帖佐君のお父さん、クレーンゲーム100円で100個取るらしいで

猿川西瓜

お題「ぬいぐるみ」

 僕が住んでいるマンションの同じ階に、帖佐ちょうさ君という友達がいた。小学生の頃、僕より学年は一つ上なのだけれども、よく遊びに行ったりしていた。ゲームは30分だけ許されていたので、帖佐君の家で30分ゲームをして、僕の家に移動し、そこで3時間ゲームをして帰る。そんな休日の過ごし方をしていた。

 帖佐君は坊主頭で、面長で、優しい子だったように思うが、小学校とはいえ、僕の一つ上の先輩であるので、随分大人に見えたものだった。

 帖佐君の家に行くと、いつも足に「あと」ができた。なんの「あと」かというと、竹の「あと」だ。竹カーペットか、簾のような感じのものが敷かれていて、そこに座ってゲームしたり漫画とか読んでいると、足が痛くなって姿勢を変えなければならなくなる。ふくらはぎを見てみると、しましまの竹の「あと」が付いている。これが帖佐君の家にいった証拠だ。

 帖佐君のお父さんはクレーンゲームのプロだった。クレーンゲームにプロがあるのかどうかわからないがとても得意らしい。「100円で100個取る」と帖佐君は言った。「すげえ!」と僕は笑った。僕は世間知らずだったので、本当に100円で100個取れると信じた。だってお父さんはプロだし、いわゆる「お父さん」というのは「なんでもできる頼れる人」だからだ。

 帖佐君の家にあるアップライトピアノの上にはぬいぐるみがたくさん乗っていた。知らないキャラクターばかりだった。100個もないけれどもたくさんあった。帖佐君の妹はピアノ教室に通っていて、いつも練習をしていた。妹のピアノを聴きながら、僕ら二人はコロコロとファミ通とジャンプを読んだりして過ごしていた。

 妹がいつも弾いていた曲はバイエルだったように思う。僕は今も、音楽の中でバイエルが一番好きである。

「帖佐君のお父さん、クレーンゲーム100円で100個取るらしいで」と母親に言うと、「知ってるわよ。のりこもたくさんもらっていたわよ。袋にいっぱい、ぎゅうぎゅうに取ってくるのよ」

 のりことは僕の姉のことだ。

 その時、人形がたくさん詰まった透明なゴミ袋を僕はイメージした。ゴミ袋は当時、黒いものがほとんどだった。透明なゴミ袋なんてほとんど無かったように思うが、どうして透明なゴミ袋をイメージできたのだろう。

 帖佐君のお父さんは弁当屋をやっていた。チラシを何度かもらったことがある。母親は、一度帖佐君の弁当を注文して、食べた。お金は払ったのかどうかはわからない。弁当はどこで作っているのかも分からない。僕はいまでも、帖佐君のお父さんがやってる弁当屋は、帖佐君の家で作られているものだと思っている。本当は東大阪あたりの弁当工場かどこかだろう。


 ある日、帖佐君がいなくなったことに、気が付いた。

 夏の頃だったように思う。僕は麦茶を味噌汁用のお椀に注いで、一気飲みすることを繰り返してから、「外に遊びに行くわ。久々に帖佐君誘おうかな」と台所の母親に言うと、「帖佐君、もういないわよ」と振り返った。

「え、なんで?」

「夜逃げしたのよ」

「夜逃げ!? クレヨンしんちゃんかよ!」

 と、僕は言った。

 しかし、クレヨンしんちゃんにはそんな場面は一度たりとも出てこない。なんでクレヨンしんちゃんをイメージしたのかは未だにわからない。

「夜逃げって……夜中に出ていったの?」

「そうよ」

「帖佐君は?」

「もちろん一緒に出ていったわよ」

「いや……」

 いや、そうやけれども。

 妹は? ってか、帖佐君は?

 何も挨拶ないし。どういうことやねん。

 スマホも何もない時代のことだ。

「ピアノは? どうやって運んだん?」

「夜中にね、家に来たわよ。帖佐君のお母さんが」

 頭が真っ白だった。

 どうか元気でね、と母親は送り出したらしい。帖佐君のお母さんは小声でそっと夜にやってきたという。僕の頭の中で、ピアノを運ぶ帖佐君。竹のカーペットを丸める帖佐君。夏の夜の暑い中、懸命に夜中に働く帖佐君を思った。

「それでね、この人形」

 母親が寝室から大きな透明なビニール袋を持ってきた。ぎっちりと人形が詰まっていた。100円で100個取れるくらいうまい帖佐君のお父さんが取った人形たちだ。

 僕は呆然とそれを眺めた。

「もうゲームでけへんやん」

「人形、好き? もういらんよねえ。誰かにあげるわよ」

「ああ……」

 帖佐君のお父さんが残した大量のクレーンゲームの人形がある。ちょっとホコリっぽかったり、汚れてたりするものがある。妹がそれを触ったりして遊んだものか、あのピアノの上にずっとあったものか。

「弁当屋ってそんな儲からんの?」

「うちも、夜逃げするかもしれないのよ? あんたしっかりしなさいね」


 その晩、僕は父親の肩を揉み、宿題をちゃんとした。

 翌朝、学校に行く前に、帖佐君の家の前に言って、ピンポンを鳴らした。

 じっと待った。

 数秒かもしれないし、数分待ったような気がした。

 しばらくして、誰かが出てきそうな予感がして、なぜか怖くなって、逃げ出した。

夜逃げといっても、そんな一晩ですぐにできるようなことでもないだろう。

 もしかしたら、帖佐君にお別れの挨拶ができたかもしれないけれど、小学生だった僕はそのまま次のゲームに夢中になり、彼のことはしばらく思い出さなかった。


 今はゲーセン自体が随分と少なくなったけれども、クレーンゲームはまだまだある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

帖佐君のお父さん、クレーンゲーム100円で100個取るらしいで 猿川西瓜 @cube3d

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ