エピローグ:夜の入り口②

「リリィさん……あの学生さんは、私の出身校の後輩にあたるんですよ。そのせいでしょうか、私の前に現れた彼女のこと、なんだか昔の自分を見ているようで放っておけなかったんです」


 フィーリアは立てた両膝を腕で抱え込む。

 彼女の目は机と床の間の、どこでもない空間を見ていた。


「頭はいいのにばかみたいに真面目で、視野が狭くて、考えることが極端で、思いこみが激しくて暴走気味で。古い思い出を掘り起こされてるようで、恥ずかしいったらなかったわ」


 自らを抱きしめる彼女の腕に力が入る。

 ジュリオは、何も言うことなく彼女の話に耳を傾けていた。


「司書として、度が過ぎていることは解っていました。それでも私は、司書として彼女に接することしかできなかったから……だから、ちょっと強引な理由をつけて彼女に構いました。よけいなお世話だったかもしれませんけど」


 フィーリアはそこで言葉を区切り、額を膝にくっつけて顔を伏せた。眼鏡が邪魔だが今はどうでもいい。


 どうしてこの人に、今さっき無理矢理友人になった人にこんなことを話しているのだろう。


 そのことを考えて、しかし答えはなくて、フィーリアは胸が詰まるような心地だった。


「んー、僕はあなたが間違ってたとは思いませんよ」


 すると空白を埋めるように、ジュリオが声を発する。

 フィーリアはそっと顔を上げて、彼の方を見た。


「だってあの子たち、楽しそうでしたよ。ここで何かを一生懸命作っている様子を何度も見ましたけど、いつだって楽しそうでした。それってきっと、フィーリアさんのしたことが彼女たちの支えになっていたってことだと思いますけど。あ、半分くらいはアスタちゃんの受け売りです」


 ジュリオはどこか照れくさそうに笑っていた。


 なぜ彼が照れているのかフィーリアには解らなかったが、もし彼の言うことが本当だったのなら。

 それがお世辞でないというのなら。


「……もしそうなら、私はとても幸せです」


 フィーリアは、知っている犬に似ているようで、やっぱり似ていない彼のごく普通の言葉を――ほんの少しだけ信じてもいいと思った。


「あの、ジュリオさん」


 両足を地面に下ろしつつ、フィーリアは言った。


「私は、段階をとばす人が苦手なんです」


 ジュリオは目を丸くしている。唐突すぎてさすがに伝わらなかったかと、フィーリアは反省混じりに言葉を付け足した。


「だからその、適切な距離感を保って、適切な段階をふまえていただければ、あなたとこうやって話すのもやぶさかではありません。その、まずは友人として」


 フィーリアは下ろした足をじっと見つめたままで言った。隣にいる彼の顔は、見えない。


 再び顔が熱を帯びる気配がしたが、彼女はそれを押しつぶしたまま話す。声がわずかに震えているのが判っても、もう気にしている場合ではなかった。


「あと、この前……アスタさんに揃って怒られた日。冷たくしてしまってごめんなさい。いいえ、日頃から私はあなたをぞんさいに扱いすぎていますから、今後は気をつけたいと思っています。今度こそ私の用事はおしまいです」


 フィーリアは息を吐ききるようにまくし立てると、そのまま勢いよく立ち上がった。椅子を元に戻し、大急ぎでジュリオに背中を向けてカウンターに戻ろうとするのだが、ほんの一瞬だけ彼を振り返った。


「……もうすぐ閉館です。おやすみなさい、ジュリオさん」

「はい、おやすみなさい。フィーリアさん」


 やさしげな彼のまなざしに見送られ、彼女は今度こそカウンターに戻っていった。

 しかしながら、どうせ彼が帰るときにもう一回は顔を合わせる必要があることに気がつくと、途端に恥ずかしくなった。


 でも、いいのだ。言いたいことは言えたのだから。アスタに注意されてもされなくても、彼とはきちんと話そうと思っていたのだから。


 ――自室に戻ったら、リリーメイのノートに今日のことを書こう。

 自分の中にしかないものを乗り越えてこのノートを完成させた後輩に、自分に壁を壊す勇気を与えてくれた魔女に、尊敬の念を込めて。


 最後に書き足した予定――『ジュリオに謝ること』を、まずはなんとか達成できた。そのことを記録に残しておきたいと、フィーリアは心の底から思った。

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