死霊魔術師の悋気と愉悦

ヨツコ

言われた通りにやりました

 噴き出した鮮血の如き色をした月が闇を照らし、禍々しくも騒々しい影の者が跋扈する。

 それはとても美しい夜だった。闇に生きる者にとっては。

 

『魔王様が復活される』


 勇者などという称号だか肩書きだかを引っ提げた破壊と暴力の権化。闇を統べる魔王が人間の凶刃に倒れてから月が二周、空を回った。

 狂気に呑まれたかのように襲い来る人間勢力、その勢いに圧される中で、まことしやかに囁かれ始めたそれは決して噂などで終わる類のものではなかった。


 魔王の側近であり、勇者の凶刃を辛くも逃れた死霊魔術師ネクロマンサーが、魔王一派の残党狩りを進められる中人間の目を盗み、闇の者が固く口を閉ざすその蠢くような行動の果てに打ち捨てられた元魔王城、まさに勇者による蛮行が行われた地……もとい決戦の地に現れたことがその証である。


 稲光に照らされた魔王の玉座。

 白い光が大地を揺るがし、鮮烈な闇をもたらす。

 その中で、かつて主人の威光の支えたその座に、今は不釣り合いなものが鎮座していた。


 異形なるそれは、光を吸い込む漆黒の毛並みを持っていた。

 湖畔の水面よりも凪いだその双眸からは如何なる感情も読み取ることができない。

 その異形なる者、熊のぬいぐるみからは……


「お前まじでふざけんなよ」


 そのぬいぐるみから聴こえてきたのは、聞けばこの世の全ての女を孕ませることすら可能であると言わしめた魔王の甘いバリトンの声。


 闇を統べし者。全ての魔の頂に立つ男。

 一度は勇者の凶刃に倒れ伏そうとも、不屈の精神と深淵なる策謀の果てに死の淵から蘇った。

 支配者として、復讐と恩讐を胸に秘め、愛らしいばかりの黒い熊のぬいぐるみを依り代として。


「なんでくま!!!!!!!」


 今し方、反魂の術を駆使し魔の王をこの世に再び呼び戻せし者の、白魚の手が玉座の背を撫でた。

 人外の美貌を持つ死霊魔術師ネクロマンサー、その妖艶な唇が弧を描く。


「防腐剤、足りなかったみたいで」


 てへぺろ。


「ぶっ殺すぞこのクソアマ!!!!!!!」


 魔王の轟く怒声に対し、一拍置いた後にそれを上回るドスの効いた怒声が響き渡った。


「ああああああああああああん!? やれるもんならやってみろってのよ女と見れば見境なしのスケコマシ腐れ下半身野郎がああああああああああああああああああ」


 稲光が轟いて、魔王城の半分を一瞬にして破壊せしめたのはその直後であった。




 玉座の間。

 焼け焦げた毛足の長い絨毯の上。

 今まさに破壊の限りを尽くされた元屋内、今は野外で黒いドレスから艶めかしい白い脚を覗かせた死霊魔術師ネクロマンサーの女は、ピンヒールの黒い靴で漆黒の毛並みを踏みつけた。


「私だって、申し訳ないと思ってるの」


「おい。ぐりぐりやめろ。おい。やめろください」


「早く愛しいあなたに会いたくて、身体の再生を待てなかったんだもの。だから吐き気を催すひっどい異臭を放つあなたの身体の再生は進めつつ、一足先に魂だけ呼び戻したの」


「わかったからぐりぐりすんな。まじで。中身出る。綿出る」


「あなたの腕に抱かれるより早く、その声を聴きたかったの」


「きかせるきかせるちょうきかせるだからまじでしぬしぬしぬしぬしぬまじでまたしんじゃうしんあああああああああああああああああああ」


「あなたがいないこの世界に価値なんてないもの」


 うっとりと少女のように微笑んだ女は、やや歪に変形した熊のぬいぐるみを愛おし気にその豊満な胸に抱き寄せた。


「私の大切な魔王さま。また会えてよかった」


 魔王様が何と答えたのかは、二人だけの秘密。



 ◆◇◆◇



 その後、人間に対抗する闇の勢力が攻勢を強め、戦況は悪化の一途を辿ることとなった。

 その最前線にあっては、黒いドレスを来た人外の美貌を持つ女が必ずその胸に黒い熊のぬいぐるみを抱えて現れたというが、まあただの噂である。たぶん。

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