砂竜使いのぬいぐるみ

平本りこ

砂竜使いのぬいぐるみ

 僕の名前は、噛み噛みトビネズミさん。


 この名前を聞くと、誰もが一度は聞き返す。まさに舌を噛み噛みしそうな名前だけれど、ママは結構気に入っているらしい。


 僕の身体は、ママが昔使っていた灰茶色の古布でできている。ママは手先がとっても器用。布をくるりと丸め、チクチクと針を動かして、太陽の位置がほとんど動かない程の短時間で、僕を生み出してくれたんだ。


 最初は意識がぼんやりとしていたけれど、ママが指先を針で刺してしまった時に溢れた赤い血を浴びた途端、僕の胸……とおぼしきところに心が宿った。不思議だね。


 僕はトビネズミの姿をしている。再現度はちょっと低いみたい。


 楕円形の寸胴に、大きな耳がぴらぴらと付いている。目は刺繍糸で描かれたで、尻尾は身体よりもずっと長い。何人かが遠慮なく言い放ったことによれば、どうやら僕は気が抜けるような容貌をしているらしい。


 それでもママは、生まれたばかりの僕の、のっぺりとした顔を見て、嬉しそうに微笑んだ。温かな腕に抱きしめられて、これからずっと幸せに暮らすのだと思った。


 ……だけど次の瞬間、僕は竜の生贄にされたんだ。


 赤ちゃん竜に、噛み噛みされる。毎日毎日毎日。生まれた瞬間からこうなることが宿命づけられていた。噛み噛みされるために生み出されたのだから、僕の名は噛み噛みトビネズミさんなのだ。


 牙が僕を刺し貫いて、何度も尻尾がもぎ取られた。


 噛み噛み噛み噛み噛み噛み。


 ま、痛くないから別に良いんだけどね。


 生贄にされた僕だけれど、竜は僕のことが大好きで、いつでもどこでも一緒に行く。大きな愛をくれる竜のことが、僕も大好きになった。今や大親友なんだ。


 そうそう、僕の仲間には、ママと竜の他に、お付きの男の人がいる。


 一番声が大きいから、最初はこの人が親分かと思った。だけどずっと観察していたら、一番身分が低い人なのだとわかった。


 天幕を張るのも荷物を持つのも、だいたいいつも、この人が率先してやっている。しかもなんだか嬉しそう。彼はきっと、ママと竜に雇われたお付きの人なんだ。天職だね。


 お付きの人は、竜の子分でもあるみたい。ご飯をあげてはげっぷを浴びて、喉が渇けば一人で水運びもさせられている。とても健気だね。


 僕は、そんな頑張り屋さんなお付きの人が、大好きだ。大好き……だった。


「噛みネズミ、ボロボロだし、いい加減捨てれば?」


 お付きの人が、そう言った。僕は、のっぺりした顔のまま、かつてないほどの衝撃を受け、竜に気まぐれに吐き出された格好のまま、砂に転がっている。


 そう、毎日噛み噛みされる僕は常に生傷が絶えないのだ。


 ガサツだけど意外と優しいお付きの人。だけど僕を捨てようとしてる。もちろんママは、大反対。


「ひ、ひどいっ。絶対にだめだからね」

よだれまみれだし、汚ねえだろ。新しい生贄作れば?」

「だめだよ。噛み噛みトビネズミさんは、この子しかいないの!」


 僕はお付きの人に摘まみ上げられた。尻尾の先を掴まれて、振り子のようにぷらぷらと揺れている。


「うわ、涎でびしょびしょだし、ほらここ、穴が空いてる」

「やめてよ、噛み噛みトビネズミさんをいじめないで」


 返して、とママが声を上げ、僕の胴体をむんずと掴む。反射的にお付きの人は、尻尾を掴む力を強めた。そして。


「あ」


 二人の声が仲良く重なった。両側からの力に引き伸ばされて細長くなった僕は次の瞬間、尻尾と胴体で真っ二つに分かたれてしまった。


 あまりのことに、ママは言葉が出ないみたい。目を丸くして僕の細長い尾と寸胴をじっと見つめ、それから悲しそうに顔を歪めて言い放った。


「……ちゃんと直して」

「え、無理!」


 ママは僕の胴体をお付きの人に押し付けて、天幕の中に駆け込んでしまった。お付きの人はママの背中が消えた辺りを茫然と眺めていたけれど、しばらくしてから僕を見下ろして、溜息を吐く。


「仕方ねえな、あいつ、すぐに拗ねるから」


 いつもそんなことばかり言っているものだから、そのうちお付きの人がクビにならないか心配だ。


 彼は素直に針と糸を取り出して。僕をし始めた。お付きの人、お仕事なくさないように頑張って。


 僕は自分の姿が見えないけれど、しばらくチクチクされた後、尻尾が戻って来たのが感覚でわかった。


 お付きの人は不器用だから、尻尾を付けるだけで夜が更けてしまったみたい。お付きの人は空を仰ぎ、うーんと伸びをしてから、焚火の側から立ち上がり、僕を連れて天幕へと入っていった。


「おい、直った……」


 お付きの人は、不意に言葉を止めた。仄暗い天幕の中は、健やかな寝息で満たされている。ママが横幕の側で丸くなり、隣に僕の親友、竜の子が手足を投げ出して突っ伏している。鱗に覆われたお尻は天幕からはみ出ている。どうやらふたりとも、眠っているみたい。


 お付きの人はふたりを起こさないように、いつもの大声を潜めたんだ。


「ほんと、ふたり揃ってガキかよ」


 憎まれ口を叩きながらも優しい顔をして、僕をママと竜の間に置いた。それから自分は反対側の横幕の方へ行って……すぐに大きないびきをかき始めた。疲れたのだろうから仕方ない。お付きの人は、苦手なチクチクを頑張ったから。


 やっぱり僕は、お付きの人も大好きだ。


 そうして時が過ぎ、やがて朝が来て。天幕の隙間から白い光が差し込む頃。やっとママが目を開けた。その瞳に僕の姿を映し、そして。


「な……っ。ナツメヤシ紐付き!?」


 絶叫に驚いた竜が身体を震わせて目覚め、ぐああ、と可愛らしい咆哮を上げる。あまりの騒がしさにお付きの人も、のっそりと起き上がる。


「何だ、何事」

「ナツメヤシ紐付きが、ナツメヤシの国から帰って来た」

「はあ?」


 ママは訳がわからないことを口走ってから、口を閉じた。それから首を振り頭に浮かんだ何かを消し去ってから、気まずそうにお付きの人を見た。


「な、なんでもない。この子、嚙み嚙みトビネズミさん……だよね?」


 ママは半信半疑で僕を指差す。お付きの人は頭を掻いて頷いた。


「ああ。おまえが直せって言うから」

「え。直してくれたの?」

 

 僕はママに掴み上げられた。顔が近い。少し険しい顔をしている。


「でも何も問題なかったところが壊れてるよ」

「え、どこ」

「耳が無くなった。目の糸が抜けてる。つるっとして、熟す前のナツメヤシみたいになっちゃった」

 

 お付きの人は難しい顔をして僕を見つめ、続いてママと視線を合わせた。それから、二人は同時にぷっと息を噴き出して笑ったんだ。


「どうしてそんなに不器用なの」

「うるさいな。だから嫌だったのに」


 ママはひとしきり笑ってから、目尻に浮いた涙を拭いた。


「仕方ないなあ。あたしがこの子を直すから、その間にお水汲んできてくれる?」

「別にお願いされなくても、いつも水汲みやってんだろ」


 言いながらも、お付きの人は全然嫌そうじゃない。何だかんだ、彼がクビになる日は永遠に来ないような気もしてきた。


 お付きの人は竜の名前を呼んで、外へと促す。


「ほら、散歩だ。一緒に行くか?」


 竜は嬉しそうに跳ね起きて、お付きの人を追っていく。それを見送ったママは柔らかく微笑んで、僕の耳を作り始めた。優しい指先に撫でられて、僕の心はいっそう温かくなった。




 少し騒がしいけれど彼らが、僕の大好きな仲間達。ママがいて、親友の竜がいて、お付きの人がいて。穏やかな日々が、ずっとこのまま続いて欲しいと思う。


 だけどもし、日常が崩れ、みんなの笑顔が消えてしまう日が来るのなら。その時は、全てを失くしてでもみんなを守りたい。貰うばかりだった愛に報いたい。心からそう思う。


 まあ、僕はただのぬいぐるみ。ひとりでは動くこともできない、ちっぽけな存在だ。何かを変えるような大それたこと、出来るわけがないのだけれど、願ってみるくらいは良いと思う。


 ほら、水は願いを叶えてくれるというし、僕はいつでも涎まみれのびしょ濡れだし。……ね?


<おわり>



☆キャスト☆

僕: 嚙み嚙みトビネズミさん

ママ: アイシャ

竜: アジュル

お付きの人: ファイサル


from 砂竜使いナージファの養女



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