ぬいぐるみ好きな白い魔法士

烏川 ハル

ぬいぐるみ好きな白い魔法士

   

「森に入るまでは、あんなに明るかったのに……」

 小声で独り言を呟きながら、彼はブルッと体を震わせた。


 木々の枝から伸びる葉はどれも大きく、あたたかな太陽の光を遮っている。そんな鬱蒼とした森の中を、一人の若者が歩いていた。

 茶色い革鎧や腰のショートソードを見れば、彼が冒険者なのは誰の目にも明らかだろう。しかも、鎧も剣も汚れひとつない新品だ。まだルーキーの冒険者だった。

 ここは『低級の森』と呼ばれる森型ダンジョン。最下級のゴブリンやウィスプなど、初心者でも戦えるモンスターばかりが出現するエリアだった。

 もちろん、初心者専用のダンジョンというわけではない。中堅やベテランの冒険者も「あえて弱いモンスターを相手にして、少しずつ経験値稼ぎをしよう」とか「たまには息抜きがてら、弱い敵しか出ないダンジョンへ行こう」とか考えて、ここを訪れる場合も結構あるらしい。

 それどころか、最近では『低級の森』に入った冒険者が行方不明になるという事件も頻発しており、

「いくら低級モンスターとはいえ、油断しないでくださいね。ほら『追い詰められた鼠は猫をも殺す』という言い回しもあるでしょう? モンスターだって命懸けなんですから、狩られたくなくて、必死に抵抗してくるんですよ」

 と冒険者組合の受付窓口でも注意を受けたばかり。

 それでも若者は「僕だって優秀な成績で冒険者学院を卒業したんだから!」という自負で、こうして一人でダンジョンへ飛び込んだのだった。


「……ん? もしかして、あれは……」

 森の小道を歩いていた若者が、ふと足を止める。

 十数メートル先で、右側の茂みが不自然にガソゴソと揺れているのだ。

 まだモンスターの気配を察知することには慣れていないけれど、さすがに音と動きまであれば「そこに何者かが隠れているのだろう」と見抜くのは簡単だった。

 どうやら冒険者が通りかかるまで身をひそめて、横から奇襲という魂胆らしい。

 そう考えた若者は、ソーッと近寄りながら、腰の剣を抜いて……。

「隠れてるのはバレてるぞ! さあ、観念して出てこい!」


――――――――――――


「キーッ!」

 独特の鳴き声を上げながら、二匹のモンスターが飛び出してくる。

 肌の色は茶色くて、ガリガリに痩せた小人のような体型。緑色の帽子はナイトキャップみたいな形状で、手にした武器は小さなナイフ。

 最下級のゴブリンたちだった。

「一匹じゃなく二匹か。だけどお前たち程度なら、冒険者学院の課外実習でも始末したことあるから……」

 若者は敵を前にしながらも、無駄な独り言を口にしてしまう。まだ彼には余裕があったのだ。

 しかし、その直後。

 背筋が凍りつくような、ゾッとした感覚に襲われる。

 もちろん、目の前のゴブリンたちが原因ではない。

「まさか……」

 恐る恐る振り返ると……。

 数メートル離れた辺りで、いつのまにか三匹のモンスターが立ち塞がっていた。

 胸板は厚く、手にした武器は若者と同じようなショートソード。赤い帽子も最下級のゴブリンとは違う。

 下から二番目のレベルという意味で『セカンドゴブリン』と呼ばれる種類のモンスターたちだった。


「ひっ! セカンドが三匹も……!」

 若者の声が悲鳴に変わる。

 冒険者学院の課外実習でも一度だけセカンドゴブリンを目撃したが、あの時は十人がかりでも倒せず、結局教師の手を借りる形になったのだ。

 それが今回は三匹、しかも最下級のゴブリンも二匹いて、前後を挟まれている!

 冷静に考えるならば、いくら「前後を挟まれている」とはいえ、手強てごわいのはセカンドゴブリン三匹の方のみ。もう片方は最下級のゴブリン二匹だけだから、サッサとそちらを撃破して突破、そのまま逃げ出すのが最善手のはずだが……。

 軽くパニックに陥った状態では、そのように「冷静に考える」というのが無理だった。

 ただアタフタと慌てながら、若者は前後を交互に見比べて、ショートソードを振り回す。

 自分より大きな子供と喧嘩する幼児が、届きもしないのに小さな腕をブルンブルン振り回す。そんな場面を彷彿とさせる有様だった。

「来るな! あっち行け! 近づいたら斬るぞ!」

 若者は声を上げるが、虚勢に過ぎない。

 モンスターの方でもわかっているとみえて、五匹はジリジリと近寄っていくのだが……。


――――――――――――


「助太刀する!」

 鬱蒼とした森に突然、低い女性の声が響き渡った。

 三匹のセカンドゴブリンが、一斉に後ろを振り返っている。声の主がいるのは、そちら側なのだろう。

 しかしモンスターの動きは遅かった。一瞬のうちに何者かがモンスターの間を駆け抜けて、剣を一閃。それだけで三匹のうち二匹を斬り伏せていた。

「アイシクル・ブレイク!」

 新たに聞こえてきたのは、一人目よりも高めの声。攻撃魔法の呪文詠唱だった。

 最後に残ったセカンドゴブリンが凍りつき、粉々に砕ける。

 強敵だったはずのセカンドゴブリンは、こうして三匹とも、あっさり全滅するのだった。


「大丈夫か?」

 ほうけたように見守っていた若者に声をかけたのは、二匹のセカンドゴブリンをほふった女性冒険者。

 彼女はモンスターたちの間を走り抜けた勢いで、若者のすぐ目の前まで来ていたのだ。

「あっ、はい。ありがとうございました……」

 礼を述べながら、改めて彼女に目を向ける。

 両手に持った剣は、どちらも刀身が青く光っていた。艶やかな長い髪も、着ている革鎧も同じく青色だが、女性用ではなく男物の鎧のようだ。それでも胸がキツくないのだから、スレンダーな体型なのだろう。

 顔の輪郭は面長で、やや逆三角気味。目鼻立ちはスーッと整っているが、目つきはキリッと鋭い。目尻が少しだけ吊り上がっているのも合わせて、いわゆるキツネ顔という感じだった。


「油断しないで。まだ終わってないわ」

 もう一人の女性冒険者も、若者の方へ歩み寄ってくる。

 フード付きの白いローブを身に纏い、ローブの隙間から見えるインナーは赤いシャツ。フードを被っているのでわかりにくいけれど、ふわりとした銀髪らしい。ふっくらした丸顔で、目や口なども丸みを帯びている。

 ちょうど一人目とは対照的に、タヌキ顔という言葉が若者の頭に浮かんだ。


「うむ。俺たちは、あくまでも助太刀だ。お前の獲物、全て奪うつもりはないからな」

「最下級のゴブリンなら、あなたでも倒せるのでしょう?」

 二人の言葉で、若者はハッとする。

 改めて振り返ると、二匹のゴブリンが、ゆっくりと後退あとずさりしている最中さいちゅうだった。

 慌ててバタバタと走り出すより、気配を殺しながらの方が逃走も成功しやすい。モンスターたちは、そう判断したらしい。

「はい!」

 二人の女性冒険者に勢いよく答えてから、若者は二匹のゴブリンに斬りかかる!


――――――――――――


 本来の若者の力量ならば、いくら最下級のゴブリンとはいえ、一人で二匹同時に相手するのは荷が重かっただろう。

 しかし、今回の二匹はどちらも逃げ腰。しかも彼の後ろに凄腕の冒険者二人が控えており、それはモンスターの側でも承知している、という状況だった。

 多少の時間はかかったものの、若者一人で二匹のモンスターを倒すことが出来て……。


「ありがとうございました。おかげさまで、助かりました」

 改めて若者が頭を下げると、白いローブの女性冒険者がニッコリ笑う。

「よかったわ。私たちだって、他の冒険者が困ってるのは見逃せないもの。特にそれが可愛い男の子だったら、なおさらだわ」

「えっ……?」

 きょとんとする若者。

 彼女たちは確かに自分よりいくつか年上のようだが、しかし自分ももう小さい子供ではないのだ。今さら「可愛い男の子」扱いされるのは驚きだった。

「失礼だぞ、レナ。初対面の男子に向かって、そんな言い方……」

「あら、ごめんなさい。そうね、自己紹介もまだしてないものね」

 二人が言葉を交わすのを聞いて、若者はハッとする。助けてもらったのは自分なのだから、自分の方から名乗るのが礼儀だろう。

「申し遅れました。僕はアルフレッド。今日が冒険者デビューの剣士です」

 彼が背筋をピンと伸ばすと、二人は優しい声で応えてくれた。

「あらあら、そんなに形式ばる必要ないわ。もっと気楽に……。私は魔法士のレナよ、よろしくね」」

「うむ。俺はミリィ、見ての通り魔法剣士だ」

 青い髪のミリィは、手にした剣を示してみせる。

 刀身が青く光っているのは魔法の冷気を帯びているからであり、いわゆる魔法剣だったのだ。だから単なる剣士ではなく魔法剣士だ、とアピールしたいらしい。


――――――――――――


「今日が初めてなら、いくら『低級の森』とはいえ、一人じゃ危ないかもね」

「うむ。たまにはセカンドゴブリンみたいなのも出てくるからな、今みたいに」

「はい、冒険者組合でも言われました。『油断しないように』って。あと、最近『低級の森』で冒険者が行方不明になるという噂も」

 アルフレッドは正直に告げる。

 もしかすると「それなのに何故一人で来たのか」と少し怒られるかとも思ったが、二人ともそんな言葉は一切口にせず、代わりに優しく提案してくれた。

「それじゃ、この森を出るまで、私たちと一緒に行きましょうか?」

「はい! よろしくお願いします!」

 こうしてアルフレッドは、一時的にレナやミリィと組むことになり……。


 その後も何度かモンスターと遭遇したが、最下級のゴブリンやウィスプばかり。セカンドゴブリン以上の敵は、二度と現れなかった。

「つまらんな。これでは手応えが無さすぎる」

「文句言っちゃダメよ、ミリィ。だって『低級の森』なんだから」

 ミリィとレナの二人どころか、どちらか一人でも全滅できそうなモンスター相手でも、二人は必ず一匹、アルフレッドのために残してくれていた。

 とても配慮の行き届いた先輩冒険者たちだ。これが経験を積んだ冒険者というものか、とアルフレッドは改めて二人を尊敬する。

 もちろんモンスターが現れるまでは、気さくな年上のお姉さんたちだった。森を歩きながら、たわいない雑談をする余裕もあるくらいだ。

「最初に『可愛い男の子』なんて言われて、びっくりしただろうが……。このレナは、可愛いものが大好きでな。今でも部屋はぬいぐるみだらけだ」

「あら、いいじゃないの。女の子って、そういうものでしょう? あなたの部屋が殺風景すぎるのよ」

「しかし、いくら何でも……。どうせ今日も、ぬいぐるみのコレクション、また一つ増やすつもりだろう?」

「あら、どうかしら。ふふふ……」

 ぬいぐるみと言われても、アルフレッドにはピンとこないが……。

 言われてみれば、武器屋でもアクセサリーのたぐいに混じって、剣や盾などを模した布製おもちゃが売られているのを見た覚えがある。

 なるほど、あれは女性冒険者に需要があるから置いてあるのか。

 そんなことを考えるのだった。


――――――――――――


 数時間後、三人は森の出口に差しかかり……。

「今日は、どうもありがとうございました。本当に助かりましたし、色々と勉強になりました」

 アルフレッドは足を止めて、改めて二人に頭を下げる。

 レナの「この森を出るまで、私たちと一緒に」という言葉を覚えており、そろそろお別れだと思ったからだ。

「あらあら。そんなに堅苦しく、何度もお辞儀する必要もないのに……。でも、そうね。それほど感謝してる、っていうなら、少し私の趣味に付き合ってもらえるかしら?」

「はい、僕で出来ることなら何でも」

 優しいお姉さんという雰囲気のレナの言葉に、アルフレッドが二つ返事で応じると……。


「レナ、またか……」

「いいじゃないの、彼もこう言ってるんだし」

 ミリィと軽く言葉を交わしてから、レナはアルフレッドに指示する。

「じゃあ、そこに立って。気楽なポーズで、そう、ニッコリ微笑んで……」

 言われた通りにするアルフレッド。その耳に聞こえてきたのは、レナの呪文詠唱だった。

「スタッフト・メタモルフォーゼ!」

 ポンという軽い音と共に、アルフレッドの体が白い煙に包まれる。

 その煙が晴れたあと、そこに冒険者アルフレッドの姿はなく、代わりに30センチ程度のぬいぐるみが転がっていた。

「ふふふ……。また素敵なぬいぐるみが手に入ったわ」

 慣れた手つきでそれを拾って、レナが懐にしまう。


 こうして今日も『低級の森』では、また一人の冒険者が行方不明となり……。

 レナの部屋の棚で、ぬいぐるみとして飾られるのだった。




(「ぬいぐるみ好きな白い魔法士」完)

   

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