小説フィーバー

凪司工房

ある小説ブームについて

 時に流行には我々の理解できないものがその俎上そじょうに載せられてしまうことがある、と私は思う。例えば千切れたように加工した服やゾンビ風メイク、去年は頭や腕、胸元や腰に虫を付けるというファッションが流行した。いくら理解できないと思っても流行してしまうとそれに乗らざるを得ず、知人との付き合いもあって、カブトムシを右耳に付けてみたが案の定、まれて痛い思いをしただけだった。


 奇抜であれば何でもいい、というような投げやりなブームなら作らなくていいと個人的には思っているのだが、そんな中で今年異様な盛り上がりを見せているのが何と「小説」である。

 街に一歩出ればビルの壁面を名作の表紙、タイトル、あるいはその一ページや文章を切り取ったものがおおい、バスやトラックの側面には吾輩わがはいは猫であったり、走れメロスの文章が流れている。足元のブロックにすら『恥の多い生涯を送って来ました』などと刻まれているのだ。


 何故これほどまでに小説が大ブームになってしまったのか、私の知るところではないが、売れない三文文士をしている兄がLINEに答えられないほど忙しいというので、彼が働いている店を訪れ、そのレポートを書いてみたいと思う。


 駅を出ると二宮金次郎の銅像があるのかと思わず二度見をしてしまった。その男性は本棚を背負い、文庫本ではなくハードカバーの一冊を開きながら信号待ちをしていた。その隣には耳なし芳一も真っ青な全身に、おそらくは京極夏彦だろう、文章が隙間なく書き込まれたスーツを着た男性が立っている。

 横断歩道を渡り、脇路地に入れば道端に座りながら琵琶びわをかき鳴らして羅生門らしょうもんを熱唱している青年に、即興小説書きますという着物姿の女性がいた。


 正に世は小説一色である、と言える。ただこれはあくまで小説ブームであって読書ブームではない、ということだ。そこが本好きの私からすると、どうも解せない。


 兄が働く小説喫茶は渋谷の道玄坂から一本入った雑居ビルの並ぶ通り沿いにあった。店は探すまでもなく、前に行列を作っており、最後尾は三十分待ちですと店員に言われてしまった。

 仕方なくしゃがみ込み、ポメラを開いて記事の草案を書く。と「小説ですか?」と声を掛けられた。薄く色のついた眼鏡を掛けた小説柄のシャツの男性で、同じように行列に並ぶのかと思うと、私の前でじっと覗き込んでいるだけだ。ただの記事だと素っ気なく答えると彼は「でも小説書けそうですよね」と言いながら名刺を取り出して見せた。店名こそ文学喫茶を気取っていたが、何のことはない。ただのキャッチだった。


 十五分ほどで入店することができた。女性客ばかりで席が混雑し、その間を縫うようにして十九世紀のヴィクトリア朝ライクな古典的メイド服を着た店員が注文を聞いていた。

 誰もがスマートフォンを構え、その写真を撮っている。インスタにアップしているのだろう。

 その間にも次々と客の声が飛ぶ。


「山月記。できれば虎じゃなく、サーベルタイガーで」

「蜘蛛の糸のやぶの中掛けでお願いします」

「雪国」

「転生もので、逆ハーレムに絶望的な展開が待っていると良き」

「雪国」

「車輪の下をもっと耽美にしたようなものはございますか」

「そうですね。今日は文芸的な、余りに文芸的な、あたりでも」

「雪国」


 店員はそれらをカードに記入すると、厨房へと投げ込む。

 私は許可を得て、少しそちらの様子を覗かせてもらった。

 奥は畳敷きの和室になっていて、低い卓にパソコンを並べ、ずらりと書生然とした男女が座る。彼らはカードを受け取るとキーボードを叩き始め、少しうなっては書き、唸っては書き、を繰り返している。

 その中に兄の姿を見つけた。一人だけジャージ姿で、髪はぼさぼさ、無精髭ぶしょうひげも生え、眼鏡を何度も直しながら、溜息を交えてパソコンに向かっていた。その姿はとても写真に収められるものではなく、私は入口のところから可哀想な文士たちの並ぶ引きの絵だけを撮影し、ホール側へと戻った。


 インスタに載せ終えた彼女たちは目の前で湯気を上げている小説に、ナイフとフォークを当てる。器用に切り分けると、口に入れ、それを思い切り頬張ほおばる。幸福、とも、悲哀ともつかない、何とも微妙な表情をしている。中には涙を浮かべている女性客もいれば、首を横に振り「これは芥川ではない」とぶつくさ言いながらも、それでも食べ続ける人もいた。

 私は注文しておいた「坊っちゃん」を食す。学生の頃を思い出し、少し甘酸っぱい、それでいて楽しい気分がよみがえった。


    ※


「あ、お帰り」


 妹が相変わらずジャージ姿でパソコンを前にして、冷やし中華を食べている。私は疲れた体を引きずりながら自室に戻ると、敷かれたままの布団へとダイブした。目をつむれば、現実が待っている。あちらの世界の私は売れない作家として地獄を生きているが、果たして、この嘘の世界で同じような作品の同じような文章を書き続けることを幸せと呼べるのだろうか。(了)

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