第3話 憧れる騎士


 鳥のさえずり。木剣がぶつかり合う音。カイはゆっくりと目を開けた。


(……どこだ、ここ)


 まったく見覚えのない場所だった。素朴な天井には大きな天窓があって、そこから朝の日差しが斜めに差し込んできている。壁は一面本棚で、遠目にも重厚そうな本ばかりがびっしりと詰まっていた。

 カイは身体中包帯だらけだった。当然か、と他人事のように思う。昨日のことはよく覚えている。かなり気を遣って起き上がったのに、全身がぎしりと軋んだ。


「いっ……うぅ……」


 鈍い痛みを我慢して立ち上がる。ローテーブルの上に綺麗に畳まれた制服が置かれていた。沼地で泥だらけに、そのうえスワンプファンドの牙で穴だらけ血だらけになったはずなのに、綺麗に洗濯されて、しかも穴も塞がっていた。ありがたい。これならまだ着られる。寄付金なしで入学している貧乏人の分際で、新しい制服を支給してもらうのは心苦しいのだ。

 それを頭からかぶったときに、向かいのソファでクルトが寝ているのが目に入った。のんきな顔でぐっすり眠っている。怪我はなさそうだ。


(良かった、どうにかなって)


 どこからともなく来てくれた謎のおっさんのおかげだ――自分は、何もできなかった。

 カイは拳を握りしめた。


(時間稼ぎくらいならって思ったけど、それすらできなかった)


 思わず溜め息がこぼれ落ちた。自分の弱さに嫌気がさす。


(こんなんじゃ駄目だ。こんなんじゃ、誰も守れない)


 ――窓の向こうから、木剣の打ち合う音がほぼ絶え間なく聞こえてくる。その音の鋭さに耳を惹かれて、カイは窓をそっと押し開けた。

 初夏の早朝の爽やかな空気が流れ込んでくる。そしてその中で、鮮やかな金色の髪の女性とドゥイリオ先生が、向かい合って戦っている。カイは息をのんで、窓枠を掴み、じっと二人を見つめた。


「すっ、げぇ……」


 ドゥイリオ先生がすごいことは知っている。その先生と同等に、もしかすると先生以上に鋭く動く、あの女性は一体?

 事前に綿密な打ち合わせを済ませてある殺陣たてのような端正な動きだった。どちらもあんなに速いのに、攻撃も防御も台本のような安定感があって、ちょっとした運動といった風情だ。木剣がテンポ良くかちあって、心地よいリズムが奏でられる。

 どれくらい見つめていただろう。背後で扉の開く音がした。振り返ると、昨夜カイたちを助けてくれた男性が、あくびをしながら出てきたところだった。


「おはよう。体の具合はどう?」

「大丈夫です。助けてくださってありがとうございました」

「うん。無事で良かった」


 男性は穏やかに微笑んで、窓の外に目を向けた。


「やってるね。相変わらず楽しそうだな」

「あの、俺はカイと申します。あなたは?」

「僕はジークムント。ジークでいいよ。ドゥイリオの師匠だ」

「先生の……!?」


 カイは目をむいた。ドゥイリオ先生の師匠――噂を聞いたことがある。先生は昔、師匠を殺そうとしたことがある、と。あの噂が本当だとしたら、この人が殺されかけた張本人ということだ。

 ジークは窓際にもたれかかって、ふとカイを見ると、感心するように目を開いた。


「さすがドゥイリオ。器用に直したなぁ」

「何をですか」

「君の制服。それ、全部縫い合わせたのはドゥイリオだよ」

「えっ、先生がですか?」

「遅くまでやっていたから大丈夫かなと思ったんだけど、あれなら大丈夫そうだ。若いっていいね。僕はもう筋肉痛がひどくて。昨日たったあれだけ動いただけなのに」


 へらりと笑ってみせた顔からは、師匠らしい威厳など微塵も感じられなかった。

 カイは事実をうまく飲み込めなくて、曖昧に頷いた。――目の前にいるこの男性。ドゥイリオ先生の師匠、という言葉の響きから想像していた人物からかけ離れ過ぎている。――制服を直してくれたのが先生だって? 普段の厳しい、冷たい態度からはまったく想像もつかない。

 ガィンッ、とひときわ大きな音が鳴って振り向くと、ドゥイリオの手から離れた木剣が宙を舞い、芝生に突き立ったところだった。体勢を崩して膝をついたドゥイリオに、女性が剣先を突きつけている。


(先生が負けた……?)


 初めて見る姿だった。魔導師なのに異様に高いレベルの剣術を修めているドゥイリオ先生は、騎士団の中でもトップを争う実力者として一目置かれている。教育が専門であるはずなのに、魔物駆除の遠征に呼ばれることがあるくらいだ。その彼を、軽い手合わせとはいえ、打ち負かすなんて。


「あの方は何者なんですか」

「カーミラのこと? 彼女は昔、騎士団の大隊長をやってたんだよ」

「大隊長を!」


 女性で大隊長を務めるなんて――いや、そういえば、昔はそういう例があったと聞いた覚えがある。とてもまれなことで、その人を最後に以降はそれっきりになっている、と。


「ああ、怒られてるな」


 見れば確かに、ドゥイリオは膝をついたままうなだれていて、その前に立ったカーミラが何事か言いつのっている様子だ。先生が「はい、もう一回お願いします!」と言うのがかすかに聞こえた。そして落ちた剣を拾い直し、一礼。再び手合わせが始まる。

 意外だった。ドゥイリオ先生は鍛練を積むことなんてないと思っていた。もう完成した、最強の騎士だと。それは勝手な思い込みだったのか。


「……ドゥイリオ先生は」

「ん?」

「昔から、ここに?」

「十五のときに来たから……ちょうど十年になるね」


 十五歳。ということは、自分たちとほとんど変わらないくらいの年齢からだ。その頃から元大隊長に直接教えてもらっていたおかげで、あれだけの強さを身につけているのか。

 同じようにやれば、同じくらい強くなれるだろうか。

 そう思ったカイを突き放すように、ジークがさらりと続けた。


「ああ、でも、ここにまともにいたのは一年だけだよ」

「え」

「そのあとは君たちと同じ、騎士団の養成学校に入ったから。カーミラに至っては半年くらいじゃないかな、指導してたの。本当に、基礎の基礎しか教えていないと思うよ。魔法もそうだけど、入学試験を通れるくらいのことしか教えてない」

「それじゃあ」

「あとはドゥイリオが自分で頑張ったんだ。もちろん、長期休暇とかに補足はしていたけれど……そうそう、帰ってくるたび、すごく成長しているものだから、休暇に入るのが楽しみで仕方なかったな。今もそうだけどね」


 ジークは楽しげに目を細め、カイを見た。


「条件は同じだよ。ドゥイリオは熱心な生徒に甘いし、君の周りには他にも、教えてくれる先生がたくさんいるはずだ」


 いろいろ聞いたせいだろう。ジークはすっかり見透かしているようだった。


「思っているだけじゃ駄目だよ。動かないと」


 ぐさりと刺されるような言葉を受けて、ああ、この人は間違いなくドゥイリオ先生の師匠だ、と思う。


「はい」

「今は安静にするのが君の仕事だけどね」

「はい」


 鍛錬を終えた二人が戻ってくる。ジークが穏やかに二人を迎え入れて、カイは初めて先生の笑顔を見る。なんとなく先生の視界に入らないほうがいいような気がして、そっと窓際から下がった。


「カイ」


 呼びかけられて振り返ると、クルトが立っていた。目が腫れていたが、泣いたのだろうか。弱虫泣き虫、だからお荷物だといじめられるんだ、と言いかけてやめる。


「よお、クルト。おはよう」

「おはよう。……あの、昨日はごめん」


 カイは目を丸くした。弱いくせに妙にプライドが高い、クルトのほうから謝ってくるなんて!

 クルトは神妙な様子で頭を下げた。


「僕のせいでカイに怪我させた。本当にごめん」

「いや、別に……怪我したのは俺が弱かったからだし」

「ううん、原因を作った僕が悪い。カイは止めてくれたんだから」

「俺の判断が遅かったから逃げ損ねたんだ」

「違うって! そもそも僕が逃げたのが悪いって言ってるんだよ!」

「それが悪いって思ってる人間の態度かよ!」

「そっちが混ぜっ返すから!」

「うるさいぞ、そこ二人」


 窓の向こうからドゥイリオの冷たい声に刺されて、そこ二人はぴゃっと口を閉じた。


「大人しくしていろ。怪我に障るだろ」

「はい」

「すみません」

「クルト、川から水をくんできてくれ」


 昨日のうちに教え込まれていたらしく、クルトは「はい!」と素早く走っていった。


「カーミラさん、俺が朝飯を作るんで、カイの傷の様子を見てもらえませんか」

「ええ、任せて」


 先生の穏やかすぎる顔を見慣れていなくて、カイはやっぱりなんとなく距離を置きたくなった。腹の底の辺りがむずがゆくなってきたのを抑えようとそっぽを向く。

 ドゥイリオ先生は厳しいし怖いけれど、何よりも命を大切にしている人だと知っている。そして厳しさに見合った強さを持っているから、カイはこっそり憧れているのだ。先生のような騎士になりたい、と――そこに優しさまであると知ってしまったら、余計に憧れてしまうじゃないか。

 外をぐるりと回って、カーミラとドゥイリオが中へ入ってくる。


「ほら、包帯を代えるわよ」

「はい。あ、ドゥイリオ先生」

「ん?」

「制服、ありがとうございます」

「うん。どういたしまして」


 無愛想に頷いて台所に入りかけたドゥイリオが、ふと思い出したように振り返った。


「師匠、コーヒー飲みますか」

「朝ご飯の後でね。君も飲むだろ」

「ええと、あんまりゆっくりは……」


 言いさして、「いや、ここまできたらもう同じか」と呟いた。そして微笑む。


「では、食後に」

「うん」


 二人のやりとりを見て、カイは確信する。


(……やっぱ、噂は噂だよな。よく考えれば、殺そうとしたなんて、いくらなんでも嘘くさすぎる。ドゥイリオ先生がそんなことするはずないし、やってたらこんなに仲良くできないだろ)


   ☆


 ――たとえ事実であろうと、人の記憶は薄れていく。世間の評判も、巷間の噂話も、すべては滞ることなく流れ、移り変わっていく。

 最後に残ったものを、真実と呼ぶのならば。


   ☆


 食器を片付けてしまうと、ドゥイリオが微笑みの中で呟いた。


「さて、そろそろコーヒーを淹れようかな」



   おしまい

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さて、コーヒーを淹れようか。 井ノ下功 @inosita-kou

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