣を握ることを考えもせず、「勇者」なんていう伝説の中にしかいない何かに縋る人たちを。

 都合のいい存在を担ぎ上げて、その身勝手さで私を変えたお前たちを。

 


 背に負った剣を抜く。

 大剣を軽々と片手で支える小娘を相手に、更なる歓声が上がる。

 今、この町の全ての人がこの場所に集まっている。


 さあ、始めようか。

 あの悪夢のような部屋の再演を。

 この、広場で。

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