あなたのための本、あります KAC20233【ぐちゃぐちゃ】

霧野

本は心の食事のようなもの

 空色トラックの移動式本屋さん、本日は郊外にある商店街の外れにある空きスペースにて開店している。なんと週末2日間、商店街から出店を依頼されての営業なのだ。


「ただいま。今日のランチはカレーにしましたよ」

「もっと野菜食えよ……」

「この匂いに抗える者はいません。カレーは食べる漢方とも言いますし、栄養満点です」


 文句を言いつつも、シミはカレーを受け取りガーデンチェアに座った。今日は花曇で日差しが弱いから外で食べられる。助手席で食べるのも楽しいけれど、親子連れの買い物客たちを眺めながら外で食べるのは、やはり開放感があって気分がいい。


「いただきまーす」


 シミがカレーをぐちゃぐちゃに混ぜはじめると、店主がそれを見咎めた。


「シミ、カレーを混ぜるのやめませんか。お行儀が悪いですよ」

「この方が味が満遍なく混ざって美味いだろ」

「ご飯とカレーの割合を毎回変えて、味わいのバリエーションを楽しむのがいいのに」

「嫌だね。俺は毎回均等に美味しい方がいい」

「ご飯がカレーを吸って、時間が経つにつれ味がぼやけるでしょう」

「それこそバリエーションじゃん。こう、グラデーション式に徐々に味が変わっていく。この微妙な差を楽しむのが通ってもんよ」

「それは味の変化でなく劣化です。それに、食べ終えた時に容器が汚い」

「うるせえな。どうせ使い捨てなんだから別にいいだろ」


 言い合いながらも食事は進み、二人ともあっという間に食べ終えてしまう。


「はぁ、美味かった。ごちそうさまでした」

「ほらね、シミ。私のお皿はこんなに綺麗」

「だからなんだよ……」

「シミのはカレーまみれでぐちゃぐちゃ」

「うるせえ。俺なんてちゃんと『いただきます』と『ごちそうさま』言ったもんね」

「私だって」

「てんちょは言ってなかった」

「そうでしたっけ? でもほら、牛乳は忘れずに買ってきましたよ。シミ、カフェオレ飲むでしょう?」

「……飲む」


 なんだかんだで仲良しである。



「あの、すみません」


 おずおずと声をかけてきたのは、一人の少女だ。詳しい年齢はわからないが、シミよりはだいぶ年下だろう。


「ここ、本屋さんですか?」

「いかにも。いらっしゃいませ、どうぞ見てみてください」


 店主が腕を開き、にっこり笑ってトラックの後部扉を示す。少女は興味深げに覗き込むが、車内の薄暗さに躊躇したのか、小さく首を振って後退りした。


「本は心の食事のようなものです。辛さでひび割れた心に、涙を流しすぎて萎んでしまった心に、ぐちゃぐちゃにかき乱されて疲れた心に、たっぷりと栄養を……そうだ、そこへ座って待っていてください。お嬢ちゃんにぴったりな本を私が見繕ってきましょう」


 店主がトラックの中へ消えてしまったので、シミと少女は取り残された。少女は言われた通り、ガーデンチェアに浅く腰掛ける。


「……カフェオレ、飲むか?」


 少女は静かに首を振った。


「コーヒーはお腹痛くなっちゃうから」

「そっか」

「……あの、お兄ちゃんたちは、兄弟なの?」

「ん〜……まぁ、そんなようなものかな」

「さっき、喧嘩してたの?」

「えっ……いや、喧嘩っていうか、ちょっと言い合いしてただけだよ。あれぐらい、いつものことだから」

「あたしの友達、みんな『弟はうるさくて乱暴だから嫌い』とか『お姉ちゃんはいばりんぼだから嫌』とかって言うの」


「あ〜……」

 シミは人差し指でポリポリと頭を掻いた。


「そういうのはさ、仲がいいから言ってるだけじゃないかな。お友達も、実際に弟やお姉ちゃんがいなくなったら、きっと寂しくなると思うよ」

「そうなのかなぁ」

「本当に仲の悪い兄弟もいるかもしれないけど」

「………」


 不安そうに黙り込んでしまった少女に、何か別の話題を…とシミが焦りかけた時。


「お待たせしました。あなたのための本、見つかりましたよ。古本ですが状態は良好です」


 背後からそっと差し出された本は、温かな色合いの絵本だった。



『おねえちゃんになる日』


「これ…!」 

 少女が驚いた表情で店主を仰ぎ見る。


「本は心の食事のようなもの。きっとあなたの心も満たされるでしょう」



 小さなお財布から小銭で代金を支払うと、少女は本を大事そうに胸に抱えて去って行った。道路を渡り切ったところで両親が待っていて、少女と一緒に手を振ってくれる。

 店主とシミも笑顔で手を振りかえした。


「一冊か……」

「不安でぐちゃぐちゃになった気持ちを整理するには、あれこれ読み漁るよりも、これぞ! という一冊を深く読む方が良かったりするんです」

「ふうん」


 店主は車へ戻り、コーヒーマグを二つ持ってきた。片方をシミに手渡す。


「……それにあの子、お金持ってなさそうでしたし」

「おま、それが本音か! 大事に貯めた小遣いで買ったのかもしれないのに」

「目の前の350円よりも、親がSNSで発信して集まる客を狙ってます。今日明日はここに拘束ですからね」

「この守銭奴め……」

「商売上手と言ってください」


 店主はすました顔で最高級コーヒーを啜る。シミはカフェオレにフーフーと息を吹きかけ冷ましている。


「本音ついでに言いますとね」

「ん?」

「シミがあの子と話している間に、彼女の求める言葉がだんだん変わって行ったんですよ」

「……へえ」

「彼女、弟ができるみたいです。それで、両親を取られるのが嫌だ、赤ちゃんが怖い、でも両親は喜んでるから私も喜ばなきゃ。いいお姉ちゃんにならなきゃ、というプレッシャーでいっぱいでした」


「ああ、それで……」

 彼女との会話を思い出したシミが、納得したように呟いた。


「こう、もわもわふわふわと漂っている言葉たちが徐々に整理されて……それで、あの本を見つけられたんです。シミだって売り上げより、彼女の心が救われる方が大事でしょう?」

「それは、まぁ。うん」

「シミ、お手柄でしたね」


 急に褒められて、シミは焦った様子でマグの縁を咥える。


「あつっ! あまっ!」

「おや、はちみつ入れすぎましたかね」

「……いや。美味しい」



  ☕︎



 少しくすぐったい気持ちでコーヒーブレイクを終えたシミが、車に戻るなり叫んだ。


「なんじゃこりゃぁ!! 本がぐちゃぐちゃじゃねえかー!」

「あ、本を探してたらそんなことに」

「人が苦労して五十音順に並べたのに、何してくれとんじゃあ!」

「ああ、暗くて気づかなかった。でもシミ、カレーはぐちゃぐちゃ派のくせに」

「それとこれとは話が別!」


 店主はうるさそうに眉を顰めつつ、コーヒーのおかわりを淹れる。


「もう、なんですか。ご飯食べろとか片付けろとか。お節介なお母さんみたいだ」

「お前が世話を焼かせてるんだろうが! 大人なんだからしっかりしろ!」

「まぁそう怒らないで。ほら、今度はミルクフォーマーで牛乳を泡立ててみました。蜂蜜たっぷりで美味しいですよ」

「また無駄遣いしやがって……」




 移動式本屋さん、今日と明日はここで開店。

 目印は、空色トラックに白いパラソル。銀色眼鏡の痩身店主。

 ここは「あなたのための本」を売る本屋。きっと見つけてみせましょう、あなたにぴったりの一冊を。


 さぁ、コーヒーでも飲みながら、お客さんを待つとしようか……


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