じゃあね、テディ・ベア

隠井 迅

第1話 僕はクマさん

「それにしても、こんな猛暑の中、ほんと毎日頑張るよね、〈ササカ〉は」

 休憩時間に、バイトの同僚の鈴木真琴(すずき・まこと)が、佐東冴若(さとう・さわか)にそう声を掛けてきた。

 着ぐるみバイトの派遣会社に登録している冴若は、夏休みの間、毎日、バイトに勤しんでいた。

 この時期は、小学校も夏休みなので、いつもはオファーが少ない平日にも、着ぐるみバイトは引手数多なのであった。


「まこっさん、自分、この夏のうちに短期集中で、ドカっと稼ぎたいんすよ」

「なんで? 卒業旅行の資金とか?」

「いや。実は、この秋に、〈おし〉の全国ツアーがあって、自分、それに参加するんすよ」

「それで、どこに行くの?」

「全国十か所、十六公演を〈全通〉っす」

「『ぜんつう』って何?」

「全部に行くって意味です」

「へっ!?」

「まあ、そういった分けで、チケット代に加え、移動費や宿泊費、さらに、グッズ代や打ち上げ代で、金は幾らあっても足りない次第でして」

「でも、ツアーってさ、毎回、同じ曲を歌うんじゃないの? よう知らんけど」

「入れ替えがあるとしても数曲ですね」

「でしょ。同じ曲を聴くのに、全公演に行くのって意味あんの?」

「生で曲を聴くという点では一回聴けば十分で、そこに〈意味〉はないかもしれません」

「だよね」

「しかし、です。たとえセットリストが同じだとしても、その日その場で〈おし〉が目の前で歌っている時空間を共有する事、その体験にこそ、僕は〈意義〉を見出しているのですよ。だから、〈おし〉に逢える機会を、僕は一度たりとも逃したくはないのです」

「そおゆうヲタクの価値観は共感できないけれど、ササカの気持ち自体は理解するよ」


 その時、待機室に、開演五分前を告げるアラーム音が鳴り響いた。

「そろそろ、出番だね。じゃ、わたし、先に行くね、ササカ」

 真琴は、鏡を見ながら、髪のリボンと帽子の位置を微修正すると、ステージに出て行った。

 そんな村の少女役の真琴の背中に視線を送った後で、「あるぅ~日ぃ、森の中っ」という歌詞を呟きながら、冴若は、熊の頭を装着したのであった。


               *


 「森のくまさん」をモチーフにした寸劇の後、熊の着ぐるみを全身に纏った冴若は、着ぐるみの内部で全身汗だくになりながらも、ショーに参加した子供たちに、チラシ付きの風船を配っていた。

 屈んだ状態で、背の低い幼児たち全員に風船を手渡し終えた冴若が、立ち上がったまさにその瞬間であった。

 冴若は、強烈な眩暈に襲われ、頭が左右に揺れ、さらに、激しい頭痛や吐き気にも襲われた。


 意識が朦朧としてきた。

 これって、本気でヤバイやつかも……。

 今、倒れたら、バイトがしばらくできなくなる。

 そしたら秋の全国ツアーに行けなくなる。

 〈おし〉のライヴには、たとえ何があっても、どうなっても、這ってでも、絶対に会いに、逢いに、〈愛〉に行く。

  ああ、〈LiONa(リオナ)〉……。

 〈おし〉の名を呟き、その顔を思い浮かべながら、冴若の意識は、〈今ここ〉から遠のいていったのであった。


               *


 やがて、冴若は意識を取り戻した。


 しかし、である。

 なんか変なのだ。

 たしかに、匂いもするし、音も聞こえ、そして、目も見える。

 だが、皮膚感覚がまるで無く、さらに、身体が全く動かせない。


 鼻梁をくすぐるのは、スモークの甘い香りで、それは、ライヴの前にステージ付近で漂っている香りに似ていた。

 そして、耳に届いてくるのは、ライヴの開始を楽しみに待つ、そんなヲタクたちの話し声であった。


 ということは、ここは、何処かのライヴハウスなのであろうか?

 でも、なんで?

 意識が途切れる前には、デパートの屋上で、熊の着ぐるみを着ていたのに、意識を取り戻すや、ライヴハウスにいるなんて。

 さらに、おかしな点がまだあって、目は見えているのに、視線が動かせない。つまり、目線は固定されていて、視界に入っているのは、キーボードの白黒の鍵盤だけなのだ。

 どんなに動こうとしても、まったく身体の向きを変える事さえできない。そんな事を考えているうちに、ライヴが始まり、冴若の耳に聞こえてきたのは、彼の〈おし〉である〈LiONa〉の歌声であった。

 

 なんですとおおおぉぉぉ~~~。

 もしかして、ここって〈おし〉の秋のライヴツアー会場で、MCの内容から察するに、会場は初日の川崎であるようだ。


 それにしても、あれだ。

 アッパーで激しい曲が来ても、身動ぎ一つできず、地蔵のようにしていなければならないのは苦行以外の何ものでもない。

 でも、どうして身体が動かないのだ?

 ドールのように動けずに、ただ歌声を聴く事しかできない、この身がもどかしくて仕方がない。


 やがて、セットリストが〈弾き語り〉のブロックになった時、冴若の身体は、突如、ステージの中央部にまで運ばれ、クラシックギターを携えた演者の正面に置かれた。


「よろしくね、テディちゃん」

 そんな風にLiONaが呟く声が冴若の耳にも届いてきた。


 やがて曲が流れだすと、LiONaは、「ドール」という曲を、自分の目の前のぬいぐるみを見詰めながら、囁きかけるように歌い出した。

 LiONaは、曲の節々で、目の前に居るテディ・ベアに視線を向け、何度も何度も頷きながら歌っていた。


 冴若は、そんな〈おし〉の姿を見て、まるで〈おし〉が自分だけを見詰め、あたかも〈一対一〉で、自分の為だけに歌ってくれているような感覚を覚え、心が蕩けてしまった。


 弾き語りパートが終わった後も、そのまま最後の一曲まで、何故か、冴若は、最前列よりも前のステージ上で、しかも正面から、LiONaのパフォーマンスを堪能する事ができた。


 ライヴが終わり、ステージから立ち去る時、LiONaは、テディ・ベアを抱いたまま、観客席に向かって深々とお辞儀をした後で、ステージから捌けていったのであった。


               *


 楽屋に戻ったLiONaはテディ・ベアを抱えたまま鏡の前に座った。


 冴若は驚愕した。

 鏡の中にいるのは自分のはずなのに、鏡に映っているのは、〈おし〉とテディ・ベアなのだ。

 もしかして、今の自分って、この熊の御人形さんなのかっ!?

 ひょっとして、バイトで炎天下の中、熊の着ぐるみを着ていた自分は、立ちくらんだまま命を失って、この熊の人形に転生したのかもしれない。

 いや、夏のあの日、自分は、秋のツアーで〈おし〉に〈愛〉たい、と念じながら意識を失ったので、その無念が残留思念のようになって、このテディ・ベアに乗り移ったのかもしれない。

 いずれにせよ、これらは非現実的で妄想めいた想像で、真相は藪の中なのだが、たしかなのは、自分はテディ・ベアになって、〈おし〉に抱えられている、という目の前にある事実である。

 今は、〈おし〉が愛玩する〈テディちゃん〉になった事実を受け入れ、この時間を掛け替えのないものにしよう、そう冴若は考える事にした。


 十六公演、ツアーのセトリはほぼ不変だったので、テディ・ベアとなった冴若は、毎回ステージ上でライヴに参加し、至福の時空間を堪能した。

 そしてさらに、ツアーの最終日に告知された、翌年の三月九日に催される初の武道館ワンマン・ライヴの発表も、ステージ上にて〈おし〉と一緒に歓喜の瞬間を迎えたのであった。


               *


 秋のライヴツアーの最終日の翌日、ツアーの舞台装置一式は、事務所の倉庫に仕舞われる事になった。そして、テディ・べアもその例外ではなかった。

 その時、LiONaは言った。

「じゃあね、テディちゃん」


 えっ! ちょ、ちょっと待ったあああぁぁぁ~~~。

 僕、このまま物置に入れられちゃうの?

 来年の初武道館ワンマンに行きたいっ!

 嫌だよ、テディ・ベアとして、このまま物置に放置されるなんて、あんまりだよ。

 武道館のライヴに行きたい、何があっても、絶対に武道館に行きたいよおおおぉぉ~~~!!!


               *


「さ……、ささ…、ささか」

 冴若は、自分の両肩に触れられた手の感触と、自分を何度も呼ぶ声によって意識を取り戻した。


 冴若は、ショーのために身に着けていた熊の着ぐるみを脱がせられ、クーラーのきいた部屋に運ばれ、治療を受けていた。

「自分、いったい……」

「熱中症だよ。ササカ、水だけ飲んでちゃ駄目だぜ。塩分もきちんと取らんと」


 身体を動かし、自分の両手を見詰めながら冴若は呟いた。

「か、身体、う、動くし、自分、く、熊じゃない」

「さっきまでは見事な森のくまさんだったけれど、今の君は、アニマルじゃないね」

「いや、そうじゃなくって、さっきまで、自分、ぬいぐるみ、えっと……、テディ・ベアだったんすよ」

「はっ!? 君さ、意識が未だはっきりしていないみたいだね」


 デパートの着ぐるみショーの控室に置かれている鏡に映るその姿は、何度見ても、ぬいぐるみのそれではなかった。


「テディ・ベアに魂が乗り移って、回り道をしてしまったような気もするけれど、生きてるだけでえらいよ、僕。とにかく、来春の武道館には行けるみたいだし、なんかほっとしたよ。

 今の僕、アイム・ヒューマンだ」


                          〈了〉

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じゃあね、テディ・ベア 隠井 迅 @kraijean

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