推しメーカー【ぬいぐるみ】

沖綱真優

第2話

「アンコパイセン、終わった……んスよね?頭下げてますし。ほれ、感想戦まで見るんスか。アラプラで観たいドラマあるんスけど、退いてもらって良いスかね?」


 忍野おしのミカは長机に頬杖のまま、パイプ椅子に座った城ヶ崎じょうがさきアンコの背中に話しかけた。アンコの右肩がぴくりと三センチほど上がって、また下がった。

 推しメーカーの本部会議室にある五十インチの大型テレビには、向かい合う二人の棋士が映し出されている。将棋の八大タイトルのうちの五つを持つワイシャツ姿の青年フジタと、二つを所持する背広姿の壮年ワタベの二人。タイトル戦でも顔を合わせるトップ棋士二人のこの日の対局は、持ち時間四〇分の一般棋戦の決勝戦。勝ったフジタ五冠は、二年ぶり四度目の優勝。


「……なんか、ツラいっすね……」


 ミカは、放心のままテレビ画面を凝視するアンコに同情した。

 将棋に興味のないミカだが、観る将のアンコのせいで一部の棋士の成績に詳しくなった。今ので二勝十五敗。ワタベ名人とフジタ竜王の対戦成績だ。ワタベが大きく負け越している。

 将棋星人との異名を持つフジタ五冠が強いのはもちろんだが、負けたワタベ二冠も現役最強棋士のひとりである。弱いハズがない。五冠に対しての相性がめっぽう悪いだけなのだ。


「うぅう……」


 アンコが呻いた。足元の影が揺れながら伸び出して足首を掴み、地面へと引きずり込んでいくような呪わしい声だ。まぁ、沈んではいても暴れたりはしない。アンコが八つ当たりするような性格ではないのは分かっている。でも、アラプラ観られないしなぁ、どう励まそうかなぁ。ミカは思案し、思い付いた。


「そういや、前回のカレ、どうなったんですかね?」


 仕事の話だ。アンコはミカの指導役で、ひとりでに出るようになった現在も、相談に乗ってもらっている。ヤリ方は異なるものの、がバツグンのアンコの業務報告書は参考になるし、書類では簡潔に記された状況を聞き出してシミュレーションするのも役立つ。さらに、新人の部類であるミカには不明の、もアンコは把握している。

 直近の報告書で、アンコは手酷い失恋に遭った男性会社員への『推し』植え付けに成功している。

 アンコが目を付けたカレ、虚ろな瞳の男性会社員は、地下鉄環状線を一周以上してから降りた。地上への階段をゆらりゆらり上り、シャッター街をふらりふらり歩く。

 目的地はなさそう。人通りもなし。この辺りでヤルかと、アンコはアンプルを炸裂させた。ミカも使うアンプルの中身は、ココロのスキマに作用する秘薬のようなもの、らしい。


「……推しと仲良くやってるわ。まだ深い仲にはなってないみたいだけど……時間の問題じゃないかしらね」

「それ、推し活じゃないンじゃ?」

「距離の近いリアコリアルに恋してるかしらねぇ〜〜」


『推しメーカー』の仕事は、ココロのスキマに『推し』を押し込むことだ。もちろん、何でもアリの簡単な話ではない。秘薬の見せる『夢うつつ』にて、記憶と体験と願望をごちゃ混ぜにして練り直し、スキマにちょうど合う形状に調整してからはめ込む。まったく興味のない推しを押し込まれたところで、受け入れる人間はほとんどいない。

『夢うつつ』の間の対象者の心理は、アンプル使用者が覗き込むことができる——理屈はミカには分からないが——から、『推し』付けるヒト・モノを見極め、タイミング良く唆さなくてはならない。なんだか、悪事のような表現だな。ココロに負った傷を早々に癒すのだから、善事に相違ない。


 今回のアンコの対象者は、恋人だと思っていた同僚に玩ばれていた。カレの傷は深かった。ドクドクと血が流れ出るような分かりやすい傷ではなく、内側で組織に浸潤していく病巣のような。怨恨へと変化してもおかしくないほどの。

 つまり、アンコはカレの中に『推し』を植え付けることにより、少なくとも二人の人間を助けたことになる。素晴らしい。

 が。

 推しメーカーのミカにとっては、推しは遠くからそっと見守るモノ、あるいは、推しの幸せを影ながら助力するモノ。


「『推し』と深い関係になっちゃったら、ただの恋人、『恋愛』じゃないスか」

メンチカメンズ地下アイドル相手のリアコは深い関係に及ぶし、よくある話じゃない。古くは、画家や音楽家、ダンサーなんかのパトロンもね。関係を持つ前提でパトロンになるんだから、人間相手の推し活ならそういう面もあるでしょうよ」

「『推し』とは清い関係でいて欲しいんですよぉお。被っちゃう……」

「ハイ、


 あっ、という間もなかった。

 パイプ椅子に斜めに座ったミカの身体は、床から伸び出した黒い影に引き倒され、つぷんっと軽い水はね音で、影の中に引き込まれていった。衝撃で閉じたパイプ椅子だけが転がっている。


「再教育が必要ね。ねー?」


 城ヶ崎アンコは振り返り、長机の上に置いたバックパックから取り出した、小さな犬のぬいぐるみに話し掛けた。ぬいぬいぐるみは、アンコの推し、ワタベ名人が大好きなアイテムだ。アンコは推しの愛するぬいと同じモノを探し歩き、挙句に自作した。ぬいへの愛着は推しへの愛着と同義。常に持ち歩き、話しかけている。

 推しメーカーたるモノ、推しを学ぶべし。とは、所長の言葉だ。推し活を通して得られる悦びを知っているからこそ躊躇なく、人心に推しを植え付けられる。


「あの娘は推される側だったから向いていると思ったのだけれど。甘い子ねぇ」


 ペロリと。真っ赤に塗った上下の唇の間から、紫色の舌が出入りした。うねった金色の髪を大きな左手で斜めに掻き上げるアンコの視線の先、五十インチの大型テレビには、セーラー服を崩したようなミニスカート衣装のミカが映っている。

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