聖女さまのちいさなごほうび

壱単位

【短編】聖女さまのちいさなごほうび


 荘厳な鐘。


 居並ぶ神官や騎士たちがざあっと波のように腰をおとし、それぞれに定められたもっとも格式のたかい礼をとる。


 天蓋は春のそらにむかって放たれていたから、うららかな陽光がこのほのぐらい聖堂にも差し込んできている。かぐわしい花の香りも漂う。ただし、そのひかりにしても香りにしても、外の世界からもたらされているものとは、この場のだれも考えていない。


 正面の彫刻扉がおもおもしく開けられ、聖女カトリナがいのりの間からでてきた。


 千年にいちど出現するといわれる、水と豊穣をともに司る、春の女神の契約者。無窮の愛とめぐみの象徴、花と光の聖女、カトリナが、いま、みずから発するほのかな光に包まれて、聖堂の中央に歩み出ている。


 聖女の儀で見出されたのは、彼女のちょうど十歳の誕生日のことだった。大神官がみずから祝福した彼女のちからは、わずか一年で、長年の天候不順と凶作にくるしんだこの国を救ってみせた。


 それから八年。彼女はいちにちも休まずいのり、言葉をしめし、そしてみずから国の民の前にすすんで姿をあらわして、平易な表現で啓示をつたえた。


 彼女の深い翠色の瞳、ながい白銀の髪が神殿の窓から現れると、どれだけ粗野な狼藉者も、無法な無頼者も、ひとしくその姿に目をうばわれ、言葉を失った。


 日照りのときには慈雨をもたらし、ながあめのときには川の流れをかえて街を救った。あしき気を退け、天のことほぎをおろし、ただひとびとの笑顔のために、彼女は毎日を過ごしていた。


 「……きょうの啓示は、ここまでです」


 カトリナが聖堂の中央でやわらかく言葉を終え、しずかに頭をさげると、すべてのものがさらに深く礼をとった。聖堂の奥、回廊のむこうの聖女の間にゆっくり進む彼女。ひかりが、彼女といっしょに動く。


 ちかくでひれ伏すものは暖かなちからが自分のなかに満たされるのを感じたし、遠くにみるものは、明日への希望がたしかにそこにあることを実感する。


 カトリナは回廊をすすむ。すでに堂内のみなの姿は見えない。そばにいるのは、わずかに身の回りの世話をおこなう侍女ふたりのみ。


 突き当たりの、豪奢ではないが、質実で精緻なつくりの飾り扉。聖女の間だった。侍女が扉をうやうやしくひらき、カトリナが室内に踏み入れる。その背で音もなく、扉が閉じられる。


 そのとき。


 穏やかだったカトリナの表情が曇った。やや切長の目をふせ、眉を寄せる。長椅子に、ふわりと座り込む。


 ぐう。


 「……ああ。間に合わなかった……っ!」


 侍女のひとりが悔しげにつぶやく。その間にも手早く前掛けをまわし、髪をたばねる。ほかのひとりが部屋の奥、別室へ駆け込む。


 ぐう。


 カトリナが、苦しげに、つぶやく。


 「……おなか……すいたよ……」


 「いま! いまお持ちします!」


 「……今日は……啓示の日だったから……ごほうび、あるよね……?」


 カトリナが訴えかけるようにいうと、侍女はふんすと鼻をならし、胸をはった。


 「心得ております!」


 聖女にとってもっとも負担がかかるしごと、啓示の儀。女神のことばを自らのからだでうけ、おろす。カトリナと侍女たちは、だから、その日はおまつりと認識している。


 別の侍女が台車をおして奥の部屋から戻ってきた。周囲に立ちこめる、ふんわりと、豊かな香り。


 カトリナの目にひかりが戻る。わずかに、涙ぐんでいる。


 「……ああ。オムライス。オムライス……!」


 「あとは、これ……ですよね」


 深皿にたっぷりの、ケチャップ。前掛けの侍女はそれをうやうやしく持ち上げ、しかし、怒涛のようにオムライスに流しかけた。


 見つめるカトリナの、陶然とした表情。


 その手に、オムライスの皿がわたされる。ちいさなカトラリーが添えられている。


 花とひかりの聖女は、震える手にそれをとって、ほんのすこしためらい、しかし決然と、それを、オムライスに突き刺した。


 突き刺して、かき混ぜる。はじめはゆっくり、やがてケチャップが飛び散るのではと侍女たちが心配になるほど、ぐちゃぐちゃに。


 おおめに掬い、形の良いくちびるに運ぶ。震える、豊穣の女神の契約者。


 「……う……おいし……しあわせ……うう」


 聖女カトリナは、ほおばりながら、くちのまわりをケチャップで真っ赤にしながら、少女のような泣き笑いを浮かべた。



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