ぬいぐるみチェイス
此木晶(しょう)
ぬいぐるみチェイス
アリア・リアリはそれを見た。
何処までも館の奥深くまで続く書架の列。その間に滑り込むように入って行く2足歩行する茶色のモフモフを。
「おーい、そこのエアライト・キャットー、手に持った本を置いて出て来い-」
間延びした良く通るが不思議と邪魔にはならない警告を発しながら、アリア・リアリは少しダボついた青い制服のすそを翻して後を追う。
エアライト・キャット=隕石猫。短い四肢に太い胴体、大きな頭とつぶらな瞳に四肢より太い縞々の尾を持った、猛獣である。通常は4足歩行を行うが威嚇のために立ち上がると一般的な家屋の屋根を超える程度の大きさに達する。恐ろしいのはその体勢から宙へと飛び上がり、体を丸めると名の通り隕石の如く標的へと降り注ぐ習性にある。魔晶石による性能向上の恩恵がなければ切り裂くことも難しい頑強な体毛に覆われた巨体から繰り出されるその威力は町中の一軒家位であれば一撃で粉砕せしめる。
もっとも、アリア・リアリが追いかけているのは、言うまでもなく本物の隕石猫であるはずもなく、おそらくはその姿を模しただけのぬいぐるみだ。何故ぬいぐるみが動いているのか。も、心当たりがない訳ではないが確証はまだない。
確かなのはその逃げている隕石猫のぬいぐるみが予想外にすばしっこい。速度そのものはさして大したことはない。むしろアリア・リアリの方が早い。二本足でトテトテでも言った感じで走っているので、すぐに追いつけそうに思えるのに太い尻尾をうまく使いいきなり方向転換をかけてきて、もう少しで手が届くという所でうまく逃げられてしまう。ぬいぐるみがアリア・リアリの膝上程度の大きさしかないのも要因の一つだろう。捕まえようと思うとどうしても膝を曲げて腰を落とす必要が出てくる。隕石猫のぬいぐるみが本を持っていなければ遠慮なく蹴り飛ばすか、踏み潰すかする所だが、本を傷める恐れがある以上無茶な事は出来ない。
「ああー、もー」
ぬいぐるみは逃げる。
書架の列を抜け、本の収められた階段を上り扉を抜ける。階下に広がる書架の海を見下ろせる吹き抜けのフロアから延びる空中回廊をひた走る。その先にさらに上階へと至る片階段があるのを認めると隕石猫のぬいぐるみはさらに速度を上げた。
「腹立つなぁー」
仕事柄体力には自信はあれど、そもそも体力という概念のなさそうな相手とでは比べる方が無理がある。アリア・リアリは足を止めると片階段へと向かう直線の手前を右へ曲がった。ショートカットだ。警備担当として館の間取りルートは現在進行形で構築中のエリア以外はほぼ把握している。今のペースでお互い追いかけっこを続けるならば、後を追うよりも行き先へ回り込んだ方が確実だ。さらに言うならば……。
隕石猫のぬいぐるみは走る。抱えるにはちと大きな本を懸命に抱え、短い脚を必死に前後させる。大きな頭が左右に揺れるがその分太い尻尾でバランスを取るので問題はない。片階段の隙間から落ちないようにリズミカルに飛び跳ねて登る姿はいっそ健気とすら言えるだろう。どれだけ言葉を飾ろうとルール違反ではあるのだが。
瞬く間に階段を登りきる。目的地は近い。もう後幾つか扉を通れば、館に幾つかある外界へと至る扉へとたどり着ける。
扉を抜けた。あとに二枚。そこに現れる蒼い影。
「やっとおいついたー」
かなりダボついた制服のすそを折り曲げたアリア・リアリが息も荒く立ちふさがった。
睨み合う両者。まず、隕石猫のぬいぐるみが抱えていた本を器用に自分の腹に立てかけ、2足歩行のまま両腕を上げ威嚇のポーズをとる。つぶらな目を丸く大きく、短い四肢を目いっぱい伸ばし、できうる限り己の体を大きく見せようとアリア・リアリの太もも程度の高さでしかなく。
「がおー」
アリア・リアリが両手の指をかぎづめのように軽く曲げ、ニィーと口の端を吊り上げかわいらしく吠えた。
テッテッテッテと隕石猫のぬいぐるみが片手は吊り上げたまま、下げた手ではこれまた器用に本を抱えて回れ右をする。その場で宙にダイブして本を包み込むように丸くなりもと来た方向へ転がりだす。
扉の向こうは片階段。ぬいぐるみであれば一気に階下まで落下しても問題はない。
「まてーこーらー」
と言われて、待つようならばこれまでに何度も止まっていた筈なので、止まる筈もない。コロコロ、徐々に勢いを増しながらゴロゴロと階段を目指す。アリア・リアリは一度止まったが故に自覚してしまった疲労と緊張の弛緩で行動が遅れた。が、焦りは見えない。
「にーがーすかー」
逃走する隕石猫のぬいぐるみの前に飛び出し受け止めたのは、同じようにかなりダボついた制服のすそを折り曲げたアリア・リアリだった。
2足歩行のままならしっぽを使った急な方向転換で逃れることもできたかもしれないが、ただ転がっているだけでは構えたアリア・リアリへと突っ込むしかできない。
抱えられた腕の中でジタバタと暴れる隕石猫のぬいぐるみにアリア・リアリは顔を埋める。
「もふもふ」
「わたしばかりずるいー」
二人のアリア・リアリはしばらく隕石猫のぬいぐるみを巡ってじゃれ合い、やがて「わすれてたー」と互いの手を合わせると。一人の少しダボついた制服のアリア・リアリへと変わる。
「おー、モフモフー」
アリア・リアリは首根っこを引っ掴んだ隕石猫のぬいぐるみに頬ずりすると、元々ぬいぐるみが逃げようとしていた側の扉を開けた。
「おまたせー、私」
「私も捕まえた?」
「見ての通りー」
そこには、細い男の胸元を引っ掴んで連行している最中の、少しダボついた制服のアリア・リアリがいた。
「さてー、ケインさん。これで45回目ですけどー」
「いーかげん、学習しませんかー」
そのまま、サラウンドで説教が始まる。
二人のアリア・リアリに挟まれた細い男=ケインはしかし好奇心に満ち満ちた眼差しをしていた。
「聞いてます―」
「聞いてませんよ!! さらに増えるなんて!!! どうなっているんですか。魂の分割にしたって理屈が合わない。どちらにも主導権があるように見えるし……」
あ、こいつめんどくさいという表情を同時に浮かべたアリア・リアリは無言で互いの掌を重ねる。青い制服をきちんと着込んだアリア・リアリになる。
「知りませんよ。出来るから出来るだけなんですから」
いつの間に掛けたのか眼鏡の傾きを直して、アリア・リアリは続ける。
「そんな事より、今回のペナルティはまだ終わってませんから、書使長の所へ行きますよ。逃げたら、分かってますよね?」
かなりダボついた制服のすそを折り曲げたアリア・リアリよりもだいぶ大人びて、その分凄惨さも増した微笑みにケインは一言頷いて押し黙った。二人のアリア・リアリならばともかく、こちらは厳格で見逃してもらえないのが確定したせいもあるからかもしれない。あるいは、書使長が怖いのか。いや誰だって笑顔なのに滔々と一昼夜にわたって書への愛を語られ続けるのは恐怖の対象にしかならないか……。
「そういえば、疑問だったんですが。このぬいぐるみ。どうやって動かしていたんです? やけに可愛らしかったですけど」
処刑場へ向かう心持だろうケインにアリア・リアリがかけるのは慰めではなく単純に自分の抱いた疑問。前科44犯の常習者に同情は必要ない。にも拘らず、この男が入館を許されるのは、この男が確かに書への愛情を持ち合わせているからに他ならないのだけれど。
「簡単ですよ。ぬいぐるみに『力』の
ケインの返答にアリア・リアリは暫し考え。
クククと喉の奥で笑いを殺す。
「なんですか」
「いえ、ケインさんがあれをやっていたのかと思うと、中々に笑えるなと」
「な、ほっといてください」
「館内ではお静かに」
「あなたが原因でしょう!」
「お静かに。罪状増やしますよ」
そして、また館は束の間の静寂を取り戻す。
ぬいぐるみチェイス 此木晶(しょう) @syou2022
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