ぬいぐるみ

茅野 明空(かやの めあ)




 私は昔からぬいぐるみがそんなに好きじゃなかった。



 祖父母や両親から可愛らしいぬいぐるみをもらっても、しばらくはベッドの枕元などに置いておくが、そのうち飽きてしまうのだった。

 可哀想に、忘れ去られたぬいぐるみたちは、ベッドの下に転がっているか、みかねた母親によってピアノの上に並べられていた。


 妹は私と正反対で、ぬいぐるみを溺愛していた。

 一回、家族旅行で訪れた先の空港で、お気に入りのぬいぐるみをなくした時なんか、この世の終わりのように泣き喚いていた。

 そんな妹を、私は不思議な生き物を見るように眺めていた。


 ぬいぐるみなんて、何がいいんだろう?

 ただ可愛いだけの、手触りがいいだけの、綿の塊。

 そんなもの抱きしめて、何が得られるの?

 

 愛おしそうにぬいぐるみを抱く妹に、しかし、私はどこか嫉妬していたのだ。


 ぬいぐるみを愛せないのは、私に愛情がないからかもしれない。

 きっと、何かを、誰かを愛することなんか、私にはできないんだ。

 

 子供心に突きつけられた絶望感は、忘れられない。




 でもね、今の私は違う。

 

 柔らかなシーツと布団に包まれ、微睡むような心地で、私は無意識に手を弄る。すぐに温かな肌に触れ、私はその大きくてしっかりとした体を抱きしめた。


「・・・ん? 何? 怖い夢でもみた?」


 寝ていたのだろうか、掠れた声で尋ねられ、私はううん、と小声で答えて彼の胸に顔を埋めた。

 その広い背中に回した手で、肩の良い肩甲骨をそっと撫でる。そして指先を首筋に沿わせ、散髪に行ったばかりで、柴犬の毛のように柔らかく切り揃えられた襟足を何度も撫でる。


「くすぐったいよ」


 笑いながら身をよじる彼に微笑み、私はもう一度、彼の体を抱きしめた。


 あぁ、きっと、妹はこういう気持ちだったのだ。

 自分の中にあった穴が埋められ、空虚だった心に温かなものが流れ込んでくるような、この心地。

 誰かを愛することなんてできないのではないかと怯えていた子供の頃の自分に、教えてあげたい。


 

 大丈夫。いつかあなたにも、わかる時が来るから。






           了


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぬいぐるみ 茅野 明空(かやの めあ) @abobobolife

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ