僕は今日とて彼女の下僕

センセイ

僕は今日とて彼女の下僕

「可愛いね」


そう言われて、甘やかされて、僕は今日も言えなかった。

「もう終わりにしよう」って。



******



男と言うのは単純に見えて複雑で、女と言うのは複雑に見えて単純だと、僕は思う。

つまりは、男はめんどくさいんだ。


「しきー?」

「!」


そんなめんどくさい男である僕は、この女…の子に、今日もいいように使われている。


「なに?れいちゃん」

「…ねぇ。お風呂にさぁ、顔つけたら、どーなると思う?」

「えっ…。息できない、と、思うけど…」

「そーじゃなくてさぁ」


要領を得ない質問をしてこられて、僕は回答に困ってしまう。

彼女が要領を得ないのはいつもの事だったけれど、今日はまるで意味が分からない。


「あ、じゃー、やってみよっかぁ」

「…?」


彼女は特等席…僕が一つだけ買った人をダメにするソファーから転がるようにして立ち上がると、僕の首根っこを掴んで引っ張った。


「痛っ…ひ、引っ張んないでよ、」

「こっち」


彼女は僕の言葉を無視してそのまま廊下を歩いていく。

僕もそれに着いていくと、れいちゃんがたどり着いたのは風呂場だった。


「水入ってる?」

「え…うん。昨日のだけど…」

「じゃ、いーや」


れいちゃんはそう言ってドアを開け、風呂のフタを開ける。


「ぅわっ…!」


その後、僕の髪を強引に掴んで水面に押し付けた。


「 聞こえるー? 」


遠くかられいちゃんの声が聞こえる。

僕は水の中から話す訳にもいかなかったから、浴槽のへりに着いていた手を何とか上げる。


「 じゃー10秒ね。……10ー… 」


僕が聞こえているのが分かると、れいちゃんはそう言って数え出す。


そもそも、僕とれいちゃんがどうしてこんな関係になったのか。

それは雨の日の事だった。


『だ…大丈夫?!』


豪雨の日に、うちの前で倒れ込んでいるれいちゃんを、僕が見つけて、家に入れてしまった事から始まった。


『あったかい…』


タオルで包み暖房の前に座らせて、あたためたミルクを手渡すと、彼女は弱々しくそう言った。


『…どうしてあんな所に?』


僕が聞くと、れいちゃんはぽつぽつと話し始めた。

聞くに、家庭環境があまり良くなくて、居場所が無いらしい。

そんなか弱すぎる彼女に、僕は庇護欲をくすぐられて、僕が彼女を守ってあげるんだ、と思っていたのに、


『君、可哀想な人?』


…彼女はそう言ったんだ。


「 8ー…9ー… 」


それから僕は、何故かこの男らしく出来ない、支配される時間にどっぷりハマってしまっていて、未だ抜け出せないでいる。

このままじゃどんどん自分が変になっていくって分かっても、どうしても自分から終わりにする事が出来なかった。

…このぬるま湯が心地よすぎて、立ち上がれなくて、取り返しのつかない所まで沈んでしまいそうだった。


「 10! 」


彼女が数え終わって顔を上げようとすると、両手で頭を強く押されて顔が持ち上がらなかった。


「っ?!」

「 やっぱりあと10秒ー 」


強い力で起き上がることを阻止される…と言っても、僕が本気で顔をあげようとすれば上げられるだろう。

でも、多分僕は、死ぬまで押され続けても顔を上げられないと思う。


「…ぷはっ!ごほっ、げほっ…」

「あはは!頑張ったね」


ようやく追加の10秒も終わって、頭を解放されてむせ込みながら息を整えていると、そんな風に褒められる。


「……」


大学生になって、褒められる事はほぼ無くなったし、当たり前の事では褒められる事は全く無くなった。

だから、こんなちょっと苦しいだけで褒めて貰えるのが、泣きそうなくらい嬉しい。


「顔見せてごらん」

「ん…」

「…あはっ、酷い顔」


れいちゃんはそう言って、僕の頬に両手を添え、真っ直ぐと僕を見つめてくる。


「可愛い」


れいちゃんは僕を見てくれる。

酷い顔をしてる僕を見て、可愛いって言って褒めてくれる。

もし普通の、複雑な男のまま生きていたら、こうやって人に甘やかされる事も無かっただろう。

…あぁ、やっぱり僕の力じゃ、ここから抜け出せない。


「もっと可愛くしてあげる」

「…うん」


僕はそうやって、今日も体を蝕まれ、心を奪われる。


****


ピンポーン…ピンポーン…


「…何?」


ある日、れいちゃんにいると、不意にチャイムの音が鳴った。

途中だったので、れいちゃんは明らかに不満そうな声を出す。

僕も、何もこんな時に…と思いながら、さっさと出てしまおうと扉を開けると、そこに居たのは学校の友達だった。


「え…しき?」

「どーしたの、その顔」

「……」


忘れてた。

そういえばこいつらに、住所…教えてたんだっけ。

てっきり荷物でも届いたのかと思って脳死で出てしまったから、顔はぐちゃぐちゃだし、何より部屋にはれいちゃんが居る。


「しき、メッセ送っても返事無かったからそのまま酒買って来ちゃったわ」

「俺お前ん家初めて」


そう言ってつかつかと入ろうとしている二人を、僕は「ま…待って、」と慌てて止める。


「何だよー…?」

「…っと…今はちょっと…」

「は?もしかして…」

「あーっ!」


友達の1人が大きな声を出して、僕はビクッとしてしまう。

その友達の見ていたのは、僕の後ろ…れいちゃんだった。


「あっ…」

「お前、そうならそうって言えよ!」

「でもあの制服って高校生だろ?…お前って奴は…」

「待って、じゃー何で怪我してんだ?」


空気は異様になり、最初は羨ましがっていた二人も、僕の顔のあざとかを見て関連付けて、不穏に黙り込む。


(どうしたもんか…)


何とか言い訳をして、雰囲気を戻さないと…なんて思っていると、その場の空気にお構い無しに、れいちゃんは僕の元へ近づいて一言、


「しき、つまんない」


と言った。


「えっ…」

「しきはどっちが大切?」


れいちゃんはそう言って、玄関前のダンボールの上に座って足を組む。

どっちが大切って…。

もしかして、友達かれいちゃんか…普通か異常かを選べって事なんだろうか。


「ぁ……」

「座って」


れいちゃんに足で太ももをつつかれ、僕は思わず条件反射で彼女の前に座り込んでしまう。


「おいしき!」

「何やって…嘘だろ?」

「っ……」


僕の行動に、友達は大声を上げる。

そのまま肩に足を乗せられても、僕は動けなかった。


「……」


普通か異常か、どっちを選ぶのか…。

…どっちを選んだ方が良いのかって、…そんなの分かってる。

れいちゃんとのこれは火遊びだ。

れいちゃんが飽きれば、いつ終わってしまうかも分からない曖昧な関係。

それに比べて友達は一生続いたりするし、少なくとも大学生である間は一緒に居る事が約束されたような存在だ。

……なのに。分かってるのに。


「あははっ!」

「……」


僕は無言で、れいちゃんに差し出された足を舐めた。


「っ…!」

「……行こ…」


友達は逃げるように帰って行った。


「私の勝ちだね」


選ばなくても良かった。

選ばなくても上手く生きていけた。

…でも、れいちゃんが選べと言うなら、僕は彼女にとっての良い方を選び続ける。


「偉いね、よしよし」


……だって彼女は、僕をたった一人、『僕』にしてくれるから。

僕はきっと…かっこいいとか、普通とかに飽きてたんじゃなくて。

それを望んでなくて、ただ異常な関係で、「可愛い」って言われ続けるのが、それが好きで。

今までの『普通』の方が、僕にとっては間違ってたんだ。


「ここじゃ寒いな、中入ろ」

「…うん」


友達が出ていった扉をバタンと閉めて鍵をかけ、れいちゃんに連れられてあったかいリビングに戻る。

今日も僕はこの曖昧な関係を続ける。

だって彼女はどうしようもなく僕の支配者で、僕は今日とて、そんな彼女の幸せな下僕なんだから。

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