【KAC20232】守護天使にお願い

天鳥そら

第1話テディ

 私は、あるお店にやってきた。昭和の下町にあるような木造の古いお店だ。今どき珍しいガラスの引き戸。木枠に手をひっかけて戸を開くと、そこには、ありとあらゆる種類のぬいぐるみが、ところせましと置いてあった。


 キリン、ゾウ、ウサギ、パンダ、ライオン、陸地に住む動物だけでなく、イルカやシャチ、タコといった海の生物も置いてあった。


「どんなぬいぐるみをお探しですか?」


 好々爺としたおじいさんが、店の奥からやってくる。おじいさんは着物を着て下駄をはいていた。自分のまわりでは見かけない姿なので、思わず見入ってしまった。


「お客さん?」


「あ、はい。すみません。娘に贈るぬいぐるみを探しています」


 鞄の中から財布を出し、小さな白いカードを取り出した。紹介カードというやつだ。カードを持っていけば、店の人が客である自分を優遇してくれる。割引やオプション、とにかく何か得をするのだ。


 おじいさんは、カードを受け取るとにっこりほほ笑んだ。


「わかりました。紹介者は、あなたの奥様のおばあさんか、その親戚でしょうか」


「はい。妻の祖母で間違いないです。名前を見ただけで、そこまでわかるんですか?」


「紹介者カードを持ってくる方は少ないんですよ。お客様の知り合いで、名前が同じだというと限られてきます。修理や洗浄も何度か当店で引き受けましたので、店の記録にも記憶にも残っていますよ」


 まあ、同じ名前の方はおりますから、絶対わかるとは言えませんがね、と軽く笑った。


「で、娘さんへの贈り物ということですが。お嬢様に選んでもらわなくて良いのですか?」


「娘は、まだ赤ん坊でして。ミルクを飲んでいる状態なんです」


「それでも、赤ちゃんを連れて選ばれるお客様もいらっしゃいますよ。なんでも、赤ちゃんが、指をさすとか、ぬいぐるみを触って喜ぶとかありますので」


 店長の言葉にふと不安になった。家に置いてきた娘の顔がよぎる。


「もしかして、連れてきた方がよかったでしょうか」


 店長は、ふと考えて首を振った。


「まさかまさか。そんなことはございませんよ。お客様が娘さんのことを想って選ぶんです。何も気にすることはありません。出過ぎたことを申し上げました」


「いえ、私も、こういったお店に来るのは初めてでして。分からないことばかりです。何かあったら教えてください」


 素直に頭を下げれば、店長は慌てたように近寄ってきた。


「そんなにかたく考えないでください。普通のぬいぐるみを選ぶように選んでいただければ好いんですから」


「普通の……ですか」


 困惑したようにぬいぐるみを見回す。天井に届くかというくらい置いてあるぬいぐるみは圧巻だ。娘がもう少し大きくなってからなら、一緒に選んでも良かったかもしれない。瞳を輝かせる姿が思い浮かんで目を細めた。


 静かな店内をこつこつと音を立てて歩く。ときおり、おじいさんの説明を聞きながら手で触ってみた。ふわふわとした触り心地、つるつるとした感触、手が沈みそうなぐらい柔らかな毛の深さ。既製品ではなく、ひとつ一つが違う手作り品だった。


 ぬいぐるみひとつ一つに表情があり、性格も違うようなので迷ってしまった。どうしようか迷っていると、ひとつのテディベアと目が合った。茶色のフェルト生地に、首には赤いリボン。黒い眼玉に手足をボタンで留めた、いかにも手作りといったぬいぐるみだ。


「このこ……」


「そのこにしますか?」


 しばらく迷ってからうなづいた。娘が嬉しそうに笑った気がしたからだ。おじいさんは、私からテディベアを受け取ると、背中に人差し指で文字を書いた。それから聞き取れないぐらい小さい声で、呪文を唱える。2、3秒してから、テディベアが片手を上げた。


「こんにちは。僕は何てお名前ですか?」


「な、名前」


 名前を考えていなかったので慌てる。


「あの、娘が大きくなったら、好きな名前にかえられますか?」


「もちろんですとも。お嬢様とこのぬいぐるみとで相談して決められますよ」


 おじいさんの言葉にほっとして、仮の名前としてテディと名付けた。テディは、僕はテディですね。よろしくおねがいしますとお辞儀するしぐさをした。


「テディ、君には、娘のお友達になってほしいんだ。まだ赤ん坊なのに、母親は亡くなってしまってね。寂しい思いをすると思う。だから、一緒にいてあげてほしい」



「赤ちゃんなんですね。僕、子守歌を歌えますよ。言葉の練習もできますし、文字も教えられます。それから、語学の勉強も一緒にできますよ」


「それは頼もしい」


 にこにこと笑っていたおじいさんが口を開いた。


「契約期間はいかがいたします?」


「契約期間は、千里が、娘がもういいというまで」


「わかりました。娘さんが成長すれば、ぬいぐるみと話すこともなくなるでしょうしね」


 それから、おじいさんは、メンテナンスや洗浄はいつでも引き受けると請け負ってくれた。ぬいぐるみがいらなくなった場合、可能であれば店に戻してほしいとのことだった。


「契約が切れれば、このこはただのぬいぐるみと同じです。つまり、処分方法は、通常のぬいぐるみと構いません。ただ、こちらとしましては、丁寧に葬ってやりたいと思いますので」


「ええ、私が責任をもって返しに来ます」


 ぬいぐるみひとつに、目玉が飛び出るような額を支払って、テディと一緒に店を後にした。





 テディを家に迎えてから、めまぐるしい日々を過ごした。小さかった千里は、ぐんぐん大きくなっていった。テディを家族として接し続け、とうとう大人になっても手放さず結婚するときも連れて行った。


 ぬいぐるみ遊びは、すぐに飽きるかと思ったよと笑うと、テディは家族でしょと怒る始末だ。優しく、身近なものを大切にする子に育って嬉しかった。


 おそらく誰よりも千里と一緒にいたのはテディだ。名前を変えることなく、ずっと使い続けている。もう、テディ以外、考えられなくなっていたらしい。


 だから、千里とテディの秘密もあるのだろう。千里は気づいていないかもしれないが、テディのことを私の守護天使と呼んでいる姿を見かけたこともある。


 私の死が近くなり病院に入院したときも、テディを連れて家族全員で寄り添ってくれた。


 ただ、気がかりなことがあったから、千里が席を外したすきに、テディに話しかけた。


「テディ、契約期間が切れるとき、君をお店に戻すと請け負った。その約束は果たせそうもなくてすまない。千里と相談して、きちんとお店に戻してもらえるようにするんだよ」


 椅子の上にちょこんと座っていたテディは立ち上がり、私のそばまでジャンプした。


「心配しないで。お父さん、僕は千里と一緒に後からいきますから」


 テディが私の手をとる。あまりに真摯な態度に驚いた。


「一緒にって、それは千里が死ぬときは、一緒に死ぬということかい?」


「はい。千里が死ねば、僕は契約者がいないことになります。ですから、お花や手紙や千里の大切なものと一緒に、僕も千里の棺桶にいれてもらえばいいんです」


「え、テディ。それは千里と決めたのか?テディはそれで良いのかい?」


 テディが首をかしげる。千里の棺桶に入れられることを、まったく気にもしていないようだ。


「いやだな。お父さん。契約が切れた僕は、文字通りお払い箱ですよ。店に戻っても、同じように供養されるだけです」


「そ、そうかい。テディがいいなら、それでいいんだよ」


「ふふっ。変なお父さん。僕は千里のためにいるんですよ。それで良いも何もないんです」


 あまりに一緒にいる期間が長く、家族同然と過ごしてきたせいか、テディをぬいぐるみとして考えられなくなっている自分におかしくなった。


「ありがとう。それじゃあ、よろしくね。千里のことを最後の最後まで」


「はい。千里が望むなら。最後の最後まで一緒にいます」


 千里が赤ん坊のときから、ずっと一緒にいた。最後の最後まで一緒にいるテディは、千里が言うように守護天使なのかもしれない。千里のそばにテディがいるのを嬉しくもありうらやましくもあった。


 その後、千里とテディがどうなるのか、あの世から妻と一緒に見させてもらおう。






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