ぬいぐる民
辺理可付加
ぬいぐる民
20xx年。科学技術は高度化し社会福祉も充実、そんな時代。
人類は義手義足などの方面も当然進歩し、事故や障がいがあっても金さえあればどうにでもできる時代。なんなら趣味で体を改造しまくる金持ちも珍しくない時代。
そんな時代に……。
「なんじゃこりゃあああああ!!??」
「君は金がなかったんだよ」
病院のベッドで目を覚ますと、僕の右腕はぬいぐるみになっていた。
あら可愛い、クマちゃんかしら、じゃないわ!! ベッドの脇に突っ立っているスキンヘッド主治医へ手を伸ばしたが、モコモコ指じゃ胸ぐらもつかめない。格好悪く左手を出しなおすのを、彼は何も言わず見つめていた。左目は憐れむように見えるが右目は嘲笑っているように見える。
気勢を削がれてママのシャツの袖を引く幼な子のように彼の胸ぐらをつかんだ僕は、改めて問いかける。
「先生、これ、どういうことですか?」
「だからねシンイチくん、君は金がなかったんだって」
「えぇ……」
勤務中に暴走ショベルカーが襲来し、利き腕を失ったのはついこの前のこと。そして運び込まれた病院で義体手術の提案をされたのがつい先日のこと。
当然、払える金額によって義体のクオリティも変わるのだが、薄給日雇労働者なうえギャンブルに明け暮れた結果、まともな貯蓄のない僕には最低プランすら手が届かなかったのもつい先日のこと。
そのことを先生に話したら、今払えるだけの予算でやってくれると言われたから同意したのだってつい先日のこと!!
「だからってさぁ!」
「しょうがないじゃろ。下手するとラジコンも買えない残高で機械の腕が貰えるわけ」
「せめて木製のさぁ!」
「一文なしじゃ腕生やしたってその後困るじゃろ」
「なんだよさっきからその胡散臭い博士みたいな喋り方は! それより、ぬいぐるみの腕にされるって知ってたら断ってたわ! ていうか身内に金借りてでももうちょっとマシな腕発注したわ!!」
「でも君。黙ってたんだけど親御さんとすら連絡つかなくてねぇ」
「放蕩息子すぎて見捨てられてる!?」
ショックのあまり、主治医の胸ぐらから手が滑り落ちる。
「ま、外すのもメンドくさいし、そんなんでも体の一部なんだから大事にしなさいな」
本性現した先生の言葉も届かず、僕は
それから僕の生活は激変した。苦労の連続である。
風呂入ったら腕が悲惨なことになるし、ケチャップ付いたらシミになるし、スマホの操作もまともにできないし、郵便受け取りのサインもモタつくし、小銭つかめなくてキャッシュレスになるし。
あと、肉体労働ができなくなったので普通に就職した。不幸中の幸いだったのは今時ほぼ見なくなった身体障害者枠での採用があったことだ。おかげでロクな職歴がなくてもなんとかなった。もちろん職場では腕のことを陰で笑われているのだが。
それと、合コンでプチモテるようになった。女子が触りたがるし、話題に事欠かない。もちろんその後の釣果はゼロだがな! クソが!
早くお金を貯めて、少しでもマシな義手に付け替えてやる!
そんなある日曜日、僕の人生を一変させる出来事が起きた。
その日僕は夏にも関わらずコートで人目から腕を隠し、買い物に出かけていた。その帰り道。
「キャーッ!」
唐突な悲鳴に振り返ると、そこにはナイフを持った通り魔が!
そして、その視線の先には腰を抜かして動けない女性が!
男が女性に向かって一歩踏み出した。
「危ない!!」
もう頭で考えることじゃない。僕は咄嗟に二人の間に入って、
「なんだお前!」
「やめるんだ!」
「うるせぇ! じゃあテメェからぶっ殺してやんよ!!」
コートの脇腹に深々とナイフを突き立てられた。
「……あん?」
男はあまりにも奇妙な感触に、全てのアドレナリンを失ったような間の抜けた声を上げる。
そりゃそうだ。彼が期待していたような肉や骨を穿つ感触はしないのだから。そう、
僕だって忘れてたが、コートの内側には隠していたぬいぐるみアームがあるのだから!
「よくもやってくれたな……」
「ひっ?」
「ワタが……」
「ハラワタ……?」
「綿がズタズタじゃないかーっ!!」
「うおあああぁぁ!?」
僕がモコモコクマちゃんアームを振りかぶると、男はあまりの光景に尻尾を巻いて逃げていった。
「まったく……」
僕がナイフを抜いて地面に投げ捨てると、その傷口の近くを急につかむ手があった。
「な、なんだ!?」
「お怪我は!? 大丈夫ですか!?」
それはさっきまで腰を抜かしていた女性だった。通り魔が去ったからか僕の腕がショック療法になったのか、人を心配できるまでに落ち着きを取り戻したらしい。
「大丈夫ですよ。どこも怪我していません」
「よかったぁ……」
女性の体から力が抜ける。また腰抜かすんじゃないだろうな?
しかし彼女は自分の足で立っているどころか、気さくに話を振ってきた。さっきの現実離れした恐怖から気を紛らわせたいのだろう。
「ふぅ、怖かった。でも大きいぬいぐるみですね。いつも持ち歩いてらっしゃるんですか?」
「あぁー……」
そういうことにしてもいいが、誤魔化すのも面倒なので僕は簡潔に本当のことを話すことにした。
「これでも義手なんです。お金がないんで」
「へ?」
女性はポカーンとした表情。そりゃそうだよな。僕だって向こうの立場ならそうなる。
しかし彼女のリアクションは、僕の想像とは少し違う方角だったようだ。
「だったらすぐ病院に行って直してもらわないと!」
「え?」
「タクシー!!」
「いや、大丈夫ですから! 大丈夫ですから!!」
「ほら乗って!」
彼女は停まったタクシーの後部座席に僕を無理矢理押し込む。なんてパワーだ! これなら自力で通り魔撃退できたんじゃないのか!?
「その義手はどちらで!?」
「えっ、あぁ、
「運転手さん! 藪多良蹴総合病院まで!」
「いや、だから、僕は平気なんだってーっ!」
診察は受付で終わった。
「新しい綿を詰めて縫ったらいいですよ」
それだけ。いやぁ、修理が安く済むなぁ。助かるなぁ。
でも僕は自分じゃ縫えないので、女性の家に上がって彼女に縫ってもらっていた。
「いやぁ、すみませんねぇ」
「いえいえ。むしろ私、命を救ってもらって」
彼女は手際よく最後のナンタラ結びをする。
「終わりましたよ」
「ありがとうございます。じゃあ」
僕が腰を上げると、
「あの!」
「うわ、びっくりした」
彼女は急に大きな声を出した。
「どうしたんですか?」
「あ、あの、その」
打って変わってか細くなる声。女性は上目遣いで僕を見つめてくる。
「このあと、お暇ですか? できれば、その、助けていただいたお礼がしたくて……」
「縫っていただいたので十分ですよ」
「そんな! それも元はと言えば私を庇ってくださったからです! だから、お食事でも、いかがですか……?」
「食事!?」
そりゃ願ってもないことだ! 早く義手を上等なのに変えたくてお金を切り詰めているから、最近はロクなもん食ってない! こりゃ
いや、それを買い替えるための粗食なんだけどさ。
その夜は素晴らしかった。人生で初めてオシャレなレストランに入った。フレンチなんて初めて食べたよ。なんかよく分かんないけどウマいね。
しかも僕の腕じゃナイフとフォークってのがうまく使えないから、彼女に赤ん坊以来の「あーん」含むサポートをしてもらえたし。
そして何より、別れ際に彼女は僕のぬいぐるみの手をそっと握り、
「あなたの手って……、繋ぐと温かくて柔らかくて、優しくて素敵ですね……」
そう呟いた。顔はフイッと背けられてしまったが、その分真っ赤な耳がよく見えた。
結果、家に帰った僕はベッドに転がり、彼女の連絡先が追加されたスマホを握る我が手を見つめて独りごちたのだ。
「ぬいぐるみの腕も、悪くないかもな」
それからの人生は結構うまく回った。腕に対するコンプレックスは薄れて気分が明るくなったし、あの女性とは付き合うことになった。
ビバ僕の人生!
全部ぬいぐるみの腕のおかげだ!
ビバぬいぐるみ!
ぬいぐるみの腕は最高だ!
これは買い替えるのを考え直してもいいかもしれない! それくらいこの腕は僕に幸せを運んでくれた!
そして! 今日はその彼女の家に泊まりに行くのだ! もしや、もしや、もしかしたら!?
僕の人生に初のムフフな展開が!?
その夜、ベッドの上で。
「ん……、あまり上手じゃないのね……」
僕は一刻も早く腕を買い替えると固く心に誓った。
ぬいぐる民 辺理可付加 @chitose1129
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