番狂い -ツガイ グルい-

石濱ウミ

・・・



 ――『痾辟蟲アメムシ』を知っているか。



 現れるや否や、目の前の椅子に腰を下ろすより早く、声を落とした男を睨め付ける。


「久しぶりに呼び出しておいて挨拶もなしとは相変わらずだな、左近さこん

「まあそう睨むなよ。美しい貌も台無しだ」


 言って形の良い唇に笑みを浮かべているであろうことは、黒いマスクで顔の半分が覆い隠されていても分かった。

 思わず鼻を鳴らす。


「胡散臭い笑顔は、マスクでも隠しきれないとは知らなかった」

「俺も会いたかったけど、どうも忙しくて」

「そんなことは聞いてない」

「言わないし聞かないだけだろ。……あ、ブレンドひとつ」


 テーブルへと注文を聞きにきた店員に、束の間顔を向け、ベルベットの椅子に腰を深く落ち着けると店内を眺め回す。その視線につられ、同じように首を巡らせた。

 色褪せたダマスク模様の壁には、煤けた木製アンティークの時計が、形や大きさ濃淡も様々に、いくつも所狭しと掛けられている。動いているものもあれば、止まっているものもあった。だが、それぞれの指す針の時刻はどれも違って、一つとして同じものはない。

 仄暗い店内で、観葉植物の葉が照り返すダウンライトの光は、どこかまろみを帯びて見えた。


「それにしたって、いつ来ても客のいない喫茶店だよなあ」

「ここに呼び出したということは、本家から要請が? ……『痾辟蟲アメムシ』と言ったか? 蟲退治の手が足りないとでも?」

「いや、違う。旨いコーヒーが飲みたかった」

「だろうな。あいにく蟲が視えはしても、蟲退治と私の異能は相容れない」


 一族が持つ様々な異能の中で、私に現れたのは『夢渡り』というものだった。

 対象者の夢の中に潜り込み、干渉し、印象を植え付け、現実に反映させる。

 いにしえの頃ならいざ知らず、現代に於いては大した影響力もなく、本家からは使えない異能者として見られているうちのひとりに違いなかった。


 コーヒーが運ばれて来る。

 テーブルの上へ置かれた際に店員に向け軽く目礼するも、椅子に背を預けたまま手をつけようとしなければマスクも外さないでいる左近に、片方の眉を上げて見せた。


「……なにがあった?」


 指の挟んであった読みかけの本を閉じ、テーブルの隅に追いやる。


「うーん、クソ忙しい。そうだな。まずは『痾辟蟲アメムシ』について俺が知っていることを話そうか。お前も聞きたいだろ?」


 テーブルに身を乗り出し、無造作に黒いマスクを外すと、端正な顔が露わになった。

 コーヒーカップを持ち上げた左近が、カップへと口を寄せる前の一瞬、乾いた唇を舌で湿らす。僅かに開けた口の中で、舌の上のピアスが光った。舌を絡めた時の感触を思い出し唾液が湧く。


 左近が曰く『痾辟蟲アメムシ』なるモノは、ヒトの身体に卵を植え付ける禍々物マガモノの中の一種なのだという。やがて体内で孵化した蟲はヒトの毛細血管に沿って増殖し成長した後、ヒトの姿形を変えることなく、知らず気づかれぬうちにヒトならざるマガモノへとしてしまうらしい。

 身体に巣喰う変形体は透明で微細であり、異能の眼を持ってしても見つけることは、なかなか難しい。無論、普通の人の眼では視ることは出来ない。


「で、最悪なのはマガモノに完全に変化する前に見つけたところで蟲下むしくだしが効かないんだ」


 そこでコーヒーを含み口を噤んだ左近は、液体を嚥下しながらカップを置くと、再び椅子の背もたれに身体を預ける。


「しかも厄介なことに『痾辟蟲アメムシ』という禍々物マガモノは、蟲とはいえヒトを宿り主として繁殖するこれまでの禍々物マガモノとは違う。ヒトがマガモノに変わったらやがて狂い死にして、繁殖もせずに人間と同じく蟲のソイツも終わり。最近の超過死亡がおかしなことになっているのは、その『痾辟蟲アメムシ』という禍々物マガモノのせいじゃないかと、ようやく本家が動き出したところだ」


 いったい蟲も何がしたいんだか、と左近は天井へ顔を向け、両眼を閉じる。

 疲れを滲ませる左近を見ながら、テーブルの隅に追いやった本を再び手に取った。


「きっと増え過ぎたヒトを減らしたいんだ」


 本に眼を落とし、文字を追う。

 ははッと左近が、笑った。ちらと眼を上げると、両眼は閉じたままだった。


「らしくもなく、知ったようなことを」

「そうだろうか? 世界が滅びようと蟲に喰われようと、別にどうでもいい。私には左近さえいればいいからな」

「……実に恐ろしい殺し文句だ」

「元はといえば、母親の胎の中で私たちは一つだったんだから当たり前だ」

「まあね。でも俺は身体が別々になったってところも気に入ってる」


 顔を上げれば、飢えたような左近の眼が私に向けられていた。


「一つに戻ろうとして、どろどろのぐちゃぐちゃになって無駄に足掻くところとか」

「左近は気に入ってるんだ?」

「もちろん。狂いそうになるほど気持ち良いところが、特に」



 うつ伏せで重なるようにあった左近の身体をそのままに、下からそっと抜け出す。程よく筋肉のついた背を天井に晒したまま、左近は目を覚ます気配もなく良く眠っている。肩甲骨の内側の皮膚が弾け、中から熟れた柘榴の実のような子実体がぎっしりと覗いていた。


 快楽刺激によって形成し外側に姿を顕した子実体の、正しくは、色は真っ白で円柱状をしたゼラチン質の白い塊を指先で強く擦り潰せば粘りを帯び、とろりと滴る。濡れて光る指先を眺め、ゆっくりと舐め取った。

 普通の人間には視えることのない『痾辟蟲アメムシ』の子実体に、唇を這わせる。

左近が目覚めるまでに子嚢壁は早落し、胞子は次第に風に飛ばされて飛散するだろう。


 『痾辟蟲アメムシ』はヒトに卵を産み付けているのではない。人間が勝手に胞子を吸い込み、身体の内に飼うのだ。体内の発芽の条件までは、知らない。禍々物マガモノとはいえ所詮は蟲のため意思疎通は不可能だからである。また、ヒトがマガモノに変化した後では会話にもならない。

 そして『痾辟蟲アメムシ』なる禍々物マガモノの蟲が他の蟲と違ってこれまで増えなかった理由のひとつにあるのは、胞子を飛散させるための子実体を形成するには快楽刺激を伴う同一株内での配偶子合体が必要となるからである。


 

 私が『痾辟蟲アメムシ』を見つけたのは、夢渡りの最中だった。


 対象者がその身の内に蟲を飼っているとも知らず、渡った夢の中で脳に巣喰う『痾辟蟲アメムシ』の核を偶然に見つけ、取り出し持ち帰ることが出来たのである。

 

 最初は、夢を渡る異能しか持たない役立たずの私を見下す、本家へのちょっとした意趣返しのつもりだった。

 

 結果、右往左往する様を見ることが出来て少し胸が空いた。


 だからといって、このまま黙って身体の内側から『痾辟蟲アメムシ』に喰われるままで由とするのかというと、そうもいかないのだから困ったものである。

 とはいえ蟲下しは効かないと左近が言うなら、私がしたように夢渡りで脳の中から直接『痾辟蟲アメムシ』の核を取り出す他はないのだろう。

 

 いまや左近の背中を一面に覆う柘榴のような子実体に手を這わせ、それが弾ける前に指で潰す。

 持ち上げた指先から、白濁する粘液の糸を引く様子を眺めた。


 恍惚として、呟く。




 ――ああ、なんて……ぐちゃぐちゃ。







《了》



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番狂い -ツガイ グルい- 石濱ウミ @ashika21

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